東日本大震災による津波は東北の農業にも大きな影響を与えました。

東北一のイチゴの生産地、宮城県亘理郡の復興を支援するため、直後に栃木の農家らが100万本の苗を贈りました。

栃木県が豪雨被害を受けた際には、その恩返しを受け、イチゴがつないだ絆は互いに大きな実を結んでいます。

ずらりと並んだ大きなハウス。これらはすべてイチゴのハウスです。

東北一のイチゴの産地、宮城県亘理町と山元町の内陸部に合わせて183棟、栽培面積は40ヘクタールにもなります。

震災前は違いました。海岸沿いが砂地で水はけがよい土地だったためハウスが並び2つの町で380戸もの農家がイチゴを栽培していました。

しかし、町の半分が津波に飲み込まれ、作付面積のおよそ9割で壊滅的な被害を受けたのです。

浅野さん:「自宅は人が住めるようではなかった。ハウスは地面と同じ高さだった」

こう振り返るのは亘理町で宮城県のオリジナル品種「もういっこ」を栽培する浅野武彦さんです。

揺れの後、イチゴのハウスに戻り、犠牲になった仲間もいました。

浅野さん:「イチゴは作れないなと思った。友人たちに励まされて作ろうと」

その後、産地の復活にいち早く手を挙げたのは交流があった栃木県でした。

翌年の苗を採る親株も流された農家のために、とちおとめの苗100万本を提供したのです。

震災から3カ月後の2011年6月、収穫が終わった株から伸びたつる状の苗を宮城から訪れた農家とともに一本ずつ採取しました。

浅野さんのハウスは、イチゴを育てられる状況になく、この年は栽培しないことを決めていたため、トラックで宮城県に運ばれてくる苗をテレビのニュースで見ていました。

浅野さん:「うらやましいなというのが正直な気持ちでした」

高根沢町のイチゴ農家、岩本右一さんです。

あの時、東北に苗を提供した農家の一人です。

岩本さん:「正式な苗ではなくて古い株なので病気や虫の心配もあった」

10年間、その後が気になっていたという岩本さんに亘理町のイチゴ団地の現在の映像を見てもらいました。

岩本さん:「立派なハウスですね。ぜひ現地に行ってみてみたい。最新の設備とかちょっとうらやましさもあります」

栃木からの支援で、産地復興への一歩をスタートさせた亘理町で、大きな問題として立ちはだかったのが水と土でした。

震災前は地下水をくみ上げていましたが、津波で塩分の濃度が高くなり使えないため、水道水に代わりました。

土も塩分濃度が高くなってしまったため、表面の土を削り、水を何度も張って塩分を取り除く「除塩」を行いました。

そこで取り入れたのが高さ1メートルほどのベンチに苗を植える高設栽培です。

JAみやぎ亘理 丸子善弘さん:「生産者はスタイルが変わって大変だったと思うが、慣れてきた」

震災から4年後、今度は栃木県が助けられます。 

2015年9月、関東・東北豪雨による鬼怒川の決壊で被害を受けた県内の農家に亘理町と山元町から苗が届けられました。

浅野さん:「おやじの代からだから。田舎の隣近所、お互いさまだよ」

丸子さん:「イチゴの復活は栃木なしでは無理」

岩本さん:「今も恩義を感じてくれるなんて。だからこそ鬼怒川の決壊の時には苗が届いたんだと思うし、あの時の方は元気かな。『来てください』って言われたけれど行けてない」

宮城県ではオリジナル品種「もういっこ」と「とちおとめ」を交配した新品種「にこにこベリー」が昨シーズン、本格デビューしました。

美しい形とさくさくとした歯ごたえ、酸味と甘みのバランスのとれた味わいが特徴で、期待は膨らんでいます。

丸子さん:「いずれは宮城の主力に栃木と切磋琢磨していきたい」

イチゴがつないだ絆。東北と栃木の両方で大きな実を結んでいます。