※この記事は2017年07月06日にBLOGOSで公開されたものです

2015年7月、岩手県矢巾町の中学2年男子生徒A(当時13)が自殺した。いじめを苦にしていたとも言われている。町教委のいじめ問題対策委員会は16年12月、「部活動やクラスでいじめが継続していく中で『死にたい』と思う考えが出現し、自殺の一因となった」とする「調査報告書」(概要版を公開※PDF)を教育長に提出した。

しかし、遺書がないことから「自殺の原因を特定することは困難」と判断した。この問題で今年3月、県教委は、校長を減給10分の1、前校長、副校長、当時の担任を戒告の懲戒処分とした。Aが自殺して2年。実は、自殺したAのクラスでは、別の生徒もいじめられていたという。美奈(16、仮名)だ。現在は岩手県から首都圏に引越しをしている。

盛岡市内から矢巾町へ 「なんでこっちの学校に?」

美奈はもともと、小学校6年の12月までは盛岡市に住んでいた。しかし両親の引越しで矢巾町へやってきた。小学校時代は盛岡市に通い、中学校は矢巾町内の学校に通学した。

いじめがあったのは中1のころからだった。教室から出ると、クラスメイトから「出てった」、教室に戻ると「戻った」と、いちいち“実況”された。しかも学年全体から無視されるようになった。掃除の時間も掃除場所から締め出された。

「なんでこっちの学校に来たの?」 と嫌味な感じで言われた。いじめの加害者は女子生徒も男子生徒もいた。入学当初は仲良くしていたという。この中学校は町内の2つの小学校が一緒になる。出身小ごとにグループに分かれていた。しかし美奈は盛岡市内の小学校のため、どちらのグループにも入らなかった。  

「どっちのグループに入ればいいのかわからない。めんどくさかった」

何か言われれも、いちいち反論しなかった。そのため、美奈は言われっぱなしになる。それが徐々にエスカレートしていった結果だった。無視されることは当たり前。話しかけても返事はくれなかった。悪口も日常茶飯事だった。

「みんなの性格がわからないから、自分も出せなかった」

「消えたい」と思うようになり、リストカットをする

罵声も浴びるようになっていた美奈は5月下旬、「消えたい」と思うようになった。そして、手首をカミソリで切るリストカットをするようになる。言い返したりできないし、不登校もできない。美奈は「大きなことをする勇気がなかった」と話す。

「(手首を)切っても痛くない。そのときの記憶はなかった」

リストカットのときに身体的な痛みを感じないということは、解離状態になっていたとも考えられる。解離とは無意識の防衛本能であり、記憶や感覚を切り離すことだ。一時的であっても、いじめを受けて辛いという心の傷の痛みよりも身体的な傷をつけることで、意識を分散させる。かつ解離することで痛みを感じなくなる。

いじめの窓口は校長か副校長だった。母親の明子(42、仮名)はいじめのことを学校に伝えたが、学校は対応しているとは思えなかった。いじめを理由に自傷行為をするのは、いじめ防止対策推進法によると「重大事態」にあたる。重大事態となれば、学校か町教委は、いじめについて調査をすることになるが、その形跡はない。

明子は「いじめによる重大事態に関する報告書は上がっていません。それに町教委は中学校でのいじめの件数を0と報告しています」と、学校の対応に不満を持っている。どうして、その年のいじめの報告は0だったのか。自殺したAも一年生のころいじめを受けていたというのに...。

「教育委員会に聞くと、『学校はいじめとして報告をしてない』というのです。なんでですか?自殺もあったというのに。(いじめ自殺があったあと)文科省がアンケートをとって、教育委員会が渋々対応をしているように見えます」(明子)

自殺した男子生徒も一年のときからいじめを受けていた

町いじめ問題対策委の「調査報告書」(概要版)によると、Aが一年のとき、バスケットボール部に所属。体力や技術面で他の部員と同じように練習をこなすことが難しかった。しかし、同学年の部員から練習中に失敗を責められた。このころの生活記録ノートなどの記載や周囲の関係者によると、いじめが続く中で、希死念慮が出てきた。そのため、いじめが希死念慮の一因になっていることは認めている。

さて、6月ごろ、美奈がいじめられていることを知った担任が、男子生徒は教室内にとどめ、女子生徒には「廊下に出ろ!」といい、「何か知っているか?」と、それぞれに問いただした。こんなことをすれば、余計にこじれる。案の定、担任がいなくなると、こう言われた。

「あいつ、チクったな」。ただ、7月中旬ごろ、加害者の父親が謝罪をしてきた。  

適切な対応だったかどうかはともかく、一年のときには、担任もいじめについて対応してくれていた。2年のゴールデンウィーク前になると、美奈は「復学をしたい」という気持ちが出て来た。ところが、視線過敏になっていた。マスクをしてないと外出ができずにいた。髪も長くしていた。

登校しようという段階になって、明子は「最初だけでも配慮をしてほしい」とお願いした。校長は「とりあえず1週間は校長室に通ってみようか」と言った。GW明けになって、学校へ向かった。しかし昇降口で追い返された。いったい、なぜか?

この中学校では、長い髪の女子生徒は髪を結ぶというのが規則になっている。そのため、他の生徒と同じように「髪の毛が結べないなら帰れ」と言われた。髪の毛のことは校長に配慮をお願いしていたはず。どういうことなのか。校長室に行き、校長に問いただすと、「やはり、髪の毛が結べないと入れられないことになった」という。

Aの自殺後、美奈の目に異変が....

美奈は1年の3学期からずっと不登校になっていた。2年生になっても学校には行っていないめか、同学年の男子生徒から「不登校は気楽でいいよな」とツイッターで中傷されていた。また、2年生になっても、Aへのいじめは続いていた。

調査報告書によると、このころ、Aは、2年のクラスで同級生から、顔を殴られ、頭を机に押し付けられ、脇腹を突かれるなどの暴力、ちょっかい、からかいの対象となり、心理的、物理的な攻撃を受けていた。

このことについて、Aは精神的な苦痛を感じ、生活記録ノートにいじめを訴えた。家族に相談することもあった。こんな状況の中で、Aが自殺したのだ。7月5日、列車にひかれて死亡した。この日、人身事故があったことは美奈も明子も情報は入っていた。最初は「小学生か?」とも言われていたが、中学生ということは新聞で知った。明子は言う。

「自殺教唆の疑いもあったんですよ。『ミニマリオがじさつするそうですwしかし.,....』と携帯用のゲーム機で書き込みがあったです。普段のAの書き方とは違うんです。他人が書いたんじゃないかという話もありましたが、警察は調べていません」

調査報告書では、AへのいじめとAの希死念慮との関係は認めた。しかし、Aの最終的な希死念慮の表明と見られる記述が必ずしもいじめを苦にしていることをうかがわせる表現にはなっていないことや、遺書を残していないことから、「自殺を決意するに至る経緯は不明」と結論づけて、いじめと自殺の因果関係を認めなかった。

Aの自殺後、美奈の目は見えなくなった。  「目はまったく見えない。真っ暗だった」

自殺したAは、美奈のことを心配してくれていた!

目に異変が起きた美奈が眼科へ行くと、「ストレス性」と診断された。精神科には行きたくなかったので、児童相談所でカウンセリングを受けることにした。自らへのいじめや、同じくいじめを受けていたAが自殺したことが影響したのかもしれない。

「(Aが自殺したとき)クラス内のいじめが3件あった。日常だった。ほかの学年でもいじめがあり、教室に行けない先輩もいた。そんな中で、Aが私に『何かあったの?」と心配して、話しかけてくれた」(美奈)

Aは自らも苦しい心情があったが、美奈のことも心配していたのだ。

そんな中で学校から離れたほうがいいと判断し、昨年3月に首都圏へ引っ越した。いじめ自殺を調査に来た大学教授と出会い、「この学校にいつまでもいてはダメ」と言われたことも一つの理由だった。首都圏の学校に転校したものの、そこでもなじめず、不登校になった。

「1日しか教室に行ってない。ここもダメ。自分を受け入れてくれる学校はないと思っていた」(同)

美奈は中学を卒業して、高校へは進学せず、現在ひきこもり状態だ。日光にあたると、蕁麻疹がでるようで、いじめの後遺症ではないかとみられている。

「中学卒業前には、高校には通えるとは思っていたんですがが、行かないと決めた。作り笑いするくらいなら、笑わないほうがいいって....。免疫力も落ちた。電車も満員だとダメです。LINEでなら友達と話せるんですけど」(同)

明子は、美奈がじめを受けていたことに関する報告書を学校が作成していたかどうか。また、いじめの後に自傷行為をしていることから、いじめ防止対策推進法による「重大事態」として調査をしていないかを確認するため、情報開示請求をした。町教委は5月23日、「美奈のいじめ認定の報告書」について、「不存在」の通知を出した。

しかし、矢巾町の教育研究所の「報告書」(15年8月18日付)では、明子からの聞き取り内容を記述。

「〓年生の時のいじめについて、〓〓〓先生と〓〓先生に確認したらば。報告書を作ってあげている」「その後もいじめは継続して、〓〓先生に訴えた」との記述があり、いじめを認知していることが記されている。  *〓は、黒塗りによる非公開。  

また、美奈が自傷行為をしていたとの明示的な記述はないが、町教委の学務課学校教育係「報告書」(15年8月17日付)では、「自傷行為は今は行なっていない(手首も非常にきれいであった)」などと書かれている。かつては自傷行為を行なっていたことを確認しているかのような記述だ。

報告書を見た明子は「町教委は、いじめの事実を知り、かつ、自傷行為をしていたことを確認していたことがわかります。だとすると、いじめによる重大事態を隠蔽したのではないでしょうか」と疑問を持っている。

ちなみに、矢巾町は今年3月、いじめ防止対策に関する条例を制定した。筆者の取材に対し、町教委は、児童生徒、保護者用に概要版を配布し、大きないじめになる前に解決する方法をとるようにしているとしている。自殺したAと同じ学年はすでに中学を卒業したが、「その学年で継続してケアをしている生徒は確認していない」(町教委)。

また、小中学校合わせたいじめの件数は、15年度内は96件(すべて解消)。16年度内は170件(解消は137件)。このうち、重大事態として扱われたのは0件だという。

「いじめの件数が増加したように見えるが、文科省のいじめ防止基本方針が見直されたために、報告されるいじめについての考えを変え、「蹴った」「叩いた」というものも含めた結果だ。また、解消したと見えても、解消後3ヶ月は「見守り・観察」と扱っている」(同)。