2014年から昨シーズンまでヤンキースでプレーした田中将大の楽天復帰が決まった。日米通算177勝を挙げた、今年33歳の"働き盛り"のメジャーリーガーの復帰に、楽天ファンのみならず、プロ野球界全体が盛り上がっている。

 これまでも、日本人メジャーリーガーが日本球界に活躍の場を戻すケースは数多くあった。


2012年のオフ、メジャー球団から同時に阪神に移籍した福留孝介(奥)と西岡剛(手前)

 2014年に田中と共にヤンキースでプレーした黒田博樹は、2015年に古巣の広島に復帰。複数のメジャー球団から高額でのオファーがあった中で、「最後はカープで終わりたい」という古巣愛を貫いた姿勢は、「男気復帰」と大きな話題になった。

 40歳でNPBに復帰した初年度の2015年は11勝。2016年は10勝を挙げ、チームの25年ぶりとなるリーグ優勝に大きく貢献した。40代投手の2年連続2ケタ勝利は、2リーグ制移行後では、工藤公康(元西武ほか、現ソフトバンク監督)に続いて2人目。右投手では史上初だった。

 リーグ優勝を置き土産に、同年限りで引退。引退後は、広島在籍時に着用した背番号15が球団の永久欠番になり、広島市内の商店街内には引退記念の石碑が設置されるなど、名実ともに球団の"レジェント"になっている。

 今季から楽天を率いる石井一久監督も、メジャーから日本球界に復帰し、存在感を示した選手のひとり。2002年にポスティングでドジャースに移籍し、メッツを経て、2006年に日本球界に復帰した。復帰の際は複数の球団が手を挙げたが、黄金期の盟友である古田敦也がプレイングマネージャーを務めることが決まっていた古巣・ヤクルトを選んだ。

 メジャー移籍前の直球主体の投球とは打って変わり、メジャー時代に習得したツーシーム、カットボール、チェンジアップなどの変化球を効果的に交える技巧派へとスタイルチェンジ。復帰1年目は11勝、2008年にFA移籍した西武でも2度2ケタ勝利を達成するなど、NPB復帰後8年で65勝を積み上げた。

 昨年、48歳でのトライアウト挑戦が話題となった新庄剛志は、メジャーで3年間プレーしたのち、北海道移転が初年度の日本ハムに2年契約で移籍した。入団会見では「チームを日本一にする」「(新本拠地である)札幌ドームを満員にする」という目標を掲げた。

 復帰1年目の2004年、開幕2戦目で北海道移転後の球団第1号本塁打を放ち、キャリアハイの打率.298をマーク。同年のオールスター第2戦では史上初の単独での本盗を成功させるなど、「記録よりも記憶に残る選手」として活躍。2年契約満了を迎える2005年オフには、本人の強い希望もあり、単年の再契約で合意。札幌ドームでの初の開幕戦となった3月25日の楽天戦は42393人がスタジアムに駆けつけ、同シーズンでチームは日本一に。日本ハム移籍3年目で、入団時の公約を2つとも達成した。

 2018年からロッテを率いる井口資仁は、メジャー経験者として初めて、NPBの一軍監督を務めている。

 ダイエー(現・ソフトバンク)では内野のレギュラーとして活躍したあと、2005年からメジャーに挑戦。1年目からホワイトソックスのリーグ優勝、ワールドシリーズ制覇に貢献し、日本人では伊良部秀輝に続いて2人目のチャンピオンリング獲得者になった。

 その後、フィリーズ、パドレスでもプレーし、2009年にロッテからオファーを受け、5年ぶりに日本球界に復帰した。井口本人がこだわった二塁手での起用、初芝清の引退後に準永久欠番となっていた背番号6を用意するなど、"三顧の礼"でチームに迎え入れたことも話題になった。

 復帰2年目の2010年は143試合に出場し、打率.294を記録。シーズン優勝は逃したが、「3番・二塁手」に定着し、シーズン3位から日本一に輝いたチームをベテランとしてけん引した。パ・リーグ最年長選手として戦った2017年シーズンを最後に現役を引退。その翌年に監督に就任し、今年で4シーズン目を迎える。メジャー挑戦前に所属した球団に負けないくらい、日本球界復帰後の球団のイメージが強くなった珍しいケースと言える。

 多くのメジャー帰りの選手を獲得している球団として、阪神が思い浮かぶファンも多いだろう。2012年オフには、福留孝介西岡剛が同時に入団した。

 福留は2008年から5年間、メジャー3球団でプレーした後の日本球界復帰。阪神1年目の2013年は開幕スタメン出場するも、左膝、左右両足のふくらはぎの故障に泣かされて63試合の出場に終わった。

 しかしケガが癒えた2014年以降は、2015年にシーズン20本塁打をマークするなど、主にクリーンナップとして活躍。2014、2015年には、2年連続でクライマックスシリーズで本塁打を放つ勝負強さも見せた。

 2017年にチーム史上最年長の40歳でキャプテンに就任し、2シーズン務めあげた。昨年も一軍に帯同していたが打撃不振に陥り、試合出場は43に減少。戦力構想から外れ、オフにプロのキャリアをスタートさせた中日に移籍した。再びブルーのユニフォームに身を包み、もうひと花咲かせてほしいところだ。

 一方の西岡は復帰1年目の2013年に1番に定着し、122試合に出場して144安打、打率.290を記録。チームのシーズン2位、クライマックスシリーズを突破しての日本シリーズ出場の原動力となった。

 しかし翌年の開幕直後、試合の守備中に外野を守っていた福留と交錯。後頭部からグラウンドに打ちつけられ、鼻骨、左肩など複数箇所にケガを負った。同年6月末に一度は復帰したものの、痛みの再発もあり出場は24試合にとどまった。

 その後は故障期間に台頭したライバルの存在、度重なる故障もあり、出場機会が減少。2018年に戦力外通告を受けた。同年11月の12球団合同トライアウトに参加するも、獲得する球団は現れず。2019年からはルートインBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスに所属し、NPB復帰への道を模索している。

 西岡同様にNPB復帰2年目から苦しんだのが、「打てる捕手」の代名詞だった城島健司だ。2005年にFA権を行使してマリナーズに移籍し、メジャーで試合に出場した史上初の日本人捕手になった。移籍1年目の開幕戦で、メジャー初安打を本塁打で記録して鮮烈なデビューを果たした。

 投手との密なコミュケーションが必要な捕手のメジャー挑戦は厳しいと言われていたが、3シーズンを正捕手格として戦った。その後、チーム事情もあり、2年の契約を残しながら2009年オフにマリナーズを退団。当時、確固たる正捕手、右の強打者の不在に苦心していた阪神が真っ先に手を挙げ、獲得に至った。

 日本復帰1年目は144試合に出場し、ヤクルトの古田敦也が1997年に樹立した捕手のセ・リーグ最多安打記録の164安打を更新する、168安打をマーク。しかしシーズン終盤に左膝半月板の損傷が発覚し、オフに手術を受けた。2011年も開幕戦出場を果たしたが、故障の影響から万全のパフォーマンスには戻らなかった。

 2012年には左膝以外の故障にも苛まれ、捕手復帰が絶望に。二軍戦で起用されていた一塁手として現役を続ける道もあったが、捕手へのこだわりから同年限りでの現役引退を決意した。2020年からは古巣であるソフトバンクの会長付特別アドバイザーとして活動している。

 2013年から3年間、メジャーに挑戦した藤川球児も、日本復帰先には古巣の阪神を選んだ。2016年から昨年までの5年間、全盛期に引けを取らない球威で中継ぎと抑えを務め、余力を感じさせる状態で現役に幕を下ろした。藤川はメジャーで自由契約になったあとに、独立リーグ(四国アイランドリーグ)を経て再びNPBで活躍した特異な例だ。

 その藤川と同い年で、"松坂世代"の象徴である松坂大輔は、西武で現役を続けている。2007年のメジャー挑戦1年目に15勝、200奪三振を達成。2008年は18勝を記録したが、ケガの影響で成績は下降線を辿った。

 日本球界復帰は2015年。3年12億の大型契約でソフトバンクに入団したが、一軍登板は2016年の1試合のみと期待を大きく裏切った。

 2017年の契約満了をもってソフトバンクを退団し、テストを経て中日に移籍。中日移籍1年目の2018年4月30日のDeNA戦で復活勝利を挙げ、6勝まで勝ち星を伸ばした。しかし翌年は春季キャンプ中の右肩故障もあり、一軍登板はわずか2試合。未勝利に終わり、この年限りで中日を退団、2020年からは古巣である西武に在籍している。

 昨年7月には悩まされていた首の痛みと右手のしびれを治すため、脊椎内視鏡頸椎手術を敢行。松坂世代の現役選手は、やはりメジャーからの復帰組であるソフトバンクの和田毅と2人だけになり、その和田は昨季に8勝を挙げている。"平成の怪物"も今季に意地を見せてほしい。