若者たちの「使い捨て」を許さない 労働弁護士・大久保修一の戦い
2019年10月、あるアニメ制作会社の男性社員が、残業代の支払いを求めて東京地裁に提訴するという事件があった。
その後、男性に対して残業代などが支払われて裁判は終了したが、現場で働くアニメーターたちの労働環境の厳しさが明らかとなり、注目を集めた。
この裁判の原告代理人をつとめたのが、大久保修一弁護士だ。労働問題に取り組む法律事務所に所属し、ブラック企業や非正規雇用の問題など、労働者の立場に寄り添った活動を続けている。
コロナ禍が続いているこの1年、大久保弁護士は労働問題をどうみているのだろうか。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)
●緊急事態宣言後、深刻化した相談
コロナ禍はどう労働者たちに影響してきたのだろうか。
「労働に関する相談は、時期によって変化があったように感じています。
まず、2020年4月に1回目の緊急事態宣言が出されましたが、その時期には、会社が休業したけれど休業手当が支払われないとか、テレワークが求められるけれど作業環境が整っていないとか、雇用関係が続いている状態での相談が多い印象がありました。
当時、政府の支援制度もかなり急ごしらえでつくられたため、周知も十分ではなかったからか、給付金に関する相談も寄せられていました」
2020年5月、緊急事態宣言が明けてから、相談内容が深刻化していったという。
「雇い止めや整理解雇の問題が多くなってきました。新型コロナに便乗したものも含まれていると思います。そうした人たちの労働審判や裁判をするというケースが増えていきました」
しかし、弁護士に法律相談できるところまでたどり着けないケースも少なくないという。
「最初にクビを切られたり、出勤を制限されたのは、アルバイトの方とか派遣の方であるという報道も多かったと思います。
しかし、実際に相談に来られる方をみると、アルバイトや派遣の方は少なかったように思います。法律相談する前に諦めてしまっているのではないかとも思いました」
●年末年始に「コロナ被害相談村」
労働者が苦境に陥る中、労働者の権利を守る活動をしている日本労働弁護団も、コロナ対応に追われた。大久保弁護士も日本労働弁護団に所属する一人だ。
「2020年4月と7月には、新型コロナに関する労働問題の全国一斉ホットラインをおこないました。
4月段階では自治体などの相談窓口が整ってなかったこともあり、全国では417件、東京でも121件の相談がありました。特に多かったのは、賃金未払いや休業に関する相談でした」
大久保弁護士は、その後、日本労働弁護団の公式ホームページで公開された新型コロナに関する問題( http://roudou-bengodan.org/covid_19/ )のQ&Aづくりにも携わった。
「これは、新型コロナによる休業で休業手当が支払われない、仕事中に感染してしまった場合に何が補償されるのかなど、働くうえで起きる問題について、法的にはこうなっているから、こういうふうに対応したほうがいいというアドバイスをしているものです」
しかし、2020年も年の瀬になっても、新型コロナは猛威をふるい、それに伴って労働環境は悪化していった。
「12月半ばには寒波が到来していましたし、仕事も住居もない人には本当に厳しい年末になることが予想されました。そこで、弁護団と労働組合、市民運動の有志で『年越し支援・コロナ被害相談村』を実施することにしました」
実行委員会は、リーマンショックのあった2008年末に東京・日比谷公園で「年越し派遣村」を開いたメンバーが中心となった。コロナ被害相談村は、年末年始の3日間、東京・新宿の公園で開かれ、相談会や食事の提供、臨時に開けられていた行政窓口への申請同行も実施された。
●12年前の「年越し派遣村」が活かされた
コロナ被害相談村は、新型コロナの労働問題を浮き彫りにした。
「相談には、所持金も少なく、生活に困窮されている方が、多くいらっしゃいました。
こちらでも労働相談というよりは、職も住居も失っているような方も想定して準備していたものの、本当に『住むところも食べるところもない、生活できないです』というご相談が多かったです」
2008年末の年越し派遣村でのノウハウが、そこには活かされたという。
「そうした相談に対応するために、食料品を提供したり、一部の所持金がないという方にお金を支給したりするために、あらかじめカンパを募ったうえで、支援をおこないました」
コロナ被害相談村が実施された新宿区も、臨時に生活保護の窓口を開いた。大久保弁護士たちは、生活保護の申請をしたいという人に同行した。
「コロナ被害相談村は3日間実施しましたが、その後も困ってご連絡をいただく方がいたので、生活保護の申請に同行したりしています。
こうした取り組みを続けていくことは、本当に大切と痛感しました。一方で、私たちがこういう活動をしなくて済むくらい、政府の支援も必要だと思います」
●忘れられない遺族の言葉
大久保弁護士が弁護士登録したのは2014年。以来、ずっと労働問題と向き合ってきた。何がきっかけだったのだろうか。
「正直に言うと、今の法律事務所に入ったことが、一番大きいですね」と笑う。
大久保弁護士が所属するのは、60年以上にわたり労働問題に注力してきたことで知られる法律事務所。必然的に、大久保弁護士も労働問題に取り組むようになった。
労働弁護士の仕事は、決して易しいものではない。それでも、今までがんばってこられたのには、理由がある。
「入所1年目に担当した労災事件がありました。
ある男性が亡くなり、ご遺族からご依頼を受けて、労災の申請や、会社との交渉を担当しました。無事に労災認定され、会社からも賠償してもらえたのですが、事件後にご家族と担当弁護士で食事会をしたことがありました。
その男性には、お子さんがいらっしゃって、大学の進学をあきらめようと思っていたそうです。実際、一度は就職したのですが、会社からの賠償によって生活できるようになったので、大学に進学することができました。
『先生たちのおかげで、本当にありがとうございました』とお子さんに言われて、自分たちの仕事は、ご遺族の悲しい気持ちに寄り添える仕事と信じていますが、それだけじゃなくて、残された方々が前向きな未来に向かえるよう、お手伝いもできる仕事だと思えました」
この事件を通して、自分にとってやりがいになる分野だなと実感したという。
「労働事件は、難しいこともたくさんありますが、これからもがんばっていきたいと思いました。この話をすると自分で涙ぐんじゃうんですけどね(笑)」
●弁護士だった父の背中をみて育つ
弁護士になろうと思ったのは、埼玉県で弁護士をしていた父、大久保和明弁護士の背中を見て育ったから。
「小学校のときに卒業アルバムにも、将来の夢は弁護士と書いていました。小さいころから父親に憧れてはいましたね。よく事務所に連れて行ってもらって、父が仕事をしているところを見ていた記憶はあります」
しかし、高校1年の夏、敬愛していた父が事務所から裁判所へ向かう途中、倒れてそのまま急逝してしまう。大久保弁護士は、父の背中を追うように早稲田大学法学部に進学。卒業後は早稲田大学法科大学院で学び、弁護士となった。
父の働いていた法律事務所には「甘えてしまうから」と入らず、現在の法律事務所へ飛び込んだ。
「今でも父を知っている先生にお話を伺うことがあります。多くの人たちの面倒をみたり、立派な活動してたんだなと思います。
ただ、父に追いつけ、追い越せ、ということはあまり気にしないで、自分らしく仕事に取り組めたらと思います」
●アニメ業界の「やりがい搾取」の構造
そんな大久保弁護士が取り組み、大きく報道された事件があった。2019年10月、アニメ制作会社の男性社員が、未払い残業代の支払いを求め、東京地裁に提訴したのだ。
原告代理人をつとめていた大久保弁護士からみたアニメ業界には、構造的な問題を抱えていた。
「アニメ業界で特徴的なのは、フリーランスや業務委託などと呼ばれる働き方の人の割合が多いことです。
社会保険に入れなかったり、毎月固定の給与体系になっていなかったり。労働時間もきちんと管理されていない人が少なくないです。そうすると、残業代も払ってもらえないので、長時間労働・低賃金になりやすい環境ですね。
中には、本当は労働契約として扱わなければならないケースもあると思います。特に若手の人にとっては、かなり過酷だという印象はあります」
実際、この裁判で注目を集めたのはその劣悪な労働環境だった。
「もちろん、きちんとしている会社もあるとは思います。ただ、どうしてもアニメを制作するにあたっては、実行委員会形式が多くとられていて、声優さんや宣伝など、いろいろとお金がかかる中で、制作会社の予算としてもらえるのは一部です。
しかし、高いクオリティで制作を要求しようとすると、長時間、緻密なものを描かざるをえない。そうすると、従業員に振り分けられる金額はわずかになってしまいます。
『会社からの予算はわずかだから、仕方ない』という状態で働く構造は、やりがい搾取にもなりやすいです」
●長時間労働の問題解決に
そうした問題は、アニメ業界だけに限らない。しかし、少しずつ社会の変化もあるという。
「電通の高橋まつりさんの過労死事件は、みなさんの印象に強く残っていると思いますが、過労死や働き過ぎに対する世論の厳しさは年々、強くなってきています。働き方改革といわれ、長時間労働の抑制に対する雰囲気もあるのではないでしょうか。
ただ、一方で、長時間労働の残業代をうまく支払わずに済むような制度をブラックな会社では作ったりしていますし、業務委託契約だといって、そもそも労働基準法などの規制を免れようとするケースもあります。いたちごっこですね」
労働問題に取り組む弁護士は、まだまだ必要とされている。
「今後も、労働時間に関する問題や若者の労働問題には取り組んでいきたいです。 働きすぎて身体を壊したり、亡くなってしまうという悲しい出来事が後を絶たない現状は変えたいです。
日本の法制度の中で、『働かせすぎ』を抑制するために最も大事なことは、『会社が残業代をちゃんと払う』というルールを徹底することだと思っています。
このルールを徹底していなかったり、抜け道があることで、『残業代を払わなくても残業をさせることができる』から『働かせすぎ』につながる現状があるのではないでしょうか。
また、インターネットで検索すれば、いろいろな知識を得られるようにはなりましたが、『うちの会社ではこれでいいんだ』と言われてしまうと、なかなか声をあげられないケースもあると思います。社会経験が少ない人は特に顕著ではないでしょうか。そういった人の力になっていきたいですね」
【大久保修一弁護士略歴】
埼玉県立浦和高校卒業。早稲田大学法学部卒業。早稲田大学大学院法務研究科修了。2014年に弁護士登録(第二東京弁護士会)、旬報法律事務所に入所。以後、労働問題に取り組んできた。主に担当した事件は、「アリさんマークの引越社事件」「SEの過労自殺事件」「ブラックバイト訴訟弁護団」など。ブラック企業被害対策弁護団副事務局長や、保険外交員搾取被害弁護団事務局長もつとめる。著書に「まんがでゼロからわかる ブラック企業とのたたかい方(旬報社・共著)など。趣味はバスケットボールで、身長は190cm。