「ひきこもり」になることはそんなに悪い葛藤ではない~『不登校新聞』編集長・石井志昂氏インタビュー - BLOGOS編集部

写真拡大

※この記事は2017年10月25日にBLOGOSで公開されたものです

今年もまた9月1日前後には、子どもの自殺の話題が多く報じられた。「新学期前後に学生の自殺が増加する」「9月1日の若者の自殺に対策を」と多くの人が呼びかけるようになったのはいつからだろうか。

文部科学省は、「不登校」を以下のように定義している。

年間30日以上欠席した児童生徒のうち、病気や経済的な理由を除き、「何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により、児童生徒が登校しないあるいはしたくともできない状況にある者。

今回は、学校生活で悩む学生に「不登校」という選択肢、当事者の声を届ける『不登校新聞』編集長・石井志昂氏に、若者を取り巻く「ひきこもり」「自殺」の現状とこれまでの変遷についてお話を伺った。【取材・執筆:後藤 早紀(BLOGOS編集部)】

創刊の背景には中学生による自殺と放火事件

―不登校新聞が創刊された経緯はどのようなものだったのでしょうか?

不登校新聞の創刊は1998年なのですが、前年の1997年に起きた中学生の自殺と、学校の体育館への放火という2つの事件が契機になっています。「学校が燃えれば、学校に行かなくて済むと思った」という放火の理由を聞いて、大きなショックを受けました。ただ、9月1日に自殺が急増するというのは、実はそれ以前から起きていたことなんです。

不登校支援に関わる方たちの間では有名な話だったのですが、あまりにショックな事件が立て続けに起きて、保護者の間で「学校以外の道もある」ということを、どうにかして伝えなければいけないと考えました。当時は、今のようにSNSも普及していなかったため、新聞で伝えようと学校のお母さんたちを中心に、事件から1年後に立ち上げたと聞いています。

―石井さん自身、不登校を経験されて『不登校新聞』に参画されたそうですね。当時、「学校に行きたくない」と思うようになったきっかけや心境はどのようなものでしたか?

小学校のときに取り組んでいた中学受験勉強が、最初の契機だったと思っています。スパルタで有名な塾に入り、勉強漬けの日々。それでだんだん病んできてしまって。受験間際にストレスもピークになり、受験校にすべて落ちて公立の中学校に行くことになるのですが、その時に「完全に人生が終わったな」と思いました。

その塾では成績順に並ばされ、先生が偏差値50の位置に立って、「これより下の人は、今後の人生がないと思ってください」と言われるんですよね。なんとなく人生が終わるっていう感覚が、小学5年生から受験までの2年間で積み重ねられてきていました。

親からの期待を一度裏切ってしまったという思いもあり、罪悪感のような気持ちが受験の失敗によって丸ごと自己否定感に結びついてしまったんですよね。

そして、中学校2年生のときに学校に行けなくなった。不登校になりフリースクールに行くのですが、そこのスタッフが不登校新聞の編集長になるというので、私もボランティアで関わり始めたのです。

―石井さんのように1つのことが原因で不登校になるわけではなくて、色んな理由が合わさって不登校になっていくという人が多いのでしょうか?

不登校になった本人に聞いた文科省の調査だと、平均で約3つの理由があがります。一番多いのが「友人関係」で約50%。次にくるのが「生活の乱れ」と「学業不振」。これは学校が苦しくて生活が乱れたり、学業不振になっているのではないかと正直思います。朝起きられないというのは不登校の初期症状でよくあります。あとは、「先生との関係」なども理由としてあげられます。

なので、なにか「コレ」という理由ではなくて、多くの人がいじめや学校内での競争、勉強のストレス、友人・親子関係。こういったものが複合的に重なり合って、バーストしてしまうというイメージです。

40年間放置されていた「9月1日の自殺」

―先ほど、「9月1日に自殺が多い」という問題は、創刊当時からあったというお話がありました。「不登校」「ひきこもり」に対する社会の目は、当時と現在でどのように変わりましたか?

この数年、大きく変わりつつあります。私が不登校になった約20年前だと、情報は全然なかったし、そもそも当時は学校に行かず家にいることを「ひきこもり」とは言わなかったと思うんですよね。1998年頃から「ひきこもり」という呼び方が一般化しました。それまでは、不登校になった経緯や学生の気持ちに向き合うというよりも、早期発見、早期解決という感じでほとんどガンのような扱いを受けていました。

しかし、2014年9月10日に安倍首相がフリースクール「東京シューレ」を訪問したということを契機に潮目が変わりました。この訪問を受けて、国として支援していく、あるいは法律を作っていくということが検討され始めました。

最初は、フリースクール支援法という法律が検討され、最終的には多様な教育機会確保法という形になりました。この2014年からの1年間で、フリースクールを巡る議論というのが、国会でも新聞でもかなり出てくるようになったのです。

そして、2015年7月に内閣府が発行する「自殺白書」に18歳以下の日別累計自殺者数が掲載されました。そのデータによると、9月1日の自殺者数が飛び抜けて多いという事実が明らかになりました。ただ、このデータは最近の傾向ではなくて、40年間の累計自殺者数なので、40年間この状況が続いていたということなんですよね。

私たち『不登校新聞』は、この凄まじいデータが広く報じられていないのはマズイと思い、記者会見を開いたり、号外を発行しました。それでも、マスコミの多くは報じなかったのですが、その直後に高崎市の学校の始業式で自殺者が出たことで手の平を返したように取材依頼がありました。

それ以降、2016年、2017年と「9月1日」が注目されるようになり、自殺の注意喚起などが行われるようになったのです。

不登校は「情報」で救える

―やはりひきこもりや自殺防止には情報が発信され、当事者に届くということが大事なのでしょうか?

不登校になった子が、どのようにフリースクールの情報を得るかというと、基本的には自分で調べています。養護の先生や、学校の先生がフリースクールを紹介する事例はこれまでほとんどなく、極々一部です。

しかし、不登校に関しては情報で救えます。不登校になったときに最初に悩むのが、「この先どうなるんだろう」ということなのですが、不登校になった子の85%はその後高校に行くことができるのです。高校の進学率は全国平均が98%なので、全員ではないもののほとんどの人が高校に進学しているんですね。だから、自分も大方そうなるということは知っておいてほしい。

不登校者は中学生を中心に12万人いるといわれていますが、毎年新規が6万人います。その内3割がなんとか学校に復帰し、2割が中学3年生ということで卒業・進学によって解決してしまう。毎年、半数が入れ替わるかたちなんです。

また、不登校になると、先生が当てにできないということも親御さんは知っておいた方がいいですね。学校の先生が不登校の学生を持つ機会は意外と少なく、ノウハウがないんです。なので、不登校の問題を専門的にやっているところに相談に行くべきなのです。

この2つの情報を知っているだけでも、だいぶ誤解が解かれると思っています。「自分はこの先だいたい大丈夫。高校にもいける。」と思えるだけで、全然違うんですよね。だから、この情報が届けば状況はだいぶ変わると思います。

―不登校になった子は日々どのような生活をしているのでしょうか?

ひきこもりも高じると、外に出たくなるんですよね。マニアックな話ですが、「ひきこもり休日がほしい」というような話があります。一週間まるまるひきこもっているのはさすがにキツいので、週に1日は外に出たいという。

また、家にいても両親のプレッシャーがあるなかで、様々なテクニックを駆使して料理をする人もいます。ひきこもり生活で昼夜逆転し、夜中に何かを作って食べることを「ひきこもりメシ」と呼んでいるのですが、最初の頃は家族の目を気にして、レンジが鳴る2秒前に取り出したり、食パンをかじり極力音を立てないことを心がけます。しかし、次第に親の目より、チャーハン作りで火力が気になる、鍋を振るうという風に、逆に料理が楽しくなってくるようなのです。そうなってくると、ひきこもっている理由がわからなくなり、ひきこもりが終わるといわれています。

―『不登校新聞』は、復帰を促すという観点よりも、「そのままでいい」ということに重きを置いているように感じます。

不登校というのは基本的に、本人にとっては人生の危機が訪れているんです。自分なんかが生きていていいのだろうか。なんで自分は生きているんだろう。存在していていいのだろうかという。ただ、それって私自身はそんなに悪い問い、悪い葛藤じゃないと思います。

不登校になって、そういった葛藤を経ていくと、「なんのために生きているのか」ということがある程度見えてきて、それに沿って生きていく人がたくさんいるんですよ。なので、学校に通うにしても、学校に縛られず、自分が自由になるきっかけを掴んでるんです。そういう意味では自分を得る機会ですし、親との関係を再構築する機会といえるのではないかと思います。

―取材を通して印象に残ってるエピソードや事例はありますか?

不登校になり「死にたい」と思ってしまう問題を取り上げた際、よく話してくれたなと思ったのが、不登校になった後に学校復帰してからから死にたくなったということです。要するに、学校に行きたくなくて「死にたい」という思いを抱くように捉えられがちですが、不登校になり周囲から「将来どうするの」「学校は行ったほうがいいよ」といわれ、学校に戻ったときに「もう自分には逃げ場が無いな」と思い死にたくなるというのです。

まさに、当事者目線で考えるというのが、『不登校新聞』の信念であり価値なので、客観的には「学校にいったほうが楽なんじゃないの」ということよりは、当事者目線で考えるということを大事にしています。

不登校になりながらも学校に通う辛さ

―今後、取り組んでいきたい課題などはありますか?

不登校というとずっと家にいるイメージがあるかと思いますが、実際は週に2、3日は学校へ行っている人が多いんです。不登校は、年間30日以上学校を休むとその定義に当てはまるので、月に換算すると2、3日休むと該当してしまいます。

不登校になりながらも、多くの人は「このままではダメだ」という思いから週何日か学校に行っているのです。この状況は、不登校になっている人からするととても辛い状況です。

なので、不登校状態になりながらも学校に通う苦しい人へのメッセージをどうやって出せるのかというのがいま、個人的には大きな課題だと思っています。

また、不登校の人にとって対案があまりにも少ないという厳しさがあると思います。会社だったらそれでも辞められる、やめたら失業保険がある。大学だって出る出ないで選べる。しかし、なぜか子どもだけが学校以外の道はないという。転校だってむずかしいし、座席すら決められている、柔軟性の無さが生き難さ、厳しさに繋がっていると思うんですよね。

プロフィール

石井志昂(いしい しこう) 1982年生まれ。『不登校新聞』の創刊からスタッフとして関わり、2006年に編集長就任。
Twitter:@shikouishii