いまや多くの企業でオンライン会議は当たり前のものになった。しかし、オンライン飲み会を続けている話はあまり聞かない。経営学者の楠木建氏は「私はビジネスについて考えるとき、『それが人間の本性に適っているか』を重視する。オンライン飲み会は人間の本性に反しているのだろう」という--。(前編/全2回)
撮影=西田香織
今年10月、自宅で取材に応じる経営学者の楠木建氏 - 撮影=西田香織

■競争戦略から見たハガキの価値

私は年間に100通以上のハガキを投函します。年賀状ではありません。ふつうの白いハガキです。

知り合いから著書が送られてきたらお礼を書いて送る。誰かと会食したら翌日に送る。ちょっとした時間ができたときに、ハガキに一言「ありがとうございました!」と書くだけです。家には100枚ぐらい常備し、カバンにも入れて持ち歩いています。

ハガキはコミュニケーションツールとして依然として有効です。物理的に存在感があって目立つので、よほど私のことを嫌いな人でない限り見てくれます。しかも電子メールと違って相手が返信する必要もないので気軽ですし、手書きなので気持ちが伝わる。考えてみれば、有形物が63円で全国どこでも数日で届くのは安いですよね。

電子メールを使うのが一般的になったからこそ、手書きのハガキを使うことの価値が高まるのです。言い換えると、一見不要なものほど意味があることがある。

私の研究分野は、経営学のなかでも競争戦略です。他社ができない・やらないことをする。これが競争戦略の本質です。すなわち、顧客から見れば「希少性」です。

これは仕事のスキルにも当てはまります。仕事に就けば、好むと好まざるとにかかわらず、競争にさらされます。直接的・間接的の違いはあっても、働く人は誰しも、大なり小なり競争にさらされる。この事実を忘れると問題の本質を見失う恐れがあります。

ここでは文章能力を例に、希少性について説明しましょう。

■人に読ませる文章はかつて専門領域だった

ネット上にある記事は、ページビューなどの数字を稼ぐほど利益につながります。

いまみなさんが読んでいるネット記事も、そういうビジネスモデルです。そのため刺激的でキャッチーなタイトルや構成で、いかに記事を量産できるかが勝負どころとなります。

裏返せば、文章の品質は二の次。電車のなかや休憩中といったすきま時間に、スマホで読まれる記事はなおさらです。

ネット上には日々、膨大な量の文字情報がアップされています。それらの文章はパソコンのワープロソフトやエディタで作成されるのがほとんどです。

ワープロやパソコンが普及する以前はみんな手書きでした。とくに雑誌記事など、不特定多数の人に読ませる文章は原稿用紙にペンで書き、紙に印刷されるものでした。

かつて多くの人々が読む活字になる文章を書くというのは特別の能力でした。作家、学者、記者など、文章の書き方を訓練した人たちの専門領域と見なされていました。ところが、パソコンとインターネットが普及すると、手書き時代に比べてコストがうんと安くなり、文章の供給量は爆発的に増えます。

■アフターコロナには不要のように見えるスキルほど価値が高まる

その結果、何が起きたか。日本語の文章は、全体的に品質が劣化しはじめました。定型的な言い回しやコピーペーストが横行し、レベル低下が進みます。これは文章作成の仕事が増え、にわか仕立てのライターが増えたという供給と、隙間時間で「サクッと」読み流すという需要がかみ合った結果です。

撮影=西田香織
「私ごときの文章力では50年前だったら勝負にならなかったと思う。おかげさまで書きもので暮らせるようになりました」 - 撮影=西田香織

取材などで、ライターさんが私にインタビューして原稿をまとめることがあります。いわゆる聞き書きです。ところが、名刺の肩書はライターなのに、腰が抜けるほど文章作成能力が低い人がいます。その原稿を受け取り、時間をかけて全面的に書き直しながら、「初めから自分で書けばよかったんじゃないか」と思うことが何度もありました。昔と違って、ライティングがプロフェッショナルとしての意識をもってやる仕事ではなくなった証拠でしょう。

現在はちょっとまともな文章を書けるだけで「あの人、文章がうまいね」となります。これが希少性です。市場で「不要不急」と見なされたスキルが、希少ゆえに価値を高める。こうした競争市場のロジックで考えると、「アフターコロナには不要のように見えるスキルほど価値が高まる」という逆説が成り立ちます。

■話すと“感じがいい人”は強い

一例として、オンラインが当たり前になった今後は、リアルな対人コミュニケーションがますます重要になってくるように思います。

リアルに会って話すとものすごく“感じがいい人”がいます。部屋に入ってきた瞬間に場の空気がなごんだり、挨拶した瞬間に心地よさを感じたりする。相手が目の前にいるときは、オンラインとは違って多くの気づかいが必要です。そういう対人スキルは「これからは不要」と見られがちですが、だからこそ希少性があって価値を高めるのです。若いセールスマンだったらいまのうちにガンガン外回りをやっておくと良いかもしれません。

会議でいえば、いま着目すべきは、オフラインのリアル会議です。オンライン会議は万能ではありません。経験した人は、「便利な点もあるけど、やっぱり集まらないとダメだな」と感じることがあったでしょう。

私の経験でいうと、オンライン会議は決定事項の伝達や承認には問題なく使える半面、ブレスト会議のようにアイデアを出し合ってディスカッションする場合は不向きです。インタビュー取材を受けるときも、オンラインだと内容が薄くなるという実感があります。これは、五感で受け取る情報量が少ない、という問題だけではなさそうです。

おそらく脳の機能や認知構造に原因があるのではないか、と私は考えています。誰かと画面を通して話す状況は、脳にとってリアルではないのかもしれません。オンラインコミュニケーションの内容があまり記憶に残らないことも、そう考える理由の1つです。

■それは、人間の本性に反してないか?

ただし、オンラインが悪いわけではなく目的によって向き不向きがあるだけです。相手の年齢や立場、相手との関係、仕事の状況など、オンでいくかオフでいくかを決める条件はいくつもある。その判断は何で決まるか。一言でいってしまえば、センスです。

私はビジネスについて考えるとき、「それが人間の本性に適っているか」を重視します。たとえば、ステイホームの時期に流行ったオンライン飲み会。私の周りにも「オンライン飲み会やってるよ」という人がいて、誘われることもありました。

しかし半年もたたないうちにすっかり聞かれなくなったのは、オンライン飲み会が人間の本性に反しているからです。あの時期はステイホームが徹底されて「飲み会もダメ」となりました。しかし人間の本性として、社交の場は必要です。家の外で飲み会が開けないなら、せめてリモートでもとオンライン飲み会が流行ったわけです。

ところが、ステイホームの縛りが解かれると、「やっぱり顔をつき合わせてお酒を飲みたいね」となります。これが人間の本性です。もちろん、遠いところに住んでいる人や外出が難しい人との間では継続されるはずです。そういう条件の下では、オンライン飲み会は有力なオプションが増えたことになります。

楠木 建、杉浦 泰『逆・タイムマシン経営論』(日経BP)

その一方で、オンライン会議が定着しつつあるのは、人間には「面倒くさいことを避けたがる」という本性があるからです。若い人と話していたら、スマホをいじりながら「このアプリは使い勝手が悪い」と不満を漏らしました。「どこが?」と尋ねたら、他のアプリに比べて画面のボタンを1回多く押さなくてはいけないからダメだ、というのです。

たかだか指先の動きだけです。それでも人間は、面倒なことを嫌がる。これは強烈な本性です。リアルな会議のために移動するのは面倒くさい、できれば動きたくない、となるのは自然な話です。

「この仕事はオンにするかオフにするか」という判断も、人間の本性に照らして考えてみると、答えを見つけやすいかもしれません。そのような基本的な考え方も含めて、ビジネスセンスの差になるのでしょう。

後編では、このセンスについて私の考えを述べたいと思います。(続く)

撮影=西田香織
「今リモートワークが良いか悪いかが議論されている。でも、オプションが増えて悪いことは1つもないですよね。好きなようにしてください」 - 撮影=西田香織

----------
楠木 建(くすのき・けん)
一橋大学大学院 国際企業戦略研究科教授
1964年生まれ。89年、一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部助教授、同イノベーション研究センター助教授などを経て現職。『ストーリーとしての競争戦略』『すべては「好き嫌い」から始まる』『逆・タイムマシン経営論』など著書多数。https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/429610733X/presidentjp-22
----------

(一橋大学大学院 国際企業戦略研究科教授 楠木 建 構成=伊田欣司)