鎌倉時代の中期、当時、東アジアと北アジアを支配していたモンゴル帝国(元朝)が日本侵攻を試みたことがあった。元寇(げんこう)、蒙古襲来とも呼ばれている。侵攻は2回に及び、1度目は文永の役、2度目は弘安の役という。

この文永の役における戦いを描いた漫画「アンゴルモア 元寇合戦記」の作者・たかぎ七彦さんが、2020年11月7日に投稿した、次のようなツイートが話題になっている。

写真に映っているのは、長崎県松浦市で生まれた「てつはう最中」という名前のお菓子だ。

「てつはう」とは、元寇の際にモンゴル軍が用いたと伝えられる武器のことだが...。高木さんはこのお菓子について、

「ぱかっと開き付属の火薬を入れると口の中でパチパチはじけて蒙古襲来」

とコメントしている。

これはいったい、どんなお菓子なのだろうか。Jタウンネット記者は、投稿者のたかぎ七彦さんと、松浦市立埋蔵文化財センター、及び「てつはう 」製造元の岩元製菓舗に取材した。

キャッチコピーは「うまさ炸裂」


たかぎ七彦(@7hiko)さんのツイートより

たかぎ七彦さんは、松浦市で開催された「元寇サミット」にゲストとして招かれたのだという。元寇サミットは、元寇に縁のある壱岐、対馬、松浦3市長が参加するイベントだ。

「てつはう」のお菓子をツイッターで紹介した経緯について、たかぎさんは次のように説明した。

「私は、元寇サミットの前半、『アンゴルモア 元寇合戦記』のトークショーに、作家としてご招待いただきました。
その時食べたのが、このお菓子『てつはう最中』です。食べた感想は、最中の皮が高級で、餡も品の良い位の甘みで、和菓子としてちゃんと仕上がっており、おいしかったです」

たかぎさんによれば、「てつはう最中」というお菓子を企画したのは、松浦市立埋蔵文化財センターだという。

そこでJタウンネット記者は、埋蔵文化財センターの担当者に電話で話を聞いた。


たかぎ七彦(@7hiko)さんのツイートより

「松浦市が、鷹島周辺の海で、元寇の遺物調査と引き揚げ作業を開始したのが、1981年(昭和56年)です。ちょうど今年が40周年となります。40周年を記念して企画したのが『元寇サミット』です。
『てつはう』もその一つの試みで、何か話題になるおもしろい菓子をと、地元の菓子組合にお声がけをして、作ってもらいました」(担当者)

鷹島周辺の海で引き揚げられた実際のてつはうは、手榴弾に近い武器の一種で、陶製の球状の容器の中に、鉄片や銅片などが火薬と共に入れられていたらしい。

お菓子の「てつはう最中」は、どうなっているのだろう? Jタウンネット記者は、製造元の岩元製菓舗に電話で聞いた。


岩元製菓舗フェイスブックより

「てつはう最中」について、岩元製菓舗は次のように答えた。

「大きさはピンポン玉くらいだと考えてください。栗、芋、小豆、かの子(北海道大納言小豆の蜜漬)を白餡の最中餡にしました。海底遺跡ですので、塩を加えました。それと別に、パチパチはじける炸裂の仕掛けも用意しました」

「うまさ炸裂」がキャッチコピーだという。そのまま食べてもおいしそうだが、パチパチ弾ける「炸裂の仕掛け」を入れて食べた方が、より「てつはう」らしさが味わえるだろう。

一体どのくらい炸裂するのか、Jタウンネット記者には想像できなかったが、冒頭のツイートには、こんな声も寄せられていた。

「破壊力強そう! 涙ちょちょぎれそう!」「文字通り日本武士団、苦しめられそうwww(良い意味で口の中がwww)」

13世紀のモンゴル軍の兵器「てつはう」を味わってみたい方は、松浦市へどうぞ。ただし岩元製菓舗によれば、目下生産準備中で、販売は来年(2021年)からになるだろうという。

フェイスブックなどでご確認の上、出かける方が良さそうだ。