●ナイナイきっかけに上京したら『めちゃイケ』に

注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、『水曜日のダウンタウン』(TBS)であの「おぼん・こぼん企画」を担当し、『さんまのお笑い向上委員会』(フジテレビ)の総合演出を務める池田哲也氏だ。

おぼん・こぼんの最悪なムードからまさかの仲直りや、芸人たちの戦場で繰り広げられるカオスなど、奇跡が起こる現場に立ち会ってきた池田氏。そのエピソードや、これまでのテレビマン人生を語る中でたびたび飛び出すのは、「怖い」という言葉だった――。

○■『27時間テレビ』へ地獄の準備の岡村隆史に密着

池田哲也1980年生まれ、兵庫県出身。近畿大学卒業後、『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ)のADとなり、以降『ふくらむスクラム』『FNS地球特捜隊ダイバスター』『マツコの部屋』『爆笑!大日本アカン警察』(フジ)、『クイズ☆スター名鑑』(TBS)などを担当。現在は『水曜日のダウンタウン』(TBS)でディレクター、『さんまのお笑い向上委員会』(フジ)で総合演出、『イタズラジャーニー』(同)で演出を務め、4月19日(19:00〜)放送の特番『ピンチからの挑戦状(笑)』(同)も演出する。

――当連載に前回登場したディレクターの斉藤崇さんが、池田さんについて「仙台の番組を一緒にやったことがあって、ロケをいかに早く終わらせて最終の新幹線まで飲むというのをいつもやってたんですけど(笑)、今一番忙しいんじゃないかと思うくらい脂が乗ってるし、おぼん・こぼんさん以外でもフジテレビの番組もいろいろやっていると思うので、これからさらに注目されてカリスマになってほしいなと思いますね」とおっしゃっていました。

どういうメッセージなんでしょう(笑)。仙台では、10年前くらいにアイドルグループとアルコ&ピースの番組をやっていて、1日に2〜3本撮りきらないとダメだったのでベテランの斉藤さんに手伝ってもらってたという感じですね。毎度、ギリまで駅の寿司屋で飲んで超ダッシュで最終に乗り込んでました(笑)

――この業界にはどのように入られたのですか?

僕、あんまり大学にちゃんと行ってなくて、何も考えずに生活してたんですけど、気がついたらみんな就活しだして、一緒に遊ぶやつが少なくなってきて。このまま卒業して、ふざけて遊べる人が周りにいなくなったらちょっとマズいな…と思って、もっといっぱい面白い人がいるところに行かなきゃと思ったのがテレビの世界だったんです。ただ、自分が通用するか分からないので、ずっと聴いていた『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)にハガキが読まれたら神戸から上京しようと思ったんですよ。ハガキ職人から(放送)作家になる人が多いというのを聞いてたので。

それで1〜2カ月くらい送っていたら自分の書いたハガキが読まれたので、「とりあえず東京行くか!」と思って夏のリゾートとか冬のスキー場とか一気にお金が集まりそうなバイトをして、卒業後に何も決めず勢いで上京しました(笑)。適当に風呂なしボロアパートを借りて、1週間生活していると『B-ing』(求職雑誌)でマスコミ特集が出ると知って。作家へのなり方が分からなかったので、とりあえずADでも何でもテレビの世界に潜り込めりゃいいや!と思って制作会社に応募して受かって。その派遣先が『めちゃイケ(めちゃ×2イケてるッ!)』(フジテレビ)のADで…。ナイナイさんのラジオきっかけで上京したので、びっくりしましたね。

――応募したときは、『めちゃイケ』へ派遣している制作会社だと知らなかったのですね。

2社受かって、1つはリサーチ会社だったんですけど、もう1個の会社はフジテレビで働けるということだったので、当時のフジテレビってやっぱりすごいじゃないですか。なので、そっちの会社に入って、中嶋(優一)Pのところに面接に行って。

――『めちゃイケ』は大変な現場だったとよく聞きます…。

ADを5年やったんですけど、とにかくめちゃくちゃしんどかったですね(笑)

――その中でも印象深い企画は何ですか?

2004年の『27時間テレビ』に向けた、岡村(隆史)さんとの1年間のボクシングジム通いです。他の企画も常に激しく稼働してる番組だったので、途中からAD2〜3年目の自分が小さいカメラ持って、死ぬほど苦しい練習を黙々とこなす岡村さんの姿を撮ってました。画撮りはめちゃくちゃ下手くそでしたけど…。OAではさほど描かれない地獄の準備をする岡村さんはやっぱりすごいなと。そしてこの1年間、企画を黙って遂行する(総監督・片岡)飛鳥さんへの信頼も本当にすごいな、すごいチームなんだなと思いました。

たまにジム帰り、岡村さんがご飯に誘ってくれたのはめちゃくちゃうれしかったですね。で、いろいろ思うこともあって5年で番組を離れることになるのですが、最後に楽屋挨拶に伺った加藤(浩次)さんには「テメーだけはやめねぇと思ってたけどな!」、矢部(浩之)さんには「このあと時間あるか?」と、カラオケに連れて行ってもらい大騒ぎさせていただきました。おふたりなりの温かいエールを送ってくれていたのかな?と勝手に解釈しています。

○■マツコ・デラックスからロックオン状態

――そこからまた別の番組に移っていくんですね。

特番でいくつかディレクターをやらしてもらえるようになって、『(FNS地球特捜隊)ダイバスター』(フジテレビ ※1)が、レギュラーで初めてがっつりディレクターをやった番組だと思います。

(※1)…来たるべき知的生命体からの質問に備え、あらゆる謎を調査解明するために組織された機関・ダイバスターの活躍を描く……という設定でくだらない検証や実験を行う番組

――遠藤達也さん(※2)のところに。

『めちゃイケ』のディレクターだった近藤(真広)さんが、総合演出をやっていた『はねるのトびら』でドッキリに慣れてる騙し役のディレクターが欲しいということで電話をくれて、お手伝いしに行ったら遠藤さんがいたんです。そんなに絡んだ記憶はないんですけど、それから『ダイバスター』に呼ばれた感じですね。

(※2)…『月曜から夜ふかし』の「言われてみれば見たことないものを調査した件」や、『寺門ジモンの取材拒否の店』『ろみひー』などで知られるディレクター

――『ダイバスター』大好きでした! やっぱりくだらない調査を考える会議は楽しかったですか?

楽しかったですね。でも、ほぼほぼ遠藤さんの脳みその中にあることをやるという番組だったんですよ。遠藤さんが「うーん。これは俺もどう撮ったらいいか分かんないなあ。面白く撮ってきてよ!」とか言われて、探りながら撮ってくる感じでした(笑)。『めちゃイケ』の飛鳥さんは会議で理論立てて、細やかなところまで徹底的に作ってたんですけど、遠藤さんはひらめきと「会議飽きちゃうなあ」みたいなノリだったので、びっくりしましたね。同じ天才でも考え方は全然違うなと思いました。

マツコ・デラックス

――『ダイバスター』の後番組で始まった『マツコの部屋』で、池田さんはマツコ・デラックスさんとがっつりやり取りされていました。

「マツコさんが満足するVTRを見せる」という番組だったんですけど、そのスタジオ進行を出役でやってましたね。台本がないからめちゃめちゃしんどくて、嫌でしたね(笑)

――完全にマツコさんにロックオンされている状態でしたもんね。もう千本ノックという感じでしたか?

はい。あの番組では、本番までマツコさんに会わないようにしてたんですよ。本番でいきなり会うほうが怒られやすかったので(笑)。あと、地図付きで僕の家の住所とか出されてるし(笑)、変な情報を与えると何をしゃべられるか分からないっていう恐怖感もあったので。

――それがOAされたってすごいですよね(笑)

近所の焼き肉屋の人に「家近いですもんね」って言われたり、何回か家の近くで声をかけられたときは「怖ー!」って思いましたよ(笑)

――その後は、どんな番組を担当されていったのですか?

ダウンタウンさんの『(爆笑!大日本)アカン警察』(フジテレビ)をやらせてもらったりしました。子供の頃から死ぬほど影響を受けてきたダウンタウンさんに「会える!」ってなったときは、初めて親に仕事のことで電話したかもしれません(笑)。そして今は、『水曜日のダウンタウン』もやらせてもらって、いまだに信じられないですね。まだ入って2〜3年しか経ってないんですが。

――そうすると、おぼん・こぼん師匠の企画は比較的入ってすぐに担当されたんですね。

そうですね。

●「多少殴られてもいいや」と臨んだおぼん・こぼん企画

――長期シリーズとなったおぼん・こぼん師匠の企画ですが、最初は「解散ドッキリ」を仕掛けるという内容でした。

ナイツさんに「師匠クラスの方で解散ドッキリやりたいんですけど」って相談をして、めちゃくちゃ仲がいい東京丸・京平師匠と、ハード目だけど仲が悪いおぼん・こぼん師匠という2パターンでどうでしょう?ということになったんです。あの時は、おぼん師匠に解散をふっかける仕掛け人のお願いをしに行って「分かった」と言ってもらったんですけど、いざドッキリが始まったらこぼん師匠に全然解散の話をせず、日頃の不満をどんどん言いだして(笑)。ナイツさんもマジで焦ってるから、「これはいつもよりヤバいやつだ」と思って。「本当に解散しちゃう!」と大慌てで、ネタばらしに行った感じですね。

――こぼん師匠がおしぼりを投げたときは、ヒヤヒヤしました。

途中、藤井(健太郎、『水曜日のダウンタウン』演出)さんに電話して「結構ハードな状況です」って言いましたから。

――それがOAされ、以降もシリーズとして続けていくというのは最初から決まっていたのですか?

いやいや全然。OAが終わってから高須(光聖)さんと藤井さんとしゃべってるときに、「またおぼん・こぼん師匠で何かやれたらいいですね」っていう話をして、いくつか企画案を出した感じです。

――それで第2弾が催眠術をかけて仲直りさせるという企画でした。前回がああいう結果だっただけに、緊張感はすごいですよね。

めちゃくちゃ緊張しましたけど、だからこそ面白くなるんじゃないかというのもあるので。ナイツさんもいるし、「多少殴られてもいいや」という気持ちで撮りました。本当に仲直りしてほしかったですし。

――あのまま放っておくわけにはいかない、と。

催眠術はちょっとふざけ過ぎたかもしれないですけど(笑)

――でも、うまく行きかけましたよね。

そうなんです!(催眠術師の)十文字幻斎さんには、年齢の高い方はかかりづらいと言われてたんですが、何とかお願いしてやってもらったんですよね。

――そして結局2回目も失敗で、また怒られてしまいました。

こぼん師匠は毎度すぐ帰ってしまうので、ナイツさんと謝りに行っても全然お話しすることができないんですよ。あの、帰っていく後ろ姿を見てるときが一番怖いです(笑)

○■OAよりもっともっと長い説得の時間

――そこから次の「おぼん・こぼんヒストリー」(=NHK『ファミリーヒストリー』のパロディー企画)まで、コロナもあってだいぶ期間が空きました。

ナイツさんに言われたのは、もうドッキリはしんどいだろうと。そんな中、次なる仲直り企画を考えているときに、おぼん・こぼん師匠のこと自体をもっと知りたいという話になってきたんです。正直、『水曜日』内での師匠しか知らないから、『ファミリーヒストリー』っぽく調べてみようということでやりだした感じです。

――2人の仲良かった時代を振り返って、思い出してもらおうと。

でも、あのVTRを作るのはめちゃくちゃ大変でした。師匠にはもちろん言わずに進めているので、思い出の話を取材できない…昔のおぼん・こぼん師匠を知ってる人を探すんですけど、もうほとんどいなくて。情報源が昔の雑誌とかしかなくて、その山のような記事を読んで勉強するってやり方でした。その後、2人の同級生という方が1人見つかったのでお話を聞いて、後半はナイツさんや島田洋七師匠にお話を伺いました。

みんなその後の結婚式のシーンに頭が行きがちなんですけど、僕としてはこの情報集めがとにかく大変でした。あと、ベース『水曜日』に不信感を持っている師匠たちが、VTRをちゃんと見てくれるのかも、マジでドキドキしてましたけど(笑)

――そしてヒストリーVTRを見終わって、こぼん師匠の娘・いづみさんの結婚式に、2人そろって出席することをお願いするんですね。

仲直りできるとしたらもうここしかないと思って頼んだんですけど、こぼん師匠は「2人が結婚式になあ。うーん」という感じで、本当に来るのか分からない温度だったんです。だから、娘さんにめちゃくちゃ頼みました。もう娘さんのパワーしかないと思って。そしたら、当日いらっしゃったんですよ。

――2人がいらっしゃって、いづみさんの両手をそれぞれ組んで登場したときに、スタジオもお茶の間も盛り上がりました。そして、いづみさんの「仲直りしていただけないでしょうか?」に、こぼん師匠は「普通に戻りましょうか?」と歩み寄った。にもかかわらず、おぼん師匠が納得せず、式場から怒って出ていってしまうという…。

あの段階では僕としては、まだそんなにめちゃくちゃヤバいなという感じはしてなくて、変な言い方をすると1つまたハラハラドキドキする展開になってきたなという気持ちもありました。そこからナイツさんが説得してくれて、マネージャーの谷川さんも気持ちを言ってくれて、無事おぼん師匠に戻っていただけることになったんです。ただ、それはOAよりもっともっと長い交渉時間でしたね。

――真っ昼間だった外がいつの間にか夕暮れ、これはものすごく長いロケなんだろうなと思いました。

それで戻ってすぐに、おぼん師匠が手を差し出しこぼん師匠も握手してくれたから、これで仲直りしてハッピーエンドで終われる!と思ったんです。そしたらまさかの、こぼん師匠が「仲直りじゃない!」と言いだして…「このパターンがあるのかあ!」と思って。その上、もう解散すると言いだしたので、これはマズいことになったなと。

――自分の企画のせいでレジェンドコンビが解散してしまう…。

そうそうそう。うわヤバー!!と思って、藤井さんにも「結構エラいことになってきてます」って現状報告だけして、それぞれ控室に入ってもらって「1回冷静になりましょう」と話して。おぼん師匠のところには手伝ってもらっていたディレクターに対応をお願いして、僕はナイツさんとこぼん師匠の部屋に行って、「もう仲直りとかはどうでもいいんで、とにかく解散ということだけはやめましょう」「こんなことで演芸界に損失を出してはいけないし、まだまだ後輩に2人の漫才は見せていくべきです」と説得したんです。

そしたら、こぼん師匠に少し笑顔が見えるようになってきたので、今度はおぼん師匠のところへ行って話したら、やっぱり「漫才が好き」とおっしゃるんですよ。それで、「たしかにこんなことで漫才辞めたらあかん」となったので、僕としては「とりあえず解散はなしということで、終わらせ方は後で考えよう」と。すると、突然おぼん師匠が撤収中の式場に戻って行って、そこからはあれよあれよと。

――式場で座ってたこぼん師匠と急に握手して、一気に仲直りとなりました。ナイツさんは涙されていましたが、池田さんはいかがでしたか?

もうめちゃくちゃうれしくて、おぼん師匠と思わずハグして…。いやあ、本当に良かったなあと思いましたよね。

○■解散宣言のままで「OKです」は絶対言わないと決めていた

――あの急展開は、本当に驚きました。やはり漫才コンビ独特の関係性とか距離感ということなのでしょうか?

漫才がとにかく好きだというのは、分かってましたから。絶対に意地張ってるだけなんだと思うし、その気持ちも分かるし。でも、とにかく解散だけはダメだと思って、めっちゃ怖かったですけど、あの険悪モードの解散宣言のままで「(撮影終了の)OKです」は絶対に言っちゃダメだとは腹をくくってました。

――池田さんやナイツさんの説得に加え、マネージャーの谷川さんがMVPだという声もありましたが、やはり存在は大きかったですか?

そうですね。揉めてるときは、本当に僕は無力だと思いましたから。谷川さんにはその前から、こっちが毎回複雑なオファーをしている状況の中でいろいろやってもらって、本当は「おぼん・こぼんヒストリー」も嫌だって言ってたんですよ。「もうこれ以上良くならないですよ」って。

――もう『水曜日』で触らないほうがいいと。

でも、こっちとしては「変な企画じゃなくて、本当に昔のVTRを見て、かつてはこんなに仲良かったんだっていうことを思い出してほしいだけなんです」とお願いして。解散回避の説得をしてたときは、たぶん谷川さんもめちゃめちゃビビってたと思いますけど、だんだん熱くなってきて、普段は不満を言わない人が日頃思っていたことを言ったというのは、相当インパクトが大きかったんじゃないかと思います。

――でも、谷川さんが最終的に企画をOKしてくれたのは、池田さんの「仲直りしてほしい」という気持ちが伝わったからではないでしょうか。

そうですかね。本当は谷川さんが一番仲直りしてほしいと思ってたでしょうし。「同じ空間に2人がいないから、それぞれに同じことを2回言わなきゃいけないからめんどくさい」って言ってました(笑)

池田哲也氏(中央)とおぼん・こぼん=池田氏提供

――仲直り後、おぼん・こぼん師匠からは「君のおかげや」という感じですか?

冗談ではそう言ってくれますけどね(笑)。OA後に東洋館へ行かせていただいたのですが、舞台上から「あいつがしつこかったからや」と言ってくれて、それはうれしかったです。

――「おぼん・こぼんヒストリー」「おぼん・こぼん THE FINAL」の回は、スタジオのパネラー陣も全員芸人さんというのが、また良かったです。

藤井さんと話して決めました。おぼん・こぼん師匠のことを昔から知ってる伊集院(光)さん、漫才師ということで麒麟の川島(明)さん、女性目線でも見てもらいたいということで柳原可奈子さんですね。

――『水曜日のダウンタウン』で、他にも手応えのあった担当企画を挙げるとすると、何になりますか?

「お互い負けるように指示されたダブル八百長対決」ですね。キングコングの梶原(雄太)さんとJOYさんがPKを外しまくるというありえない状況でも、止めずにずっと撮っていくので、結構ハードな収録なんです。本当にスタッフも頭おかしくなるような現場なんですけど…僕はああいうの見てるとめちゃくちゃ笑っちゃうので、何度もカメラの後ろに隠れて堪らえてました。

あと、「芸能界一細い隙間通れるの片岡鶴太郎説」もわりと好きですし、「ヤラセ設定持ちかけられた芸人、番組成立のためならついつい片棒担いじゃう説」でザ・マミィさんにウソの家族と実家ロケやってもらうのとか、ナダルさんが知り合いを電話である場所へ呼び出す企画も良かったです。

――「解散ドッキリ」は、おぼん・こぼん師匠以外の若手でも、他の担当Dさんがやってるじゃないですか。アドバイスなどはされるのですか?

いや、全然しないです。ただ、「俺のほうが怖かったけどね」って思います(笑)

●さんまに「全部見られてる」感覚

――『さんまのお笑い向上委員会』では総合演出を担当されていますが、(明石家)さんまさんとはこれが初めてのお仕事でしたか?

はい、そうですね。

――となると、プレッシャーは相当大きかったのでは。

さんまさんは自分の番組のOAを見るとおっしゃるじゃないですか。だから自分の編集が見られるのか…とか思いますし、あの芸人の皆さんの魂が込められた聖域にハサミを入れるというプレッシャーもありますね。

――特にあの番組は、独特な目線でのテロップがありますし。

あれはいまだに正解が分からないんです。テロップなんかなくても全然面白いんですけど、難しいお笑いが多発する中で、テレビとして「ここが今面白い瞬間なんです」というのを分かっていただくために入れたものなんですよ。相当集中して見てないと一瞬で次の話に行っちゃう番組なんで、最短のワードで邪魔をしないように、そして、そこに少しだけ自分のエッセンスをというのを意識しています。

――文字数が限られる上にただの説明じゃない面白さを入れないといけないし、入れるタイミングも考慮しなければいけないですよね。

発言をなぞるテロップじゃない分、一番考える編集かもしれないですね。画をつないでるときに、「こういう感じで行こうかな」となんとなくイメージして、後はもう1回見直したときに、説明臭かったり、この尺じゃ読み切れない、もう少し変なワードにしたいと思ったりしたら修正して、という作業です。

――やっぱりこの番組はカロリーの高い収録ですか?

本当に怖いですね(笑)。うっすらトークテーマは決まってますけど、もちろんどうなるか分からないですし、さんまさんは誰かが事故っても諦めずに立て直してやってくださるんですけど、本当のカオスが続いてしまうこともあるので、何が撮れるのか分からないという怖さがあります。いつも、収録前は「ちゃんと撮れますように」と思ってますから。

――でも、さんまさんがちゃんと手綱を締めることで番組として成立していると。

そうですね。だから、ボス(=さんま)がエレベーターから降りてくると、「収録が来るぞ」という気持ちで、楽屋で1分くらい簡単な説明をするだけでも、いまだに緊張します。さんまさんって、僕の父親と1歳違いなので、本当にすごいなと思いますよ。自分の父親はもうだいぶおじいちゃんになってるのに。

――いつもスタジオに入ると走ってMC卓に向かって行かれますし。

マジですごいと思います。この話はどこから入れようと思ってたんだろうとか、本当に後ろに目が付いてるんじゃないかと思うときもありますし。現場でもそうなんですけど、編集で見直してるときに特に感じますね。「これどこで見てたんだ!?」っていうことがあると、こっちも全部見られてると思って、そこの怖さもあります。

明石家さんま=『さんまのお笑い向上委員会』より (C)フジテレビ

○■他番組・他局でも触れるMCたち…「最高に愛のある人種」

――コロナの初期で収録を再開した頃、2階建てのひな壇セットを作ったじゃないですか。あれは、やはりリモートでつなぐよりも、大掛かりなセットを作ってでも現場でのやり取りを優先したということですか?

そうですね。ただ言葉で面白いことを言ってるだけの番組じゃなくて、さんまさんに急に振られたことによって「えっ!?」となって即座に返したり、そういうドキュメントを見てるような番組だと思うんです。だから、「こう来たら、こう返す」というのが、同じ言葉でもリモートと同じ現場同士では全然違うと思って。

――芸人さんたちによるセッションと言いますか。

はい。だから、もう本当に早くアクリル板を取りたいですね。ツッコめないし、触れられないし。魔王(=ザブングル加藤)なんて触れてナンボみたいな感じでしょうし、もっと爆発できるのになと思います。本当に早くコロナ終わってほしいですね。

――他に、あの番組の演出で意識されている部分はどんなところでしょうか?

僕のイメージで、さんまさんとあまり会ったことがない芸人さんがやってくる番組を目指してるんです。あぁ〜しらきさんとかチャンス大城さんとかベテラン勢や、『(踊る!)さんま御殿!!』(日本テレビ)にはまだ出ないような、『(痛快!)明石家電視台』(MBS)の大阪組でもないような若手芸人さんがさんまさんと絡んでどう輝くのか。また、陣内(智則)さんが「誰にその言い方してんねん!」とよく言うように、若い人のほうがさんまさんに萎縮せず思い切り当たれるような感じもあるので、そこも『向上委員会』でしかあまり見れないところだと思います。

――“モニター横芸人”のみなさんは、どのように選んでいるのですか?

本人が来たいと言ってくれたり、事務所の推薦だったり、僕が何かしらで見たりした人というのもありますけど、これも正解は分からないです。この人選も、さんまさんに僕の脳みそを見られているようで緊張しますね。あのポジションって、ネタが面白いだけじゃなくて、やっぱり絡んだときにちょっとおっちょこちょいの人が面白くなったりするじゃないですか。ワタリ119とか特にそうだったですけど、後トークも含めてハマった人が多いから、ネタよりも人の感じで見ていますね。

――あそこからワタリさんもそうですけど、しゅんしゅんクリニックPさん、Yes!アキトさんなど、売れていく芸人さんが次々に生まれていきますよね。

やっぱり、さんまさんに触れてもらって、面白さが引き出されるというのがありますよね。さんまさんって、モニター横芸人のギャグが自分の脳に刻まれると、『ホンマでっか(!?TV)』(フジテレビ)とか『さんま御殿』とかで、それをいきなり披露するんですよ。さんまさんの頭の中で残ってたら、その人が売れてるとか売れてないとか関係ないみたいで、この前『ホンマでっか』で急にあぁ〜しらきさんのモノマネして、スタジオの全員が一瞬「ん!?」ってなったそうですから(笑)

――でも、そうやっていろんな番組で触れてあげるのは優しいですよね。今田耕司さんも『オールスター感謝祭』(TBS)で『向上委員会』に出てる芸人さんがいたらちゃんと触ってあげてますし。

そうですね。そこはみなさん「チーム芸人」って感じで本当に優しいですよね。最高に愛のある人種だと思います。

●テレビだからこそできる予算・人員の規模



――今後こういう番組を作っていきたいというものはありますか?

芸人の方々とたくさん接しながらできる番組が、ずっとできるといいなという感じですね。

――視聴率の指標が変化して、お笑い番組に親和性が高いコア層(13〜49歳など)が重視されるようになって、追い風を感じる部分はありますか?

そうですね。この間やった『イタズラジャーニー』(フジテレビ、21年11月21日放送)ができたのは、良かったなと思いました。あの番組に出てもらったかまいたちは『ふくらむスクラム』で一緒にやってて、小僧Dとまだ売れてなかった2人がゴールデンの3時間特番を演出とメイン出演者という関係でやれたのが、何だかうれしかったです。

――感慨深いものが。

向こうはもう背中が見えないくらい遠くに行っちゃった感じですけど、こうしてまたガッツリした場で一緒にやれるのは不思議な感じがしましたね。

あと、1つ伝えたいことが。濱家(隆一)に昔、安物ですけど時計をあげたんですが、「酔っ払って失くした」と人づてに聞いたので、美味しいものでも奢ってほしいですね(笑)

――池田さんはYouTubeとかもやってらっしゃるんですか?

全然やってないです。声かからないですから(笑)。それと、さんまさんがこの前「中川家はYouTubeやってへんよな?」とイジってたので、「さんま組はまだYouTube禁止なんだ」って思いました(笑)。でも、オファーがあれば全然やってみたいです。

――では、テレビを主戦場とするお立場で、配信系が勢いを増す中でのテレビの役割というのは、どう考えていますか?

さっき言った『イタズラジャーニー』をやったときに、久々に『めちゃイケ』で経験した規模のスタッフが動いて、それを自分が仕切らなきゃいけないという恐怖もあったんですけど、やっぱりテレビじゃないとかけられないお金とか人の数とかあると思うんですよね。YouTubeでもいっぱいお金使う番組はあるんでしょうけど、『めちゃイケ』の美術さんとかと一緒にやらせてもらって、「テレビっぽいなあ」と思いながら作ってました。

かまいたち

――ご自身が影響を受けた番組を挙げるとすると、何ですか?

死ぬほど面白いなあと思ったのは、『世界で一番くだらない番組』(フジテレビ)ですね。僕が東京に行くと決めて冬の長野のスキー場で住み込みのバイトをしてたとき、そこで見たんですよ。たぶん、地元(神戸)ではやってなくて、テレビをつけたらめちゃくちゃしょうもないことやってて面白いなあと思って。後に遠藤(達也)さんがやってたと知るんですけど、全然知らないところでこの人に影響を受けてたんだなあと思いました。『ごっつ(ダウンタウンのごっつええ感じ)』も『(天才・たけしの)元気が出るテレビ!!』も『(とんねるずの)みなさんのおかげです』も見てましたけど、わりかし大人になって衝撃を受けたのは、この番組ですね。

――いろいろお話を聞かせていただき、ありがとうございました。最後に、気になっている“テレビ屋”をお伺いしたいのですが…

フジテレビの音楽番組をやってる松永健太郎さんです。ADの頃、松永さんは『スマスマ(SMAP×SMAP)』で、僕は『めちゃイケ』をやっていて、いつも「眠いっすねえー」とか言いながらタバコを吸っていた仲です。今は『FNS歌謡祭』とか演出してて、すごい人になったから「この人が知り合いです」って言ったらちょっとカッコいいかなと思って(笑)

次回の“テレビ屋”は…



『MUSIC FAIR』『FNS歌謡祭』松永健太郎氏