エリートとのお見合い婚からどん底の19年間。夫の家族が隠していた秘密
夫との関係に悩みながらも、経済的事情などで離婚に踏みきれない方は少なくありません。ただ、毎日がつらくて笑顔にすらなれない状態なら、一歩踏み出してみることで案外幸せになれることも――。
それを証明するのが、思春期の子ども二人を連れて、44歳で離婚した酒井マサコさん(59歳・営業職)です。酒井さんは25歳で結婚して19年間専業主婦をした後、子連れ離婚を決行しました。「19年間も我慢してしまったけど、離婚したら心も体もみるみる元気になった」と振り返る酒井さん。どのようにして幸せになっていったのか、軌跡をたどります。
現在一人暮らしの酒井マサコさん。今の生活に満足しているそう
現在、都内のワンルームマンションに一人暮らしの酒井マサコさん。住んでいる場所も気に入っており、心身ともに健康でいるそう。でも、ここに至るまで、酒井さんの人生には紆余曲折あったといいます。今回は結婚から離婚に至るまでのお話をうかがいました。
話は結婚前、元夫との出会いに遡ります。酒井さんは東京の女子大を卒業後、地方銀行の広報室で約2年事務職をしていました。そんな折、地方で酒店を営む母からお見合いの話が舞い込みます。母は、酒井さんが嫁がないと、跡継ぎとなる兄、そして妹も結婚ができないと心配していたのです。
「私が卒業した女子大にはお見合いをあっせんするOB会があったので、母は勝手にそこでお見合いを取りつけたんです。その相手が、実家が裕福で、かつ当時もてはやされた“3高”(高身長、高学歴、高収入)の条件を満たす、元夫でした。両親はもちろん、向こうの両親もなぜか大乗り気。私はこれが最初のお見合いで、しかも1〜2回しか顔を合わせていない。
迷いましたが、当時、仕事ではセクハラ被害で悩み、行きづまっていたことも後押しして、『私の両親もお見合い結婚をして仲がいいし、相手の人も嫌な感じはしない。これも運命だ』なんて考えて…。周囲に流されるままバタバタッと結婚が決まって寿退社をしてしまったんです」(酒井さん・以下同)
周囲も羨む“3高”のエリートと結婚した酒井さん。ところが、結婚後まもなく、夫の様子に違和感を覚えるようになります。
「子育てや生活まわり全般における彼の判断が、どうもおかしい。不審に思っていたある日、学生時代に事故で高次脳機能障害を患っていたことが発覚。その症状で判断力の欠如やイライラ、物忘れが出ていたのに、それを隠して彼の家は結婚を強行したんですね…。でも毎週末のように義父母が訪れ、話をしているうちに、『まあいいか』という気になって。一男一女に恵まれたこともあり、危ういながらもなんとなく結婚生活を続けました。長男が小学校に上がった頃には、『もうここまで来ちゃったし』と自分を説得する日々でした」
写真はイメージです
そんな矢先、夫が躁うつ病になり、高次脳機能障害とWの症状を抱えるようになります。
「彼の症状はどんどん深刻化して、あるときは勤務先で防災ベルを押して消防車を呼び出してしまったり、またあるときは、帰宅するとエアコンの設定温度を18℃にしてカーテンを閉めきっていたり…。『外からだれかが襲ってくるから守らないといけないんだ』と震えながらつぶやく彼を見て、さすがにおかしいと思って彼の両親に相談したんですが、『マサコさんの方がおかしいんじゃないの?』と言われてしまって…」
以降、酒井さんまで気持ちが沈んでしまうように。30代は心身ともに絶不調だったと話します。
「後から聞いた話、息子も娘も、『うちのお母さんはなんでこんなに暗いんだろう』って思っていたそうです。笑えないし、『私なんか』が口癖で、どんどん人間として小さくなっていく。外に行くと怖くて、顔を上げて歩けない。不安な時は人間内向きになるのか、行動半径は500メートルで、小学校のPTA、図書館、スーパーくらいしか行かない日々でした。チェーン系のカフェに入った経験もなかったんです」
気持ちに引きずられるように体調も悪化。30代半ばから子宮内膜症になり、過多月経と貧血に悩まされる日々。「夫との関係だけでなく、自分の身も心も本当に危うい結婚生活だった」と振り返ります。
「世田谷のマンションに一家4人で住んで、外から見たらすごく円満で幸せに見えるだろうけど、実態は『腐ったメロン』。そこで一歩踏み出したのが、在宅でできる添削の仕事です。義父母は外に働きに出ることは反対しましたが、在宅ならばと許してくれたんです」
そんななか、ある事件が決め手となり、酒井さんは離婚を決断します。
元夫は高収入だった割に、毎月渡してくれる一家4人分の生活費は、住居費を除いた10万円。「たりないから、もう少しください」とはなかなか言い出せない酒井さんは1円単位で細かく家計簿をつけ、生活をきりつめていました。
夫は貯めていてくれているはずだ、と信じていて、生活をきりもりしていたのです。ところがある時から、夫の口座からマンションの管理費が引き落とし不能になり始め、息子の学納金まで「おやじに払ってもらってくれ」と言い出す始末。挙句には、「通帳を失くしたから再発行してくれ」と――。そこで銀行に行くと、すべての預金口座が赤字だったことが発覚します。
「夫はいろんなところに騙されたりして給与をつぎ込んでいたんです。もうほとほと愛想が尽きて、『お義父さん、今こういう状態になっているから、もう卒業させてください』と切り出し、離婚に至りました。正直、当時は『本当に死んでくれたらどんなにラクになるだろう』とばかり思っていました。彼が死んだら生命保険が下りるし、マンションにもそのまま住めますから…。でもこう思う自分自身も嫌だった。別れた方が人間としてマシだと、踏んぎりがついたんです」
写真はイメージです
幸いにも、当時高校生の長男、中学生の長女は両親の離婚に賛成し、ついてきてくれることに。父の危うい状態、それに悩まされる母の姿を長年見てきたため、「離婚したら貧乏するよ」と言っても、「もういいよ」と受け入れてくれたのです。
とはいえ、長年住んできた高級分譲マンションから、いざ小さなアパートへと移り住むと、長男は「こんな貧乏初めて知ったよ」と辟易。一家3人は、そこから厳しい現実に直面するようになります。それでも、離婚してよかったと感じている酒井さんたち。
「娘は、『離婚してからのお母さん、全然違うよ。すごく明るくなった』といいます。実際、体も見違えるように元気になりました。19年も我慢してしまいましたが、本当に合わないと思ったら早く別れた方がいい。それが私の結論です」
●教えてくれた人
59歳、正社員。44歳で離婚し、現在社会人として活躍する二人の子を女手一つで育てあげた。離婚後に就職した社員教育の会社では、営業をしながら文章セミナーの講師なども兼務し、全国を出張で飛び回っている。
それを証明するのが、思春期の子ども二人を連れて、44歳で離婚した酒井マサコさん(59歳・営業職)です。酒井さんは25歳で結婚して19年間専業主婦をした後、子連れ離婚を決行しました。「19年間も我慢してしまったけど、離婚したら心も体もみるみる元気になった」と振り返る酒井さん。どのようにして幸せになっていったのか、軌跡をたどります。
現在一人暮らしの酒井マサコさん。今の生活に満足しているそう
59歳ひとり暮らし。今のほうが身も心も元気なんです
現在、都内のワンルームマンションに一人暮らしの酒井マサコさん。住んでいる場所も気に入っており、心身ともに健康でいるそう。でも、ここに至るまで、酒井さんの人生には紆余曲折あったといいます。今回は結婚から離婚に至るまでのお話をうかがいました。
●周囲の勧めで見合い結婚したものの…
話は結婚前、元夫との出会いに遡ります。酒井さんは東京の女子大を卒業後、地方銀行の広報室で約2年事務職をしていました。そんな折、地方で酒店を営む母からお見合いの話が舞い込みます。母は、酒井さんが嫁がないと、跡継ぎとなる兄、そして妹も結婚ができないと心配していたのです。
「私が卒業した女子大にはお見合いをあっせんするOB会があったので、母は勝手にそこでお見合いを取りつけたんです。その相手が、実家が裕福で、かつ当時もてはやされた“3高”(高身長、高学歴、高収入)の条件を満たす、元夫でした。両親はもちろん、向こうの両親もなぜか大乗り気。私はこれが最初のお見合いで、しかも1〜2回しか顔を合わせていない。
迷いましたが、当時、仕事ではセクハラ被害で悩み、行きづまっていたことも後押しして、『私の両親もお見合い結婚をして仲がいいし、相手の人も嫌な感じはしない。これも運命だ』なんて考えて…。周囲に流されるままバタバタッと結婚が決まって寿退社をしてしまったんです」(酒井さん・以下同)
●夫の異変に気づくも結婚生活を続けた、暗闇の30代
周囲も羨む“3高”のエリートと結婚した酒井さん。ところが、結婚後まもなく、夫の様子に違和感を覚えるようになります。
「子育てや生活まわり全般における彼の判断が、どうもおかしい。不審に思っていたある日、学生時代に事故で高次脳機能障害を患っていたことが発覚。その症状で判断力の欠如やイライラ、物忘れが出ていたのに、それを隠して彼の家は結婚を強行したんですね…。でも毎週末のように義父母が訪れ、話をしているうちに、『まあいいか』という気になって。一男一女に恵まれたこともあり、危ういながらもなんとなく結婚生活を続けました。長男が小学校に上がった頃には、『もうここまで来ちゃったし』と自分を説得する日々でした」
写真はイメージです
そんな矢先、夫が躁うつ病になり、高次脳機能障害とWの症状を抱えるようになります。
「彼の症状はどんどん深刻化して、あるときは勤務先で防災ベルを押して消防車を呼び出してしまったり、またあるときは、帰宅するとエアコンの設定温度を18℃にしてカーテンを閉めきっていたり…。『外からだれかが襲ってくるから守らないといけないんだ』と震えながらつぶやく彼を見て、さすがにおかしいと思って彼の両親に相談したんですが、『マサコさんの方がおかしいんじゃないの?』と言われてしまって…」
以降、酒井さんまで気持ちが沈んでしまうように。30代は心身ともに絶不調だったと話します。
「後から聞いた話、息子も娘も、『うちのお母さんはなんでこんなに暗いんだろう』って思っていたそうです。笑えないし、『私なんか』が口癖で、どんどん人間として小さくなっていく。外に行くと怖くて、顔を上げて歩けない。不安な時は人間内向きになるのか、行動半径は500メートルで、小学校のPTA、図書館、スーパーくらいしか行かない日々でした。チェーン系のカフェに入った経験もなかったんです」
気持ちに引きずられるように体調も悪化。30代半ばから子宮内膜症になり、過多月経と貧血に悩まされる日々。「夫との関係だけでなく、自分の身も心も本当に危うい結婚生活だった」と振り返ります。
「世田谷のマンションに一家4人で住んで、外から見たらすごく円満で幸せに見えるだろうけど、実態は『腐ったメロン』。そこで一歩踏み出したのが、在宅でできる添削の仕事です。義父母は外に働きに出ることは反対しましたが、在宅ならばと許してくれたんです」
●夫の散財が決め手となり離婚を決行
そんななか、ある事件が決め手となり、酒井さんは離婚を決断します。
元夫は高収入だった割に、毎月渡してくれる一家4人分の生活費は、住居費を除いた10万円。「たりないから、もう少しください」とはなかなか言い出せない酒井さんは1円単位で細かく家計簿をつけ、生活をきりつめていました。
夫は貯めていてくれているはずだ、と信じていて、生活をきりもりしていたのです。ところがある時から、夫の口座からマンションの管理費が引き落とし不能になり始め、息子の学納金まで「おやじに払ってもらってくれ」と言い出す始末。挙句には、「通帳を失くしたから再発行してくれ」と――。そこで銀行に行くと、すべての預金口座が赤字だったことが発覚します。
「夫はいろんなところに騙されたりして給与をつぎ込んでいたんです。もうほとほと愛想が尽きて、『お義父さん、今こういう状態になっているから、もう卒業させてください』と切り出し、離婚に至りました。正直、当時は『本当に死んでくれたらどんなにラクになるだろう』とばかり思っていました。彼が死んだら生命保険が下りるし、マンションにもそのまま住めますから…。でもこう思う自分自身も嫌だった。別れた方が人間としてマシだと、踏んぎりがついたんです」
写真はイメージです
幸いにも、当時高校生の長男、中学生の長女は両親の離婚に賛成し、ついてきてくれることに。父の危うい状態、それに悩まされる母の姿を長年見てきたため、「離婚したら貧乏するよ」と言っても、「もういいよ」と受け入れてくれたのです。
とはいえ、長年住んできた高級分譲マンションから、いざ小さなアパートへと移り住むと、長男は「こんな貧乏初めて知ったよ」と辟易。一家3人は、そこから厳しい現実に直面するようになります。それでも、離婚してよかったと感じている酒井さんたち。
「娘は、『離婚してからのお母さん、全然違うよ。すごく明るくなった』といいます。実際、体も見違えるように元気になりました。19年も我慢してしまいましたが、本当に合わないと思ったら早く別れた方がいい。それが私の結論です」
●教えてくれた人
【酒井マサコさん】
59歳、正社員。44歳で離婚し、現在社会人として活躍する二人の子を女手一つで育てあげた。離婚後に就職した社員教育の会社では、営業をしながら文章セミナーの講師なども兼務し、全国を出張で飛び回っている。