ひふみんVS.松村邦洋の「モノマネ合戦」が奇跡を呼ぶ - 松田健次
※この記事は2017年08月31日にBLOGOSで公開されたものです
加藤一二三――、愛嬌を描線にした福々しい鏡もちのようなフォルム、前歯のない口元に残り歯がちらつくいたずらっぽい笑顔、おもむろにノッキングする独特の口調。老成した名棋士でありながら将棋界での輝かしい功績はいったん脇に置き、そのゆるすぎるキャラクターが「ひふみん」という愛称と共に認知され、いまや全国区の人気者だ。
「ひふみん」のメディア露出を後押しした藤井聡太四段
振り返れば、加藤一二三をテレビバラエティに見出したのは「アウト×デラックス」(フジテレビ)だった。2012年から番組のアウトな準レギュラーとなり、その露出は長らく「アウト×デラックス」内にとどまっていた。
そして時運がおとずれる。加藤一二三をアウトからデラックスへと引き上げたのは、14歳の天才中学生、藤井聡太の出現だった。史上最年少14歳2ヶ月でプロ棋士(四段)に昇格、にわかに注目を浴びる若者がデビュー戦で対局する記念すべき相手が加藤一二三となった。
加藤は14歳7ヶ月という史上最年少デビュー記録を保持しており、かつての史上最年少VS当代の史上最年少という巡りあわせのドラマと、14歳と76歳という年齢差62歳の公式戦最長年齢差記録も重なり、2016年12月24日に行われたこの一戦は将棋界の枠を超えるクリスマスイブのニューストピックとなった。
その後ご存知のとおり、藤井少年は淡々黙々と公式戦29連勝という前人未踏の記録を打ち立てる。この連勝更新の度に棋界と世間をつなぐ架け橋を担ったのが加藤一二三だった。加藤のメディア露出は全国隅々に行き渡り、2017年上半期、藤井効果の後押しを受けて「加藤一二三/ひふみん」はブレイクスルーを果たす。
さらに時運は続く。くしくも加藤は6月に現役引退を迎え、その報道量は「アウト×デラックス」だけに出演していた頃からは比較にならないテレビスターの扱いとなった。加藤一二三はすでに2017年の顔の一人となり、おそらく大晦日には紅白歌合戦の審査員席に座っていそうだ。
加藤一二三の現役引退後のライフワークは、棋士としての足跡である対戦の局譜を著作にまとめることだという。通算成績1324勝1180敗。棋士として歩んだ証はいずれ加藤の執筆で余すことなく遺されるだろう。
ひふみんが「猫」のモノマネでみせた底力
さて、ジダイの笑いを記すこの稿では、そんな加藤一二三がこの夏に残した、将棋とは別の対局を現場で目撃したので書きとどめる。
場はラジオの生放送、パーソナリティーは春風亭昇太と乾貴美子。スペシャルゲストに加藤一二三が登場した。番組中、加藤はひとつの対局にいざなわれる。
<2017年8月23日放送 「ラジオビバリー昼ズ」(ニッポン放送)より>
乾 「きょうはですね、芸能界のとある方から加藤一二三さんに質問のメッセージが届いてまして」
加藤「んー、んー、んー」
乾 「ちょっと流してもよろしいでしょうか」
声「(加藤一二三のものまねで)あ、あ、どうも、加藤一二三、九段九段九段。わたしは、将棋とか、アタマを、使うのが、苦手な、松村、邦洋と、いいます」
加藤一二三へのメッセージと称して録音で流れた声の主は松村邦洋だった。松村はこの夏、ものまねの新ネタとして「加藤一二三/ひふみん」を解禁していた。その完成度はすこぶる高く、リフレインする発語に加え、福岡県嘉麻市出身の微妙な訛りも見事に捉えていた。
この松村による新ネタ加藤一二三のものまねを、いち早く加藤本人に直撃する・・・そこで加藤本人はどんなリアクションを見せるのか。それが番組の意図だった。
<同上より>
松村(録音)「(加藤一二三のものまねで)将棋のかわりにものまねが、好き、なななななんですけど、ひふみん、さんが、得意な、ものまね、ありますか? 人でも、どうぶつでも、かま、かま、かまいません、かまいませんよ」
松村によるものまねは、将棋であれば加藤の陣中深くに打ち込まれた詰めの一手。快音を立てて盤面に指された「金将」か。この至芸に加藤は表情を変えずじっと耳を傾けていた。笑顔はない。見ようによっては怒っているようにも見えなくない。果たして加藤はどんなリアクションをするのだろう。松村の音声が終わり、スタジオにトークが戻る。
<同上より>
昇太「はい、松村邦洋くんから、質問でした」
加藤「質問、あの、ものまね、私が、あの、出来るかもしれない、ものまねですかね?」
乾「はい」
加藤「そうですね、ええと、ま、ま、例えば、あの、ま、あ、あの、猫のものまね、猫のものまねね。はい、猫のものまね、猫のものまねしましょう」
自身のものまねに対するリアクション待ちの場面だったが、加藤は松村のものまねに見向きもせず、もうひとつの案件――ものまねを求められたことに気が注がれ、「猫」のものまねをすると返答した。
加藤の打つ手が読みきれない。しかも松村の「新ネタひふみん」に対し加藤は「猫」だ。「猫」・・・・、この先手と後手のスペック差にただただ痺れるほかない。
ちなみに猫は加藤一二三にとって最愛の動物である。加藤はかつて猫愛が昂じ、野良猫へのエサやりが止まらず近隣住民とトラブルに至ったこともある。加藤にとって猫は「クラッシック音楽」「うなぎ」「明治の板チョコ」「カマンベールチーズ」「ニルスの不思議な旅」などと並ぶ屈指のフェイバリット・アイテムだった。
おそらく「猫」のものまねをするという選択は、その愛情から昂じたのだろう。それゆえ、クオリティはさほど期待出来そうにない。ただ、「猫のものまねしましょう」という宣言だけで十分おかしく番組は盛り上がっていた。そして加藤が「猫」を披露した。
<同上より>
加藤「ええと、ええとですね、うんと、まあ、あの、まあ、この、まあ、この、仕草、(両手を顔の横で広げて)『にゃ』・・・・・(両手を顔の横で広げて)『にゃ』」
77歳の老人がたった一言、声も張らずに『にゃ』と発した。『にゃあ』ではなく『にゃ』。あまりにシンプルで逆にインパクトがすごい。(加藤は左右の手を顔の横で広げて『にゃ』と発した。それは加藤の目に映った猫の仕草らしい)
「猫」という「歩」のような駒を加藤は加藤にしか打てない非才な打ち方で指して来た。そして、加藤が自らの一手を解説する。
<同上より>
加藤「あ、あのですね、猫というのはですね、私いままで猫、接してますけども、ええと、あの、病気のときに、病気のときに世話してね、あの、ちゃんと治療してあげるとですね、病気のときですからね、なんか、ほとんど声が出ないんだけれども、『にゃ』ってひと声ね、鳴いてくれたんですよ」
昇太「ええ、ええ」
加藤「元気になったので『にゃ』って言って感謝の気持ちを表すんですね」
素朴な鳴きまねに秘められたいい話に心奪われる。番組の若い女性スタッフが「ひふみん、かわいい」とキュン声を漏らす。加藤はいつの間にかこの場を制していた。
加藤一二三VS.松村邦洋、才人同士の一戦は凡人が思い及ばぬ展開を辿った。
なんだろう、松村の一手はまさにここぞという詰みの一手だったはずだ。なのに加藤はそこに見向きもせず、自身のするべきことだけに没入し、みるみる形勢を変えてしまった。しかも本職ではないものまねのなのに。この強さが将棋界の頂点「名人位」に立った者の底力なのか。
笑いの世界であれば共演者と「噛みあう」ことが原則の理念としてある。だが、将棋は相手と「噛みあう」ことが目的ではない。せめぎあって見どころの多い将棋を指すことが一義ではなく、最大の目的は勝つことのみだ。そのためには相手の指し手に振り回されず、自身の将棋を指すことが求められる。
それが「神武以来の天才」と異名をとった加藤一二三の本能だったとしたら、将棋ではなくものまねの場でその本能を垣間見たことを、加藤一二三歴戦の番外局譜として綴っておく。