※この記事は2017年12月05日にBLOGOSで公開されたものです

関東地方に住む30代の男性・清志が約10年前、自室で練炭自殺した。当時、清志は生活保護から自立しようとしていたが、社会福祉から自立する前後は、それまでのサポートが弱くなる。そのため不安や孤立感があったのだろうか。

清志は、自殺をテーマにした電子掲示板によくアクセスしていた。離婚と借金で自暴自棄になっていたことに加えて、知人が自殺未遂をしたことが刺激になり、2002年ごろから自殺系サイトを閲覧していたという。それまでは、いじめられた経験もなく、どちらかといえば、遊び仲間が多く、「死にたい」とは思ったこともなかった。そんな清志がこのとき思い立ったのは「ネット心中」だった。

清志が書き込んでいたのは「若者の自殺掲示板」=現在は休止中=だった。運営をしていたのは、首都圏在住の芳雄(30代、仮名)だ。神奈川県座間市の死体遺棄事件において、容疑者と犠牲者のやりとりは、こうした掲示板ではなく、ツイッターで行われたが、自殺をめぐるネットでのコミュニケーションはどのようなものなのだろうか。掲示板の開設と休止の経緯を聞くために、インタビューをした。

掲示板開設のきっかけは、同僚のうつ病

芳雄が「若者の自殺掲示板」を開設したのは02年だった。この頃は、まだ、集団自殺をともにする相手を募集する「ネット心中」は連鎖的に発生をしてない頃だった。ちなみに、03~04年ごろに連続して発生したネット心中の舞台になったのは、当初は「心中掲示板」で、自殺をテーマにした掲示板の中でも、心中相手を探すために特化したものだった。当時、同様の掲示板を私は二つ確認していた。

芳雄が電子掲示板を開設したのは、当時の同僚がうつ病になったことがきっかけだった。

「うつ病にはそれまで関心がなかったんですが、ネットで調べていたら、『自殺』という言葉にひっかかったんです。当時は年間自殺者が3万人を超えていました。これだけの人が死んでいるのかと驚いて、自分にできることはないのかを考えました。個人で、お金がかからない方法を検討したところ、思いついたのが電子掲示板でした」

警察庁の統計によると、2016年の年間自殺者は2万1897人だ。しかし、1998年から14年間連続で3万人を超えていた。芳雄が掲示板を開設した02年は3万2143人。翌03年は3万4427人とピークを迎えるような時期だった。そのピーク時から見れば、現在では年間で1万人以上も減少したことになる。

「若者の自殺掲示板」は心中相手を見つける掲示板とは違い、きちんと管理されている印象だった。管理人が書き込みをした人に返事をしていたからだ。当時、自殺掲示板は書きっぱなしのものが多かったので、返事をしているのを見て、私は珍しいと思っていた。

自殺のリスクが高い人への対応するため研修にも参加

芳雄が掲示板運営で気をつけていたのは、自殺のリスクが高い人たちの書き込みへの対応だ。その見極めのために、自殺防止センターが行なっている研修にも参加していた、という。メンタルヘルスをテーマにした掲示板運営者にはまれに資格をとる人もいるが、芳雄もその一人だった。

「センターで研修する前は、“死ぬのはやめなよ"と言っていたんです。人の気持ちを変えられると思い込んでいました。しかし、それではなかなか反応がよくなかったんです。危険度の判断や話の聞き方という点で、センターの研修は役に立ちました。特に『死にたい』という気持ちを受け入れる基本原則は衝撃でしたね」

レンタルの電子掲示板は、NGワードを設定することができるが、芳雄は管理上、多くの言葉を設定していた。誹謗中傷や他のサイトへの誘導、直接的なやりとりを促さないようにするためだ。

たとえば、「死ね」と同じ意味で使われる、「氏ね」「市ね」、電話番号に使われる「090」「080」「03」「042」なども、直接的なやりとりを促進するためNGにしていた。「自殺クラブ」や「酒鬼薔薇」、「黒魔術」「復讐サイト」も禁止にしていた。さらには「硫化」「練炭」「一酸化」「糸東」も書き込めないようにしていた。練炭という自殺の手段が流行ったことも理由の一つだ。

「ユーザー同士がメールのやりとりをしようとするときは気をつけていました。また、個人でやっている他のサイトへのリンクは消すこともありました。説教系のサイトや宗教系のサイトへのリンクがある場合も削除しました」

「自殺掲示板は心情を吐露できる場です。もちろん、管理人としては、建前上、“生きる死ぬのは自由。その人の人生に責任は持てない"というのがスタンスです。しかし、人間としては、『死なないでほしい』という思いがありました。そのため、途中からメールアドレスを表示した書き込みを気にしていました。直接、やりとりをする動きには危機感があったんです。自分が介入できる余地がなくなりますし、自分の掲示板で出会って、死なれたらまずい、と思いました」

掲示板だけでなく、直接介入したことも

芳雄は掲示板の管理だけをしていたわけではない。掲示板を飛び出して、直接の介入をしたこともあった。<明日、早朝に首を吊ります>とのメールが届いたことがあった際には、リスクが高いと判断して警察に通報した。プロバイダの協力を得て、IPアドレスを探ると、所在確認をすることができた。数ヶ月を経過した後には、実際に励ます意味もあり、会いに行っている。

恋人が自殺をしたことをきっかけにうつ病になり、掲示板に行き着いた女性が、集団自殺の募集に応募し、練炭自殺をしようとしていたのを尾行した。このときは、尾行もまかれ、警察に通報したが、見つけ出せなかった。ただ、女性は結果的に助かった。相手の男が本気で死のうとしていたわけではなかったからだ。この女性とも数年前まで連絡を取っていた。

「学んだのは、死のうとする人を止めることへの葛藤でした。それに止めるのに、すごいエネルギーを費やしました」

冒頭の清志との思い出もある。というのは、清志は自殺をしようと思ってアクセスしていたのだが、途中から自殺を止める側に回ったという。理由は、守りたい人が出てきたからだというが、最終的には別の男と自殺してしまった。

「ある意味で、彼あっての掲示板でした。私は管理人として距離感を保つようにしていました。しかし、彼にはケツを叩かれました。彼は自分を顧みずに動ける人物だった。一緒に自殺を止めたり、討論をしたりしましたね」

「彼は心の支えだったが、救えなかった。最後に、自分の辛い状況を教えてもらえなかったのは寂しかったですね」

掲示板よりもスピードがあるツイッター。介入には時間と労力を費やす

その後、芳雄は掲示板を休止したり、検索にひっかからないようにしながら、管理して、場としての質を保って来た。しかし、現在はプライベートでの変化があったことから、管理する時間もエネルギーもなくなり、掲示板は休止中だという。

「当時は、書き込みにはすぐに反応していました。削除したり、管理したり、返事を書いたり….。同じようにやるとしたら、今は精神的に持たない。時間もなくなってしまったし」

芳雄のような管理人であれば、時間と体力がある限り、掲示板は管理・運営されていく。管理できない場合は、検索エンジンにひっかからないようにしたり、休止することができる。しかし、座間市の死体遺棄事件のように、ツイッターのやりとりは管理することが難しい。芳雄が掲示板の管理をやめたのは、ネット・コミュニケーションの主流が、ソーシャルメディアへ移行したことも大きいという。

「掲示板とツイッターの差は何かを考えると、スピードでしょうか。掲示板の場合は、検索をしてたどり着くか、リンクを辿ってくるか。気軽には来れません。ツイッター時代では、仕事と両立するのは無理ですね。仕事として、ツイッターに張り付いている人を雇うしかないでしょうね。個人でやるには限界があります」