※この記事は2014年03月12日にBLOGOSで公開されたものです

質疑を行うアントニオ猪木議員(niconico) 写真一覧
3月12日、参議院の予算委員会で日本維新の会所属のアントニオ猪木議員が質問に立ち、安倍首相にたいして北朝鮮外交について質問を行った。今年1月にも訪朝を行ったという猪木議員の北朝鮮問題に対する思いや、自身の「闘魂外交」についての思い、首相とのやり取りを書き起こしでお伝えする。なお、質問の様子は、参議院インターネット審議中継で確認することができる。

元気があれば、質問もできる

アントニオ猪木議員(以下、猪木):元気ですかー!! 元気があれば、何でもできる。元気があれば、質問もできるということで、猪木の常識、非常識で通っております。すいません。 この台も全然変わってませんね。

ちょうどこの震災で私の仲間が、翌日被災地にトラックで物資を運びました。途中止められましたが、自衛隊の先導で無事届けることができまして。その後、4月8日、私がいわき、東松島などいろんなところ回りまして。そして、体育館に避難されている人たち、そこへ車から降りたら、いきなり皆さんが赤いタオルをして、「元気ですかー」というので、私がびっくりして体育館に入りましたら、年寄りの方もみんな立ち上がりまして、「1、2、3ダー」をやって、元気になりましたということで喜んでもらいました。

ちょうど私は、18年ぶりに国会に復帰したのですが、ここでまさか質問に立つと思っていなかったのですが。25年前に参議院に初当選して、その後すぐにある同僚議員から誘われまして、会津若松というところに講演にいきました。演説をしているときに、後ろから暴漢に襲われて頭に傷がまだ残っております。

10日後にまたこの席に立たせてもらい、頭と首に包帯だらけだったと今、思い出しております。今日は北朝鮮問題に絞って質問をさせていただきます。政府に協力する立場を明確にした上で、質問をしようと思います。

よく私がどうして、北朝鮮にそんなに一生懸命、あるいは北朝鮮に足を運ぶのかときかれることがありますが、私の師匠・力道山は出身地は朝鮮半島の咸鏡南道というところです。

戦後、ご存知の通り、テレビに登場して本当に敗戦の中で夢をなくした国民が、力道山の勇壮を見て、そして元気と勇気、明日の生きる力を与えてくれました。私もその中の一人です。しかし、私は、14歳のときに、ブラジルに家族をあげて移民することになりました。私の子どもの頃の夢はプロレスラーになることで、夢は遠くにいってしまいました。しかし、3年経って、私が陸上競技の砲丸投げで優勝したら、それが新聞に載りまして、力道山師匠がブラジルに遠征に来ておりまして、その場でスカウトされて、日本に戻ってきました。もう二度と日本の土を踏むことはないと思っておりましたが。

そして、平成元年、参議院に当選したとき、ある人から写真を見せてもらいました。その写真に力道山の娘が北朝鮮にいるということで。例えば、私が力道山の付き人をやっておりましたので、一日の行動もよくわかっておりましたが、そこからもらった本の中に、「力道山物語」というのがありまして、その中にいろんなことが書いており、「そうか、あの時はああいうことか」と。新潟で万景峰号で娘さんにあったと。

あるいは、師匠の周りには政財界の大物がたくさんおりました。そして、日韓条約の2年前ですが、大野伴睦さん、自民党の実力者が、日本のコミッショナーもやっておりましたので、力道山も招待を受けることになったのですが、本人もだいぶとまどったようです。しかし、韓国にいきましたら、大変な歓迎をうけまして、本人も感激し、そして「一つだけお願いがある、きいてくれ」ということで。どういうことかというと、「板門店につれってくれ」と。力道山が板門店にいきまして、63年ですが1月の寒風吹きすさぶ中を、上着を脱ぎ捨て、やにわ走り出したので、軍隊の皆さんも、そこにいた皆さんが真っ青になりました。そして、北に向かって走ったのですが、足を止めて師匠は大きな声で、たぶん「お母さん」あるいは「お父さん」。分断された国家の悲しみ。そして、日本でこれだけ有名になった。その勇壮も家族や故郷の人に見せることができない無念さ。

そんな分断された師匠の心を、私は1994年に、北の、師匠の果たせかったことを、訪朝することになりました。その時にちょうど、北京から北朝鮮に向かおうという空港に行く途中に金日成主席が逝去というニュースをききましたが。9月に招待状がきて、北朝鮮に行きましたところ、その娘さんとも会い、また向こうの要人とも会いました。

その時に「本当のプロレスを見せましょうか」ということで、翌年の4月に平和とスポーツの祭典を開催いたしました。なんと2日間で38万人という人が足を運んでくれ、それ以来、私が毎回行く度に町中の人たち、あるいは軍隊の人までが私に手を振ってくれます。

そこで総理に質問ですが、私は過去20年間、議員であっても民間人であっても、一日も早くお互いが本音で話しができる環境づくりに今日まで務めてまいりました。かつては拉致担当大臣の親書を北朝鮮に届けたこともあります。一貫して政府に協力してきました。

対策本部より北朝鮮情勢について教えていただきたいという話もありました。見たこと、あるがままのことを話しました。その際にも申し上げましたが、私は今年の一月に通算28回の訪朝を行いました。その時、大きな進展があったのが、国会議員の訪朝団計画です。訪朝計画。同僚の議員から、もしその訪朝団に参加するのであれば、ぜひその向こうから正式な書面での招待状があれば、ということをききまして、私がこの一月に金永日書記と話をし、朝日親善協会から正式な日本の議員団の招待状をいただいてまいりました。

いままでにこのような北朝鮮が招待状を出したことはないと思いますが、国会議員の訪朝団について総理のお考えをお聞かせください。

(予算委員会委員長より)アントニオ猪木議員君に申し上げます。最初のご発声は元気がでるだけでなくて、心臓に悪い方もいらっしゃると思いますので、今後はお控え願いたいと思います。

安倍首相(以下、安倍):いわゆる議員外交につきましては、一般論と申し上げれば、国民の代表である議員が外国政府等、あるいは相手国側の議会と交流を深める中において、それぞれの国との関係を発展させていくということにおいては、大変有意義であるし、国民の声を直接説明し、訴えかけていくことにおいては有意義であると、このように思いますが。

一方、我が国としてはですね、対北朝鮮措置として、我が国から北朝鮮への渡航の自粛を要請をしているわけでございます。北朝鮮におきましては、日本にたいする拉致問題、拉致という行為。そしてミサイル発射、核実験。累次にわたる、こうした行為。国際社会が制裁を課しているという状況にあるわけでございます。

その中におきまして、政府の方針を踏まえて、適切に対応されるべき事柄ではないかと、このように思うわけでございまして。御党におきまして、この問題にずっと対応してこられました中山恭子議員、平沼赳夫議員ともよく相談をしていただきまして、適切に判断していただきたいと。このように思います。

猪木:その辺は、この世界が根回しが大事だということをよく勉強させていただきました。そこで、次に安部総理にお伺いしますが、北朝鮮の情報が少ない中で、直接対話する意義が大事であるかどうかお聞きしたいと思います。

安倍:先ほども申し上げたとおり、北朝鮮にたいしてはですね、基本的にはですね様々な課題を解決していくためには、対話を行わなければ、解決はしていかないということでございます。

しかし、残念ながら北朝鮮におきましては、今まで日本との対話の中において、様々な約束等について、北朝鮮側においてその約束が果たされていないという現実もある中において、我々は、国際社会と協力しながら、北朝鮮に圧力をかけ、「現在とっている政策を変えなければ、北朝鮮の未来はない」という認識の下に、対話を行っていくことによって初めて結果がでてくるんだろうと。このように思っているところでございます。我が国は、関係国とも緊密に連携しつつ、北朝鮮にたいして、不断に情報収集を行い、情勢を注視をしているところであります。我が国としては、先般、日朝赤十字会談の機会を利用いたしまして、政府間でも非公式に意見交換を行ったところであります。

しかし、北朝鮮との直接対話のためには、北朝鮮が拉致問題の解決や非核化を含めて、 問題解決に向けた真摯な姿勢を示すことが何よりも重要であります。また、北朝鮮との議員外交については、我が国として、先ほど申し上げましたような考え方でございまして、適切に対応されるべき事柄ではないかと。このように考えております。

「北朝鮮に拉致問題について『解決をしなければならない』という認識にたってもらわなければならない」


猪木:今申していただきました。対話の大切さ。さっき岸田外務大臣も申されておりました。韓国あるいは中国にもいろんな私の友がいますが。対話の大切さを今ききました。

まずその中で一番大事な部分は情報だと思いますが。テレビあるいはその他いろんな部分で情報が耳に入り、北朝鮮はそれにたいして一切反論をいたしませんから、どれが事実かというのはわかりませんが。たぶん、政府の皆様より私の方が北朝鮮における情報は多くもっているのではないかと自負しています。そこで「平和外交」を標榜される安倍総理にたいし、大局を見つめた決断をしていただきたいと思います。総理の決議をうかがいたいと思います。

安倍:議員が北朝鮮を訪問された94年。これは、まさに北朝鮮と国際社会において、KEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)の合意がなされたわけでございます。このKEDOの合意によってですね、北朝鮮はいわば核開発をやめるということであったわけでございました。それにたいしまして、国際社会は軽水炉をつくるということでありまして、日本も一千億円出資をするということになり、日本はその一千億円にむけて、出資をしていったわけでございます。残念ながら北朝鮮は約束を守らずにウランの濃縮計画をだいたいほぼ同時期から進めていたわけでございます。

ここに外交の難しさがあるわけでありまして、いわば行動対行動。しっかりと彼らが行動を示せば、こちらも行動を示しますよ。こういうことの中において、結果を出していくことが大切であろうと思います。私もその頃から北朝鮮の問題にかかわっているわけでありますが、大切なことはしっかりと北朝鮮に約束に守ってもらうことでありまして。いわば、「対話のための対話」を行い、こちらが何か出す、ということにかんしましては、残念ながら、それでこちら側の結果得られていないという現実があるわけです。

ですから、大切なことはですね、いま北朝鮮にまさに拉致問題について「解決をしなければならない」という認識にたってもらわなければならないわけでありまして。解決をしなくても、「北朝鮮はなんとかやっていけるよ」あるいは「すぐにこの問題を解決しなくても、日本とつきあいを再会して、ものごとが進んでいく」という判断をされてしまっては、残念ながら拉致問題は永久に解決されない。これが私がずっとこの問題にかかわってきた中において得た結論でもあります。だからこそ、大切なことは、国際社会と連携しながら、圧力をかけるべきところは圧力をかけながら、その中において、チャンスをつかみ、北朝鮮の変化を見極めながら、対話を行っていくことではないかと思います。

猪木:最後にスポーツ交流ということで。やはり今、イラクの人質の解放のときもスポーツの時間、プロレスの時間がありました。そこで胸をひらいた、本当の会話が出来る。今言われたとおり、壁は本当に高く、拉致という問題があります。その中で、対話という、先ほど言われた話し合いの場で、その先にあるもの。私はこの前も、その招待状をいただくときにですね、とにかくとことんひざを突き合せて話をしましょう。その時にどちらかが喧嘩別れになるような結果では困ります。次につながるような話し合いで終わらせてください、と先方の皆さんにお話しをしました。

そして、出来れば、先ほどご答弁いただきました、その訪朝団にですね、政府の安倍総理が一番信頼がおける方にご同行していただければ、何か今言われた壁の向こうに、一つの明かりがあるのではないか。そんな私のいままでやってきた「闘魂外交」ということなのですが、その辺については、総理はどうお考えですか?

安倍:人と人とを結びつける上においてですね、スポーツとか文化の力は大変大きな力を持っていると思います。プロレスにおいてもですね、私も子どもの頃、猪木さん対ブルーノ・サンマルチノ の戦いを手に汗握ったことも覚えております。

ハルク・ホーガンとの闘いもテレビの前で熱中したことも覚えておりますが、しかし北朝鮮におきましては、先程来申し上げましておりますとおり、拉致問題、核問題、ミサイル問題を解決する上において、国際社会と共に連携をとりながら、制裁を課しているところでございまして。対北朝鮮措置を行っている中において、我が国から北朝鮮への渡航の自粛を要請しているわけでございまして。その中において、北朝鮮との音楽やスポーツ等を通じた交流、あるいは議員との交流、そうしたものをふまえて、適切に対応されるべきものだと思います。

猪木:飯島参与もいかれたこと、、非常に第一歩踏み出したことだと思いますが。あとでお聞きします。政府も了承の上で行かれたというこでですね、そういうような壁が厚ければ厚いほど、私どもはもそこに向かって体当たりで本当に日本の国家のために頑張って行きたいと思います。時間がもうないということで、まだまだたくさんききたいことがありましたが、今日はありがとうございました。

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