標高1000mのキャンプ場 そこは「駅」だった わずか10年で消えた赤城山の鉄道
群馬県東部、赤城山東側の中腹に「廃駅」があります。標高1030mの位置にあり、現在はキャンプ場。現地を訪れると、意外なところに「廃線」が眠っていました。
赤城山にあった2つの鉄道とは?
群馬県のほぼ真ん中に位置し、平野部の広い範囲から見える山のひとつに赤城山(1828m)があります。県民によく知られたこの山に、かつて鉄道がありました。
山裾の部分を東西に上毛電鉄が、東側の渡良瀬川沿いをわたらせ渓谷鐵道が通っていますが、それらではありません。鉄道があったのは、標高1000m以上の高地です。
利平茶屋の旧赤城登山鉄道跡(乗りものニュース編集部撮影)。
起点の駅は「利平茶屋」といいます。わたらせ渓谷鐵道の水沼駅(群馬県桐生市)付近、国道122号「下田沢交差点」から赤城山方面への県道をクルマで20分ほど上っていくと、「利平茶屋森林公園」にたどり着きます。ここは現在、赤城山登山口のひとつであり、キャンプ場です。
駐車場にクルマを停め、家族連れで賑わうキャンプエリアを横目に、車道が途切れる広場まで進むと、「利平茶屋 標高一〇三〇米(1030m)」と書かれた古びた標柱や、バーベキュー場にもなっている1軒の東屋があります。
東屋の裏に回ると、そこから階段状に「廃線」が続いていました。
これはケーブルカー(鋼索鉄道)の廃線。急な斜面になった路盤に枕木が連続して敷き詰められ、その端にはコンクリートの階段が残っています。さらに上っていくと路盤もコンクリートになり、ところどころにレールを固定していたであろうボルトやプレートが点在していました。
この廃線は、現地の登山道の案内看板にも描かれており、標高1390mの鳥居峠まで続いています。なお、終点だった「赤城山頂駅」の旧駅施設は今も残っており、「サントリー・ビア・バーベキューホール」として営業中。2018年には、この駅舎ならびにプラットホームが国の登録有形文化財に指定されています。
実はこの路線、わずか10年強で廃止されたものでした。
東武鉄道総裁・根津嘉一郎の肝いり開発プロジェクト
ケーブルカーを運営していたのは東武鉄道の傍系会社「赤城登山鉄道」です。1957(昭和32)年7月に開通し、その6日後には、鳥居峠よりもさらに高い赤城平と地蔵岳を結ぶロープウェー(のちの赤城山ロープウェイ)も開通しています。
東武鉄道の社史などには、戦前に東武の総裁を務めた根津嘉一郎(初代)が赤城山に赴き、観光資源としての将来性に着目したとあります。
戦後、昭和30年代に入ると、東武は赤城山の開発へ本格的に着手。この前後から、浅草より桐生線終点の赤城へ直通列車や夜行列車を運行するなどしました。ちなみに、赤城駅はもともと新大間々という駅名でしたが、赤城登山鉄道の開業を機に赤城駅へ改称されています。
キャンプ場となっている利平茶屋森林公園。ここがかつての駅(乗りものニュース編集部撮影)。
しかし、前橋方面へ通じる赤城山南側の道路が整備されると、自家用車の普及もあって、東側のルートは急速に廃れ、1968(昭和43)年にケーブルカーは廃止されます。存続期間は11年足らずでしたが、ロープウェーはその後も1998(平成10)年まで存続しました。
ケーブルカーの起点である利平茶屋は、訪れたときこそゴールデンウイークで多くのテントが張られ家族連れで賑わっていましたが、クルマでのアクセスも良いとは言えず、普段はひっそりしていることでしょう。ホントにここに鉄道が? と思うかもしれません。しかしそこには、赤城山の一大観光地化を目指した東武鉄道の夢の跡が眠っています。