日本でも10月9日から公開となった 韓国の大ヒット小説『82年生まれ、キム・ジヨン』の実写版。社会に追い詰められるジヨンとその夫デヒョン(写真:© 2020 LOTTE ENTERTAINMENT All Rights Reserved.)

韓国で共感・反感の嵐を巻き起こした後、日本では翻訳小説としては異例の16万部超えのベストセラーを記録し、韓国小説のブームや、フェミニズム文学ブームの火付け役となった作品、『82年生まれ、キム・ジヨン』。その映画版が日本で封切られ、再び話題となっている。

原作は、ときどき他人が憑依するが本人には自覚がない、という精神病を患った30代のジヨンを診る男性精神科医のカルテの形で、彼女が生まれてから2歳児を育てる現在まで、人生の折々で受けてきた女性差別を描く。

映画では、夫のチョン・デヒョンが妻を心配し、女性の精神科医を訪ねる。そして、物語の中心は、専業主婦で子育てするジヨンの現在。絶望的な結末に至る原作とは、展開も変わっていく。特に前半、妻を心配する夫の存在感が原作より強く、夫婦の物語としても読める。そこで本稿では、ジヨンとデヒョン夫婦を追い詰めた韓国の社会状況を女性側だけでなく、男性側の視点からも探りたい。

映画を見た男性たちの感想は

映画を観た男性たちに感想を聞いてみたところ、共通して挙がったのが、育休取得にまつわるエピソードについてだ。

映画では、育休を取れば出世が見込めなくなるとわかっていながら、再就職の見込みが出てきたジヨンに対してデヒョンが「僕が育休を取ろうか」と申し出る場面がある。しかし、その話を知ったデヒョンの母がジヨンに電話で、「息子の将来の邪魔をする気なの!」と怒鳴りつけ、ジヨンの体調が悪化する。

IT関連会社で働く在日コリアン3世のTさん(41歳)は、「原作も読んだのですが、日本でも韓国でも、男性が育児休暇を取るのは難しい。女性も育児休暇を取った後は、仕事のチャンスが少なくなる。そういう現代社会をしっかり反映した映画だと感じました」と語る。

「僕はまだ独身なので、結婚したら自分が育児休暇を取るなど、妻を大切にする選択ができるかどうかわからない」と語るのは、28歳の会社員、Kさん。「ジヨンに感情移入をして観ていたので、旦那さんがもっとジヨンとコミュニケーションを取っていれば、もう少し事態が違っていたのではないかと感じました。どうしてコミュニケーションを取ってくれないんだろう。原作を読んだときより、映画のほうが観ていて苦しい気持ちになりました」。

「義理のお母さんの電話は、まさしくパワハラですよね。それから、男性の『家事を手伝ってやるよ』という意識が気になりました」と語るのは、66歳の歯科医師、矢野正明さん。

「僕も含めて、男性は女性の負担や気持ちに気づいていないと思います。今でこそ、僕は食事作りも洗濯も掃除も何でもやっていますけれど、『だから何なのよ』とかみさんには言われそう。子どもが小さかった頃は、仕事がメインでしたから。僕らの世代が、男性が働いて女性が家事というのは違うよ、と言って変わっていかないといけないし、変わっていかざるを得ないと思います」

韓国では育休取得は容易ではない

映画版『82年生まれ、キム・ジヨン』の監督は、子育てを終えた46歳で韓国芸術総合学校に入って映画製作を学び、本作が長編デビュー作になった女性のキム・ドヨン氏。デヒョンについて、同作のオフィシャルインタビューでこう語っている。

「デヒョンは、ジヨンのことを気遣ったり心配したり悩んだりする姿が印象的ですが、ジヨンが発病する前は、そういうことをする人ではなかったように描いています」。そのほうがリアルではないか、とデヒョン役のコン・ユ氏と話し合った結果、作り上げた人物像だという。


本作のメガホンを握ったドヨン監督は、子育てを終えた46歳で学校に入り、映画製作を学んだ(写真:© 2020 LOTTE ENTERTAINMENT All Rights Reserved.)

原作、映画とも女性差別や男性の意識の希薄さなど日本人でも「自分ごと」として捉えられる問題を扱っているが、同作を見る上でポイントとなるのは日本と韓国の社会的状況の違いだと、ジェンダー論と東アジア研究を専門とする東京大学大学院の瀬地山角教授は指摘する。具体的に言えば、韓国の男女が置かれている状況の方が日本より厳しいという。

まず、育児休暇については、日本では、女性が働き続けようとする際、育休を取らない人は少なくなったのに対して、韓国の女性は産休明けに働くことも多い。

【10月22日15時37分 瀬地山教授の発言内容に一部誤りがあったため、下記の通り、修正いたしました】

「原作にもありますが、2015年の段階でも10人中4人は育休なしで職場復帰しています。しかも、しかも、オリニジップ(日本の保育園に相当する機関)は日本ほどには普及しておらず、2時3時までの短時間利用しかできないケースもある。育休をちゃんと取れるのは、公務員と一部の財閥企業しかない。だから、気の狂うような就職活動が行われるんです」(瀬地山教授)

同作でも、ジヨンは就職活動に落ちまくり、卒業式の直前にようやく条件の悪い広告会社に就職する。育児休暇を取って働くことは無理な職場だったから、退職してワンオペ育児に追い詰められる。

韓国の就職活動の過酷さを、瀬地山教授は「公務員試験に何十倍の倍率で応募が殺到します。公務員試験のための予備校がたくさんあって、2年も3年も就職浪人をする。もともと李氏朝鮮時代から学歴主義が強い社会ではあったんですが、1997年のIMF危機の後、セイフティネットが崩壊して、高卒の公務員の仕事にも、大卒が群がるようになった」と話す。

ジヨンが精神を病むほど追い詰められる背景には、「終わりのない就職活動と、その前のものすごい受験戦争がある。韓国では、高等教育を受けさせるところまでは日本より男女平等です。しかし、女性であるジヨンは、大学を出てようやく得た条件の悪い就職ですら、育児のために、あきらめなければならなかった挫折感を抱いている」と瀬地山教授は分析する。

韓国では大学まで母親の役割が重要

デヒョンのお母さんが、息子の将来を邪魔する気かとジヨンに恫喝する背景にも、息子への教育投資をした過去がおそらくあると見る。

「3歳児神話が根強く残る日本では、母親の育児負担は乳幼児期に集中していて、中学校に入れば親の役割はある意味終わりですが、韓国の母役割で一番重要なのは、大学受験に向けた子どもの教育。朝お弁当を3つ持って家を出る子どももいる。夜10時に塾が終わり、お母さんが迎えに来た車で帰って、11時から午前1時まで家庭教師に教えてもらう。塾選びから塾の送り迎えなどのサポートを行うため、子どもが小学校に上がると、仕事を続けていたお母さんも退職するんです」(瀬地山教授)。

韓国では近年、女性が生涯に産む子どもの人数、合計特殊出生率の低下が激しい。2018年には1.0を切って0.98、2019年は0.92にまで下がった。日本は同時期に1.42、1.36である。「世界で1を切っているのは韓国だけ、それも2年連続していて、子育てができない社会になっている」(瀬地山教授)。それは子どもを待ち受ける受験戦争と就職戦争のための、親の負担の重さが影響している。


ワンオペ育児で追い詰められていくジヨン(写真:© 2020 LOTTE ENTERTAINMENT All Rights Reserved.)

一方で、儒教的な家族観は根強く残る。1960年代初め、アジア最貧国の1つだった韓国は、その後急速な経済成長を遂げた結果のひずみが家庭にも及ぶ。特に男性の親を大事にするプレッシャーは、日本よりも強い。映画の冒頭、ジヨンたちは正月を迎えるため、ソウルから釜山のデヒョンの実家に帰省している。

「この時期は皆が一斉に帰省するから、『高速道路が駐車場になる』と言われています。通常なら3、4時間で済む道のりが、倍近くかかるんです。しかも、行事のときは手間がかかる料理を、女性総動員で手作りする」と、正月料理のためのジヨンが疲弊する背景を瀬地山教授は説明する。

デヒョンはジヨンが疲れていることを気遣い、声をかけるが、席に座ったまま立って手伝おうとはしない。それは、「ふだんから料理をしていないから、料理をどうやって作ったらいいか、動き方もわからないのだと思います。韓国の男性も、家事時間は日本とあまり変わらず低いですから。もし、男性が正月料理に関わるようになるとすれば、それは日本のおせちのように買うようになったときではないでしょうか」と瀬地山教授は言う。

ふだんの家事については、どうだろうか。「韓国では、日常の食事はキムチなどの常備菜が冷蔵庫に入っていて、ご飯を常にジャーに用意しておくことと、味噌汁などの温かいものを1つ用意すればいい。ただ、夕食の支度は圧倒的に女性が行う比率が高いのが、日韓に共通する特徴です」と瀬地山教授。

日本では、毎食異なる料理を用意する傾向が強いが、日常の食事の中食・外食依存率が4割以上もあり、料理の省力化が進む。特にここ数年は、家事論争が活発になり、省力化のノウハウを伝える情報も格段に増えた。何より、ていねいに家事をするべき、という社会からの圧力がほぼなくなっている。

一方、韓国では「家事に対して、情緒的な意味づけを与えて手を抜かない、という感覚が強い。原作で、赤ちゃんの衣類など白い洗濯物を煮洗いすシーンがありました。めちゃくちゃきれいになるんですが、手間がかかります。こういうことをいまだにやっていることへの驚きがありました」と瀬地山教授は指摘する。

女性の味方になる男性が増えている

翻って日本はどうか。「日本では出産時の継続就業率がかなり上がっています。共働きが増え、女性への家事と仕事の二重負担が増えなければ、変わる可能性があります」と、瀬地山教授は話す。

男性の給料が上がりにくくなり、雇用も不安定化した日本では、平成世代が働き続ける道を選択することで変化が生まれつつある。それは、均等法世代以降の女性たちが、数は少ないとはいえ仕事を続け、管理職に就くなど決定権を持つようになったからだ。そしてその世代への道を作ったのは、1970〜1980年代に、フェミニズム・ムーブメントの一端を担った女性たちである。こうして女性たちの粘り強い運動は、小さいながらも実を結び、子育てする現役世代に力を与えている。

女性たちを勇気づけるもう1つの力は、味方になる男性が増えていることだ。女性差別の問題についての知見や情報も、蓄積されて広まっている。また、男性も給与水準が下がるなど自身が置かれる環境が悪化したことにより、変化を求める人が多くなった。

実際、映画を観た男性たちは、口をそろえて「変わらなければ」と言っていた。2010年代後半には、育休取得を望む男性へのパタハラ訴訟も相次いでいる。何しろ、日本の男性の育児休暇取得率は、2019年度で7.48%と、2025年に30%の目標達成には程遠い。

こうした状況を変えるため、厚生労働省で男性産休制度の新設を検討する議論がこの秋本格化し、来年の通常国会での関連法改正を目指している。

男性たちの意識は変わりつつあり、社会を動かし始めている。女性たちが声を上げることも大切だが、男性も共に働きかけなければ社会は動かない。この映画は、その動きを加速させることになるだろうか。