ゴールドマン・サックスが2019年に豪奢な8階建ての本社ビルをロンドンにオープンしたとき、その最先端の施設に驚嘆してもらいたいと考えていた。というのも、10億ポンド(約1,400億円)が費やされたそのオフィスビルには、何でも揃っていた。セラピーのための部屋、託児施設、顧客のオフィス、巨大な立会場、そして18時間交代制で働くディーラーたちのためのベッドまで用意されていたのだ。

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ところが、人々の話題はビルに設置された恐ろしくのろまなエレヴェーターだけだった。ロビーにある16基のエレヴェーターは、どれも扉が閉まってから動き出すまでに20秒も待たねばならず、しかも動き始めてからもスピードがひどく遅かったのだ。

新型コロナウイルス対策としてのロックダウン(都市封鎖)が解除された20年7月以降、ゴールドマン・サックスの社員たちはビルのエレヴェーターに少しずつ戻り始めている。ある社員は、「いまのところ問題になっていないのは、(オフィスに)30〜35パーセントの人しかいないからでしょうね」と言う。「なにしろエレヴェーターは自動的に決められた階まで行くようになっていて、しかも定員は1基あたり最大5人までなんです」

別の社員によると、エレヴェーターが設置されたばかりのときに「ひと通りの調整」がされたが、いまは順調に動いているという。

エレヴェーターがボトルネックに

人々が列に並んでエレヴェーターを待っている光景は、あらゆる高層ビルで見かける。だが、この新型コロナウイルスの時代においてエレヴェーターを待つという行為は、ちょっと不便というだけでは済まされない。健康に対する重大なリスク要因になり、しかも人々の移動における悪夢にもなる。それに8階建てビルに勤務するゴールドマン・サックスの社員はまだしも、高層オフィスで働くほとんどの人にとっては、階段を使って数十階を上がることは現実的に不可能だ。

かつては最も古いエレヴェーターシステムでさえ、オフィスで働く人々の12パーセントが5分以内に到着するように設計されていた。あるオフィスの全従業員が移動する場合、(ロビーで列に並ぶよう指示されるという条件で)全員が40分以内に目的階に行けるように設計されていたのである。

さらに高効率なエレヴェーターシステムでは、その待ち時間を半分に削減できる。新型コロナウイルスへの対応で全従業員の50パーセントしかオフィスに戻れないという条件なら、理論上はもっと速く到着できるはずだ。

しかし、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)以降、企業はロビーから上の階まで行くためにかかる時間を短縮させたくても、エレヴェーターに大勢の人々を詰め込むことができなくなった。大きなエレヴェーターならソーシャル・ディスタンス(社会的な距離)」を保ちながら4人を収容できるが、小さなエレヴェーターでは2人に制限されてしまう。

“最悪の時間帯”を回避せよ

こうしたなかほとんどの企業がエレヴェーターの床の隅にステッカーを貼り、人々が立つべき位置を示している。移動中は、壁のほうを向くよう求めることもある。午前9時や午後5時半に人々が集中しないように、従業員の勤務時間を効率的にずらす方法を割り出している企業もある。

だが、エレヴェーターには一日のうちに“最悪の時間帯”があり、それに対する解決策は見つかっていない。その時間帯とは、ランチタイムだ。

建設エンジニアリング・コンサルティング企業のアラップで垂直運搬部門の責任者を務めるジュリアン・オリーによると、エレヴェーターを利用するオフィス従業員の50パーセントが12時から2時の間に昼食をとろうとした場合、全員が再び自分の席に戻るまでに最大2時間半かかるという。しかも、これはすべてが計画通りに進んだ場合だ。

「ここでボトルネックが発生するんです」と、オリーは言う。「人々はランチタイムの2時間の間に昼食に出かけ、そして再び戻ってきたいわけですから。これは社員食堂がある巨大な金融企業であっても同じです」

あちこちの階で呼ばれるたびに止まるような従来のエレヴェーターシステムは、人の移動における“悪夢”なのだとオリーは言う。実際にシカゴにある1970年代のビルを使ったモデリングでは、昼食時の遅れが一日全体にわたる波及効果をもたらしたほどだ。

「ランチタイムにうまく人々を外に運び出すソリューションは、まだ見つかっていません」とオリーは認める。こうしたなか企業は、昔ながらのサンドウィッチのワゴン販売や小規模の食堂などを導入するようになっている。人々をオフィスにとどまらせ、ロビーに密集させないようにするためだ。

全員に有効な解決策はない

ロックダウンからの職場復帰がどう進められるかについてロジスティクスの面から計画する専門家たちは、類を見ないほど面倒な数学の問題に直面している。ロビーの形状やエレヴェーターの数、そしてその速度はビルごとに異なる。全員にとって有効なソリューションなど存在しないのだ。

例えば、1秒間に10m上昇する(ただし耳が痛くなる)エレヴェーターもあれば、それよりはるかに遅いエレヴェーターもある。オープンスペース型のオフィスが採用されている古いビルでは、オフィス全体の収容可能数が通常の1.5倍になる場合もあり、オフィスで働く人数とエレヴェーターの比率を正確に求められない。

広くて障害物の多い迷路のようなロビーにすれば、エレヴェーターの前まで来るまで時間がかかり、人々が列をつくって待つまでを遅らせることができるが、入り口のゲートの数を減らすと一カ所に集中する原因になる可能性がある。エレヴェーターの扉を各階で開くようにプログラムすると、ノンストップで人々を運ぶ場合と比較して無駄な時間が蓄積することになる。

ロンドンのウォータールーにある16階建てのWeWorkで働くある従業員は、自らデータを分析してみたが満足できる結果は出なかったと語る。

「エレヴェーターを乗り降りする人が6,000人もいるというのに、エレヴェーターは『ソーシャル・ディスタンスを保って壁のほうを向いた状態』の4人しか運べないのです」と、彼は指摘する。「もともと通勤に50分、往復で1時間40分かかるとしましょう。それに加えて、最低でも一日に2回、オフィスに上がるための20分が加わるのです」

ビルによっては、エレヴェーターが階数の一部しかカヴァーしないところもある。あるロジスティクス専門家は、ロンドン東部の再開発地区であるカナリー・ワーフを例に挙げる。ここにはロンドンで最も高いビルがいくつかあり、ビル内での運搬がどれほど複雑になりうるかを示す好例になっている。

「あるビルでは、低層階、中層階、上層階用のエレヴェーターがあります。ビルのいちばん下の階にいる下っ端の従業員が、ビルの最上階にいる役員と会うことになったとしましょう。その場合、ふたりが会うには15分の余裕が必要なのです」

思い切った解決策も

つまり、企業はジレンマに直面している。オフィスでソーシャル・ディスタンスを保つための装備については多額を費やして整えてきたが、従業員の半数がオフィスに戻るときに備えた準備を確実にする用意はできていないのだ。

人々が高層ビルで階段を利用してくれることはあてにできないことは、アラップのデータが示している。なぜなら、人々の90パーセントは4階分の階段を上がりたいとは思っていないからだ(20階や30階については言うまでもない)。

アラップのモデリングでは、人々をエレヴェーターの前に立たせないようにするために、ソーシャル・ディスタンスを示したロビーの指示区域のほか、ビルの外の路上でも空港のようなスタイルで列に並ぶ解決策が示されている。

また、エレヴェーターに乗り込んだあとには、人々に何にも触れさせないようにする必要がある。企業は中国からの“警告”を真剣に受け止めている。その警告とは、自覚症状のないひとりの人物がエレヴェーター内で何かに触れたことにより、その表面を介して別の誰かにウイルスを感染させたことからクラスターが生じ、70人が新型コロナウイルスに感染したことを示した報告書だ。ただし、これ以降の症例報告でエレヴェーターに関係するものはないようである。

事業用不動産サーヴィスを提供するジョーンズ ラング ラサール(JLL)で職場および占有率戦略のグローバルプロダクトマネジャーを務めるリー・ダニエルズによると、高層ビル「100ビショップスゲート」内のあるオフィスが思い切った解決策をとっているという。

「人々がロビーにやってくると、そこには各空間を管理する多数の掲示と人員が配備されており、各ビルに適切な人数だけを入場させます。さらに、エレヴェーターの内部にはアクリル板の仕切りが設置され、8人乗りのエレヴェーターに2人だけが入れるようにしているのです」

エレヴェーターの設計が変わる?

韓国や日本など世界のほかの地域では、従来型のエレヴェーターでボタンを押すために、つまようじが使われているとダニエルズは言う。ロビーに設置されたタッチパネルで階を選んでエレヴェーターを呼ぶようになっている建物では、ボタンを押すための人員を配置したり、その作業を受付係にやらせたりしている企業もある。個人のスマートフォンのアプリから指示できるエレヴェーターもある。

こうした対応策全体は、人々がルールを尊重するかどうかにかかっている。より多くの従業員が職場に戻り始めると、ガイドラインやステッカーを無視してエレヴェーターに飛び込んでくる人が必ず出てくるだろう。

そして今後のエレヴェーターは途中の階で停止せず、ソーシャル・ディスタンスを保つために定員を制限するようプログラムを変更できる「行先指定型」が標準になる可能性が高い。ただし、もともとそのような技術が搭載されていないシステムでは、技術導入は遅れるだろう。

一人ひとりにできること

ドイツの企業は、そもそも従業員の大半が通勤に公共交通機関を利用する必要があるなら、エレヴェーターでソーシャル・ディスタンスを確保しようとすることはあまり意味がないと考えている。マスクを着用し、過度な密集にならないようにしていれば、エレヴェーターは平均より高い利用率でも耐えられるというのだ。こうした論理に影響を受ける英国企業もあるが、これは危険な考え方かもしれない。

ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンのリサーチフェローでモデリングを研究しているララ・ゴーシェによると、エレヴェーターに当てはまるものと同じ原則が、地下鉄をはじめとする混雑した閉鎖環境にも当てはまるという。

「空間が混雑するほど、感染している人が(周囲の人に)ウイルスを感染させる可能性は高くなります」と、ゴーシェは指摘する。「呼吸しているときにウイルス粒子は最大1m飛ぶことがわかっています(せきをすると2m、くしゃみでは6m)。ですから人々は互いとの間に少なくとも1mの距離を置く必要があります」

これはつまり、例えばエレヴェーターの床が一辺が1mの正方形であれば、4人が四隅のそれぞれに収まることはできるが、それ以上は乗れないということだ。

新型コロナウイルスの粒子が空気中で生存できる時間ははっきりとわかっていないので、安全な距離を保つだけでは不十分という意見もあります、自分より前に感染者が列に並び、エレヴェーターに乗っていた場合の感染を防ぐことはできないという考えです」とゴーシェは言う。「つまり、少なくとも列に並んでエレヴェーターに乗るすべての人が、顔を覆うものを身につけるべきなのです」

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