グリーン車、みどりの窓口、山手線。JRが「緑」を好む理由 - おおたけまさよし
※この記事は2017年11月14日にBLOGOSで公開されたものです
グリーン車、名前の由来は?
「JRってなんで緑が好きなんだろ」
BLOGOS編集長の何気ない一言から始まりました。確かに考えてみれば、新幹線はグリーン車だし、チケットを購入するのはみどりの窓口。山手線も緑色と確かに緑ばかりです。
これは単なる偶然ではないはずと思い調べ始めたのですが、大手鉄道会社や有名な鉄道博物館に問い合わせたところ、どこも口をそろえていうのが「歴史的に古い話になってきて、断定できないのでどこに聞いたのかは伏せて欲しい」ということでした。
そのためここからの話は全てアルファベットで表記することにします。
まずはグリーン車の名前の由来。そもそもグリーン車は昭和44年の運賃改定により登場したのですが、某鉄道博物館に問い合わせたところ「グリーン車が緑なのは、旧一等車の帯から来ていると思いますが、あくまで説の1つで実際のところは分からない」とのこと。
鉄道会社の回答はどうでしょうか。大手鉄道会社BとCは「昔の一等車の色が緑色だったから」との回答でした。
大手鉄道会社Dも「昭和44年頃、新幹線の車両には一等車、二等車の二種類があり、その車両の側面に緑色のラインを引いていたからという説がある」との回答。
2つ目の説として、某鉄道博物館は「昭和33年から急行列車の特別二等車で指定席と自由席を区別するため、指定席で使われていたヘッドレストの色が薄い緑色だった」との回答でした。
まとめると昔の一等車の側面に緑色のラインが引いてあった説と指定席を区別するために車両のヘッドレストにかぶせたカバーが緑色だった説の2つが考えられるそうです。
グリーン車のクローバーマークを作った男
続いては、グリーン車に必ず付いているクローバーのマーク。
四つ葉なので何となく良い運気が舞い込んできそうですが、なぜクローバーマークなのでしょうか。調べてみました。
先ほどと同様、鉄道各社に伺ったのですが有力な説として答えてくれたのは、西日本にある大手鉄道会社。クローバー、しかも四つ葉にしているのは乗客がグリーン車に乗ることで幸せな気持ちになってもらいたいという説が有力ということでした。
ちなみにこの四つ葉のクローバーをデザインしたのは鉄道イラストレーターで写真家の黒岩保美さん。この方、鉄道絵画に没頭しその腕前は終戦直後に鉄道博物館(現・交通博物館)からGHQ用に改造した客車のスケッチを依頼されるほど。そのスケッチが細部まで立体的に描かれて素晴らしかったことから国鉄の社員になったそうです。
子供の頃から鉄道が好きで、父親とよく品川や上野に汽車を見に出かけ、鉄道博物館に入り浸っては展示物を模写していたといいます。
その後、車両設計部門に配属され、特急列車のヘッドマークをはじめ次々に新しいデザインを生み出し、列車の配色決定にも参加していたそうです。何気なく利用している新幹線のクローバーマークにこんな話があったとは知りませんでした。
JR東海にみどりの窓口はない!?
続いて、JRにある「みどりの窓口」について。窓口の色なんて何色でもいいと思うのですが、グリーン車に合わせるかのように「みどり」。なぜみどりなのか聞いてみました。
某鉄道博物館によれば「お客様に親しみやすく知ってもらうのと、目につきやすくするため」という2つの理由が有力だということです。
日本の国有鉄道とその前身の歴史を綴った歴史書「日本国有鉄道百年史」には「乗客に親しみやすい」とありました。
JR東海に同じ質問をしたところ「うちは「みどりの窓口」ではなく「JR全線きっぷうりば」といいます」とまさかの回答。一部の駅では「みどりの窓口」という名称を使用しているものの多くは「JR全線きっぷうりば」
なぜJR東海は「みどりの窓口」という名称を使用しないのか。
その理由を知るために「みどりの窓口」が生まれた歴史について触れておこうと思います。元々は国鉄時代の1965年に全国152の駅に初めて開設されたみどりの窓口。指定席の発売が出来る窓口=みどりの窓口でした。マルスシステムと呼ばれるコンピューター端末が置いてあるのが特徴の1つです。
それまでは駅員が電話で空席照会をしていたので、指定席を購入する時には何時間も待つことがよくありましたが、コンピューター端末導入により時間が大幅に短縮されました。現在では全国で約8000の端末が稼働し、航空券やコンサートチケットも購入できます。
しかしJR東海は係員が販売する窓口は、当時からすべて指定席の切符の発売ができたので「みどりの窓口」として棲み分けするようなことがなかったそうです。そのため「JR全線きっぷうりば」となっているんですね。
「みどりの窓口」という愛称が付いている切符売り場は「マルスシステムが導入されていますよ」という目印だったというわけです。
さらに調べていくと「みどりの窓口」の由来について新たな情報が出てきました。2016年3月7日の朝日新聞によれば、昔の切符の色は赤や青が多かったのに対して、みどりの窓口で発券した切符の色は緑色だったそうです。切符の色から「みどりの窓口」という愛称になったという説。これは最有力情報のような気がしますね。
話を伺っていく中でJR東海からさらに気になる一言が。「『みどりの窓口』というのはJR東日本の登録商標なんです。」
えっ!?そうなの!?思わず耳を疑う話です。調べてみました。
特許情報を確認できる独立行政法人 工業所有権情報研修館が提供している特許情報プラットフォームで調べたところ1996年1月31日、JR東日本によって商標登録されていました。ただ登録されていたのはこちらの図形。
最近見なくなりましたが、昔はよく目にした気がしますね。このマークは「容易に確実に座れる輸送サービスを提供する国鉄」というイメージを伝えるためのシンボルマークだそうです。マークの中の人はリクライニングを思いっきり倒してとてもリラックスしています。
(商標登録の情報)
山手線の色に隠された秘密
さて次はどうして山手線は緑色なのか。
確かに山手線のイメージカラーは緑色。細かく言うと黄緑色ですが、なぜあの色になったのか。調べてみました。
某鉄道博物館によれば、昭和36~44年にかけてカナリア・イエローと呼ばれる黄色だったそうです。それが昭和38年頃から現在の黄緑色の車両が導入されるようになったといいます。
その他の鉄道会社にも聞いてみたんですが、あまり有力な情報を得られずさらにこちらで調査を進めていくと、カナリア・イエローになる前は国鉄の車両の大半が濃い茶色であることが分かりました。
その後、昭和32年に登場した当時の新型車両101系はオレンジ色になり、その後山手線にもこの車両が導入されますが、中央線と区別するために山手線がカナリア・イエローになったそうです。昭和63年に101系の改良型である103系が山手線を始め、この頃から各路線別に特色のある色が導入されました。103系は昭和63年6月まで走り、現在はインドネシアなど海外で活躍しているといいます。
ところでこの山手線は「やまのてせん」と呼びますが、かつては「やまてせん」とも呼ばれていた時代がありました。そもそも山手線という漢字での名称が決まったのは明治42年。
この時の山手線は、品川-新宿-赤羽間を走る品川線と池袋-田端間を走る豊島線のことを呼びました。品川線が目白や渋谷など山の手と呼ばれる地域を通っていたことから「山手線」と呼んでいたという説も。
これなら「やまてせん」と呼ばれることはないと思うのですが、終戦後日本にやってきたGHQが読みやすくするため路線図にローマ字表記を入れました。この時山手線は「YAMATE」と書かれました。
その後、呼称は統一されず「やまのてせん」「やまてせん」と呼び方が2通りある状態が続いていたのですが、昭和46年に呼び名を「やまのてせん」で統一すると旧国鉄が発表しました。
背景には根岸線のある山手駅が「やまて」と呼ぶことから国鉄の中で誤用を避けるためという説もあるようです。
東京メトロの車両カラーとタバコの関係
さて色々調べる中で東京都民の足として多くの人が利用している東京メトロの車両のカラーにも様々なものがあることが分かりましたのでご紹介します。
私も東京都民として日頃から東京メトロを利用するのですが、路線ごとに色分けされているので乗り換えのある駅ではひと目で判別がつき分かりやすいと思っていました。
しかし調べていくとそれぞれの地下鉄の色も理由があって決まっていることが分かりました。今回はその中でも理由が印象深かったものをご紹介していきます。
JR山手線と同じ緑系の千代田線。こちらは千代田という言葉から日本庭園をイメージすることに由来するそうです。意外とシンプルな理由から緑色が採用されていたんですね。
同じ様に有楽町線も路線のイメージから車両の色を黄土色にしています。これは都心のオフィス街や豊洲などのウォーターフロントに集う若者達などからキラキラしたゴールドをイメージしたそうです。ただ車両の色がゴールドは少し派手過ぎると考えたのか、ゴールドをおさえた黄土色に落ち着いたようです。
南北線も同じで沿線の日本庭園から車両の色をエメラルドグリーンにしたとか。確かに南北線沿線には、バラが有名な旧古河庭園や小石川後楽園、東京都庭園美術館など都心にいながら豊かな緑に触れられる施設が点在しています。
銀座、渋谷など都心のど真ん中を走る銀座線。日本初の地下鉄として昭和2年に浅草-上野間の2.2kmに誕生しました。当時の色は明るい黄色でその後オレンジに変わりますが、この明るい黄色は鉄道先進国であったドイツ・ベルリンの地下鉄BVGをモチーフとしたといわれています。
丸の内線の赤は、当時営団地下鉄の総裁が欧米を視察した時に目にしたタバコの包装紙とロンドン市内を走るバスにピンときて赤になったそう。
タバコの色にまつわる車両はもう1つあります。東西線の鮮やかな水色はタバコのハイライトのパッケージから来ているという説が有力です。また水色という疾走感のある色から、旧営団地下鉄時代に唯一快速運転を行っていた東西線のスピード感を表現したという話もあります。
ちなみにその他の路線は、他の路線とかぶらないようにという理由がほとんどで目立つ色という理由以外に大きな理由はなさそうです。
このように車両の色1つとっても長い歴史と深い理由があることが分かりました。今回は関東の車両を中心にご紹介しましたが、みなさんも電車に乗る際は車両の色にもぜひご注目ください!