ザ・フォーク・クルセダーズ「イムジン河」とはしだのりひこ - 渡邉裕二
※この記事は2017年12月04日にBLOGOSで公開されたものです
「ザ・フォーク・クルセダーズ」はしだのりひこさん死去
「風」や「悲しくてやりきれない」「花嫁」などのヒット曲が懐かしい。はしだのりひこさん(本名・端田宣彦)が亡くなった。ザ・フォーク・クルセダーズの元メンバーだった。〝シンガーソングライター〟というより〝フォークシンガー〟という言葉の方が似合う人だった。72歳だったと言うが、今の時代は、ちょっと早すぎる死である。
的確な言い方かどうかはさておき、北山修(きたやまおさむ)と組んでいただけあって、やはりこだわりのある人だった。
もう20年近く前になる。あるローカルテレビ局で「フォークジャンボリー」という番組を企画したことがあり、はしださんに出演交渉したことがあった。すると、その番組プロデューサーが「はしださんが出演してくれるのだったら『イムジン河』を歌ってもらいたいよね」なんて言い出した。
「イムジン河」。
言わずと知れた ザ・フォーク・クルセダーズの代表曲の1つである。
北朝鮮問題で、最近は一段とニュースになる機会が増えているが、この作品はフォークルがアマチュア時代から歌っていた。
♫水鳥自由に むらがり飛びかうよ 我が祖国 南の地…
南北に分断された朝鮮半島を題材にした作品で、主人公は臨津江を渡って南に飛んでいく水鳥を見ながら故郷への想いを募らせる詞に仕上がっている。北朝鮮の作詞家・朴世永(パク・セヨン)の詞を松山猛が訳詞した。
放送禁止歌となったイムジン河
しかし、〝いわく付きの作品〟となってしまった。レコード発売は50年前の1968年2月だったが、その発売直後に朝鮮総連からクレームが入り、東芝音楽工業(後の東芝EMI、現ユニバーサルミュージック)は、政治的配慮から発売中止を決定、レコードは回収された。結果的に放送についても自粛(一部では「放送禁止」とも言われた)となった。
その「イムジン河」も90年代に入ってコンピレーション・アルバムなどに収録されるなど、まだ一部ではあったが注目する人も出始めていた。
そういった中で 「せっかく、はしださんが出演してくれるのだったら、今こそフォークル時代の、あの名曲を…」という提案になった。
とは言ってもテレビでの放送である。「本当に大丈夫なの?」と言うと「番組だけど、コンサートイベントのようなものだから。それに全国ネット番組じゃないから」。
今では考えられない柔軟な雰囲気もあった。
制作サイドとの話し合いで、ライブは30分程度でお願いし、放送では「イムジン河」と「風」「花嫁」の3曲を使う方向性でまとまった。で、はしださんに、その構成案を連絡したところ、大揉めになった。
「放送は、その3曲なの?それ、何とかならないかなぁ…」
要するに、「風」と「花嫁」は仕方ないとしても、あと1曲は新曲を入れてほしいと言うことだった。はしださんにとっては当然のことである。しかも、「イムジン河」を歌うことについては乗る気ではなかった。
はしださんは、フォークル解散後、はしだのりひことシューベルツ、はしだのりひことマーガレッツ、はしだのりひことクライマックス、はしだのりひことエンドレスと次々に自身の名前を前面に出したグループを結成していった。最終的にはソロ活動に転じたが、クライマックス時代には「花嫁」のヒットで「第22回NHK紅白歌合戦」にも出場(71年)している。
そういった、はしださんにとって、やはりフォークルは北山修、加藤和彦(故人)がいてこそのグループ。そのフォークル時代の「イムジン河」をあえて歌うのは…と感じたのかもしれない。
携帯電話で1時間半ぐらい言い合いが続いた。さすがにお互いに疲れ、最終的に4曲を放送入れる方向で構成をし直そうという、やや曖昧な流れで決着した。「イムジン河」についても歌ってもらうことになった。ほぼ強引だったと思う。その時、はしださんに言われた。
「渡邉さんて僕以上に強情だよね。どうしてなの?今回は参ったよ」。
「どうして」と言われて戸惑ったが、確か僕は「観ている人が知っている曲でないと」と言ったように思う。今になって懐かしさが込み上げてきた。
後日談だが、はしださんはとにかく強情で、どこでも自分の意見を通さないと気が済まない人だったらしく、それが嫌われる要因にもなっていたらしい。それだけに「のりちゃんが、よく納得したね」とも言われた。そう言われると、はしださんは他とは交わらない、フォーク界では珍しい存在だったような気がする。
2009年に加藤和彦さんが亡くなったあたりに「体調を崩した」という情報が出た。70年代、80年代に活躍してきたアーティストが、再び注目される中で、はしださんの作品も歌い継がれてきてきた。
KBS京都が最後のステージに
最後のステージは今年4月23日だった。北山修に誘われ、KBS京都ホールで行われたKBS京都開局65周年「京都フォーク・デイズ ライブ~きたやまおさむと京都フォークの世界」にサプライズゲストとして出演した。このイベントに、なぜ出たのか?もちろん、北山からの誘いもあったと思う。が、それ以上に、はしださんにとってはKBS京都に対して「ありがとう」という「感謝」の気持ちがあったのかもしれない。同局は、フォークル時代から関わりが深く、実は「イムジン河」が発売中止となり、全国の放送局で使用が自粛される中、同局のラジオだけはかけ続けた過去があった。
車椅子にサングラススタイルで登場したはしださんは、自身が「パーキンソン病」であることを明かし「今日が、本当に最後の歌唱になります」と詰め掛けたファンに告げると、北山、それに杉田二郎と共に「風」や「あの素晴らしい愛をもう一度」などを熱唱、最後は「イムジン河」の合唱で締めくくった。「いつの間にか、はしだのりひこのためのステージになっていた」と主催関係者は振り返っていた。はしだは「急性骨髄性白血病」とも診断されていたと言うが、このイベント出演で、もはや思い残すことはなしの心境だったのかもしれない。
北山は、自身の新しいCDを「まずは、のりちゃんに届けたい」と言っていたという。しかし、危篤状態が続いていた。「おそらくCDは渡すことが出来たんじゃないでしょうか」と関係者は言う。
♫オラは死んじまっただ~
フォークルに参加して50周年の年でもあった。その12月2日午前1時16分に、はしだのりひこは帰らぬ人となった。