離れている家族がもし一人で亡くなってしまったら…? 急な知らせに対応に慌ててしまうという人がほとんどかもしれません。
一人暮らしをしていた父が孤独死したというライターの長根典子さんが、ご自身の体験をもとに、つづってくれました。


一人暮らしの父の葬儀は家族葬にしたけど…(※写真はイメージです。以下同)

孤独死した父の葬儀。家族で簡単に…とはいかなかった事情



2年前の夏、一人暮らしをしていた父が孤独死しました。享年73歳。死因は熱中症でした。自宅で亡くなったため、警察による現場検証が行われ、私が一人で対応しました。唯一の家族である姉は遠方に住んでいたため、初期対応は私しか引き受ける人がいませんでした。

警察による検死はスムーズに終わり、遺体の運搬や警察での諸手続きを引き受けてくれた葬儀屋さんは、思ったよりも早く帰ってきました。葬儀屋さんによると、自宅で亡くなった場合、驚いて遺体を動かしたり服を整えたりしてしまうと、警察の現場検証でかえって時間がかかるのだそう。私は父の部屋や体に手を触れるゆとりもありませんでしたが、それがかえってよかったのです。

もっとも、現場検証後の警察とのやり取りは葬儀屋さんがすべてやってくれたので、私は自宅で待っているだけでした。今回は、葬儀までの遺体の保管も葬儀屋さんにお願いしたので、警察での手続きが終われば、父の遺体に関してやるべきことは終了です。

さて遠方に住む姉が到着したのは、葬儀屋さんも引き上げたあとの午後3時すぎでした。姉は1泊して帰るため、今日と明日の2日間で、父の葬儀についておおざっぱな方針を決めなければなりません。

●私たちが父の葬儀を「家族葬」にしようと決めた理由



父の葬儀は家族葬にする。姉と私の間では、会ったときから意見が一致しました。理由のひとつは、父の交友関係をほとんど把握していなかったからです。生前の父は教員でしたが、定年退職後は関連の教育機関で働いていました。父は再就職を経て複数の場所で相談役のようなことをしていたようでしたが、私たちはその職場すら知らなかったのです。

そしてもう一つ、これが本当の理由とも言えますが、生前の父と私たち姉妹の関係が、よくありませんでした。正直なところ、姉も私も父のために大きな葬儀を執り行う気になれなかったのです。

さて私と姉が最初に取りかかったのは、父の家計状況の把握でした。電気や水道などの公共料金などを止めたり、未支払いの買い物などがないか調べなければなりません。私たちはレシートや郵便物の山を整理し、関係があると思われる連絡先を次々とメモしていきました。

父のレシートや手紙をあさっているうちに、警察が来ていたのに気づいた隣家の人がやってきました。父が亡くなったこと、家族葬にするつもりであることを告げると驚き、町内会の顔役に知らせてくれると言います。
「町内会への連絡も必要だったんだ…」とぼんやり思いながら、お願いすることにしました。

しばらくすると、また来客です。町内会の顔役の方と一緒に、近くに住んでいるという定年前のお仲間でした。私たちが会うのはもちろん初めて。ただこの方も、「○○さん(父の名前)、定年後もいろいろやっていたようだけど、そちらはよくわからないんだよな」とおっしゃいます。
お相手の善意で、父が所属していた機関にわかる範囲で連絡しておいてくれると言いましたが、私はあわてて「家族葬にするので、連絡する先は広げないでほしい」とお願いしました。

このとき私は、家族葬に決めたことは正解だったと思っていました。よく知らない人たちの対応に追われるなんて、想像するだけで疲れてしまいますから…。

●滞りなく行われた家族葬




1週間後、姉家族とともに小さな葬儀会場へやってきました。残ったわずかな親戚はもちろん、互いの義理両親、つまり双方の夫の両親も呼ばない小さなお葬式でした。

親戚を呼ばなかった理由は、父は親戚のなかでも浮いた存在だったからです。父の兄弟は年の離れた腹違いの兄が2人だけで、すでに故人。私たちの従兄弟である父の兄の子どもたちは4人いましたが、彼らはむしろ父と同世代。ほぼ同じ年なのに何かと「叔父風」を吹かす父を、従兄弟たちは快く思っていませんでした。すでに高齢な彼らを、葬儀に呼ばなかったからといって、感謝されこそすれ怒られる心配もありませんでした。

親戚を呼ばないことは、義理両親へのちょうどよい言いわけにもなりました。出席しなくとも義理が立つのであれば、そこを押してまで父の葬儀に来る理由は、どちらの義理の両親にもありません。

そういったわけで、私たちはストレスなく父の葬儀を終えることができました。

●葬儀後、思いがけない対応に追われることに…



葬儀を終え、私たちは父の死亡案内の発送作業を始めました。数年分の年賀状を整理してできた住所録の宛先は80件ほど。送付先が予想以上に少なく、この時も不必要に大きな葬儀を行わないでよかったと思っていました。

死亡案内は、オンラインで注文。印刷から発送まで行ってくれるサービスがあり、お願いしました。リスト作成からこれらの手配まで、半日ほどで終了したことを考えればじつに簡単でした。

こんなふうに私たちは、自分たちがストレスにならない形で進めていったのです。でもそれが本当によかったのか…と疑問に思う部分も出てきました。

後日、通知を受け取った古いご友人や仕事関連の組織から連絡がありました。とくに父が所属していた機関からは、会員が死亡すると葬儀場に飾るための記念品を出すらしく、その手続きをしたいという連絡でした。葬儀も終えているので辞退しましたが、そのやり取りや手続きにじつは手間がかかりました。通常の葬儀をしていればスムーズだったのでしょうが…。

またそれほど多くはありませんでしたが、お焼香がしたいとのお申し出もありました。いろいろな理由から遺骨は父の家に置いてあったので、その都度日時を決めて父の家に行くことになりました。

ご連絡自体はありがたいのですが、こういった対応をしていると、葬儀をすれば一度で終わったのかも…と、感じるようになりました。

●私の知らなかった父の姿。親戚や同僚がお悔やみに来てわかったこと




葬儀後の対応が大変だったということ以外にも、やはり「通常の葬儀にしたほうがよかったのかも?」と思った理由がありました。それはご連絡くださった方々のお気持ちです。

たとえば親戚です。私たちは高齢の4人の従兄弟たちには父が亡くなったこと、葬儀を終えた旨の連絡をしました。するとそれぞれが、父との思い出を話してくれたのです。私の知らないところで、父は父なりに、これら親戚たちとつながりをもっていたのでした。

また別の日には、教員だった父の後輩にあたる先生が数人連絡をくださり、父の自宅までやって来てくれました。私たち姉妹とも交友のあった先生たちで、皆さんすでに退職をされていました。
思い出話に花を咲かせていると、お一人が「もう亡くなっているのでいいと思うけど…」と口を開き、父が「別邸」をもっていたという“暴露”をしてくれました。

ある日「ちょっと飲みに来ないか?」と父に誘われ、小じんまりとした日本家屋に連れていかれたそう。「○○さん(父)の趣味らしく、純和風の書斎風の造りで、時々書斎代わりに使っていると言っていたな」とのことでした。
この話に私はピンときました。じつは父は浮気をしていたことがありました。後年、事の経緯を私は生前の母から聞いたのですが、その別邸の用途は容易に想像がつきました。

そんな話はあったとしても、父が学校の垣根を超えて20代、30代の先生方中心に研究会を立ち上げ、先生の教育スキル向上を目指したことを懐かしく話してくれました。確かに子どもの頃、わが家には、毎月数十人の先生たちが集まり、熱く語り合っていたものです。

「○○先生(父)が現場を離れて管理職になった時には、遠くに行ってしまったようで寂しかったなあ。一緒にいろんなことを試したあの頃は、僕らにとっても“青春”なんだ」と、その先生は話してくれました。

●「家族葬」を後悔しても遅いですか?



父の死後、数人の方々とお話をする機会があり、気づいたことがあります。父は独善的で、自己中心的な人でしたが、その欠点を知っても、父を慕ってくれた人たちがいたということでした。それに、私の仕事に対する姿勢は、父から学んだものでした。私は大人が大マジメに熱く、激論を交わす姿を見て育ちました。その中心にいるのはいつも父であり、「一生懸命がんばるのはよいことだ」と、その姿から学んだのです。

そんなことをつらつら考えていると、家族葬は私たちのわがままだったかもしれない、といった気持ちに変わっていきました。いろいろな方が父とお別れをする機会を、なくしてしまったからです。

大手葬儀社・公益社の1級葬祭ディレクター・安宅秀仲さんにうかがったところ、今回のようなケースはよくあることだと言います。

「家族葬は葬儀のときはよかったけれど、その後、今回のように後悔するケースは多いんです。そのため弊社では、故人が生前交友関係の広い方の場合、後々を考えれば通常の葬儀をしたほうがよい場合もありますよと、アドバイスをしています。

参列者が予想以上に増えた場合も少なかった場合も、状況に応じて対応できます。参列者に渡す返礼品は使った分だけ支払うのが一般的ですし、多く用意しておいても余分に支払う必要はありません。心配事は小さなことでもお話いただければと思いますね」

こういうときこそ、自分たちだけでは決めず、葬儀社さんに相談しておくことを私の経験上もふまえて、おすすめしたいと思います。

【長根典子さん】



1971年横浜生まれ。制作会社勤務、50代向けファッション通販誌副編集長などを経て、フリーランスライターに。1人息子とプラハへ移住するもコロナ禍で帰国。ビジネスや投資のほか、子育て、ライフスタイル、ファッションなどの分野でも執筆。著書に『成長する組織をつくる目標管理
』(労務行政)、『誰が司法を裁くのか
』(リーダーズノート新書)など。趣味は英語、FX、アート。