山本由伸投法で世界が一変。投手に乗り気じゃなかった富島のエース・日高暖己は最速148キロのドラフト候補となった
アマチュア野球を見ていて「この投手、山本由伸(オリックス)みたいだなぁ」と感じることが増えた。近年で言えば、2年前にドラフト指名された履正社・内星龍(現・楽天)がそうだった。プロのトップスターをアマチュア野球選手が模倣するのは、自然な流れだろう。
山本の投球フォームは両腕を真横に広げるテイクバックに特徴がある。だが、野球界では「後ろ小さく、前大きく」という理論が一般的で、利き腕を大きく使う山本の投げ方は一部から「故障の危険があるアーム投げ」と評されることもあった。
実際には山本は高校時代から右ヒジの故障に悩まされており、ヒジへの負担を軽減するために腕全体をしならせて投げる今のフォームにたどり着いたのだ。今の山本の活躍ぶりを見れば、誰も「フォームが悪い」などとは言えないだろう。
甲子園では初戦敗退したが、スカウトから高い評価を受けた富島のエース・日高暖己
今夏の甲子園では、富島(宮崎)のエース・日高暖己が山本由伸の姿が重なる投手だった。
身長184センチ、体重77キロのスリムな体型で最速148キロをマークする右投手。テイクバック時に右腕を真っすぐに伸ばし、その反射動作を使って腕を振る。ただ速いだけでなく、捕手のミットを激しく押し込むような「強いボール」が特徴だ。
この日は下関国際(山口)を相手に13安打を浴び、5失点でチームも敗れた。ただし、記録上はヒットながら守備のミスに足を引っ張られるシーンもあった。そして、味方の拙守にも日高は表情を変えず、淡々と投げ続けた。まさにエースの所作だった。
視察したDeNAの河原隆一スカウトは「こんなものではないですよ」と言って、以前に日高を視察した日のことを教えてくれた。
「前に見た時は、もう少しグラブ側(左腕)でカベをつくって、上から叩ける投げ方でした。それこそ山本由伸みたいに、グ〜ッとグラブで粘れていましたよ。今日は少しそこがほどけるのが早かったかな。といっても球数も多かったので(最終的に162球)、余力を残しながらのピッチングになったのかもしれません」
期せずして河原スカウトの口から山本由伸の名前が出たので、続けて聞いてみた。「山本由伸投法」をスカウトはどう見ているのか、と。
「ひと昔前と違って、今は選手個々に合ったフォームでオーケーという時代ですからね。本人にとって合う投げ方ならいいのではないでしょうか。富島も4スタンス理論を取り入れて、日高くんの体に合った使い方をしているようですから」
当初は投手に消極的だった富島の浜田登監督が初めて日高を見たのは富島中の軟式野球部にいた時だという。「投手も野手もどちらでも使えるな」と見た浜田監督だったが、高校入学後にある障壁が待っていた。肝心の日高が投手で起用されるのを嫌がったのだ。
「最初はなかなかピッチャーをやりたがらなくて。バッティングが好きだからと内野手ばかりで、ピッチャーは全然乗り気じゃなかった。それでも肩は強いし、投げさせるといいボールを投げていたので、コーチの助言もあって、ピッチャーもさせていたんです」
当初は山本由伸投法ではなかったと日高は言う。
「前はテイクバックが小さい投げ方で、コントロールも悪かったんです。そこで山本由伸さんのマネをしてみたらコントロールがよくなって、ボールも一気に速くなったんです」
高校2年春から山本由伸投法に変えると、世界が変わった。まだ「ピッチャーが面白いとは思わなかった」と及び腰だったが、日高の急成長に浜田監督も「もしかしたらプロもあるかもしれない」と思うようになった。
最上学年になると投手に専念し、日高は徐々に投手としての面白さに目覚めていった。宮崎商監督時代に赤川克紀(元・ヤクルト)を指導している浜田監督も、日高にエースのあり方を懇々と説いた。
「以前までは不満があると態度、表情、仕草が表に出ることがありました。でも、この夏は表に出すことなく淡々と投げていました。甲子園でも『成長したな』と思いながら見ていました」
日高としては、課題がいくつも見つかる悔いの残るマウンドだったようだ。「追い込んでからの決め球がない」と語った表情は、悔しさに満ちていた。
今後については「かかるかわからないんですけど」と言いつつも、プロ志望届を提出する予定だという。
偉大な選手をマネしたからといって、その選手になれるわけではない。それでも、トレースするなかで見えてくる世界がある。日本中のアマ球界に存在する「山本由伸投法」の投手たちは、それぞれに超一流のエッセンスをつかみとろうとダイナミックに腕を振っている。