カバが口の大きさを競い合うのには、カバの世界のある「ルール」が関係しています(写真:Angelika/iStock)

身近なのに実は知らないことが多い植物や昆虫、動物の生きざま。今回は植物研究者の稲垣栄洋氏の新著『生き物が大人になるまで 「成長」をめぐる生物学』より、カバはなぜ口の大きさを比べ合うのか、ヘラジカのつのはなぜあそこまで大きいのか、という理由について紹介します。

鳥には初めて見たものが「親」

子どもたちにとって、「親」とは、どのような存在なのでしょうか。子どもたちは、どのようにして「親」を認識するのでしょうか。辞書を引くと、「親」とは「子を持つ人のこと。また、人間以外の動物にもいう」と書かれています。「子を持つ人」と言われても、当の子からしてみれば、何が親なのかわかりません。

しかし、鳥にとっては、それは簡単です。鳥にとって「親」とは、「産まれて初めて見た動くもの」なのです。ヒナ鳥の頭の中にはそうプログラムされています。鳥は、親鳥が卵を温めます。そのため、「産まれて初めて見た動くもの」は、まず間違いなく親なので、この定義づけは、最も簡単で、最も適確なのです。

自然界で、このプログラムが問題を起こすことはまずありません。しかし、意地悪な人間が、実験的に産まれたばかりのヒナに機械仕掛けのおもちゃを見せると、ヒナたちはそのおもちゃを親だと認識して、おもちゃの後をついて歩くというのは、有名な話です。自然界で目の前におもちゃが現れることはまずありません。だから、「産まれて初めて見た動くもの」、鳥にとって「親」とは、そういうものなのです。

それでは、哺乳類にとって親とは何でしょうか。

哺乳類の場合、産まれたばかりの子どもにとっては、何が親なのかわかりません。しかし、哺乳類の親は、子育てをすることが大きな特徴です。哺乳類の子どもにとっては、「子育てをしてくれる存在」こそが親なのです。

動物園では、親の代わりに人間が動物の子どもにミルクをあげたり、エサをあげたりすることがありますが、そうして育てられた動物の子どもは、世話をしている人間のことを「親」だと思っているかもしれません。動物園で生きていくうえでは、それでまったく問題はありません。自分を守り、育ててくれる存在であれば、血がつながっていなくても、別の種類の生き物だったとしても、それは「親」ということで、何の不自由もないのです。

哺乳類が持つ「高度なプログラム」

虫などの生物の多くは、「本能」を発達させることによって生きる術を身につけてきましたが、これに対して哺乳類は、子育てによって「知能」を活用することを可能にしました。

「本能」が、自然界を生き抜くうえで最低限のプログラムであるのに対して、「知能」は、環境に応じてそのプラグラムを変化させてアップデートしたり、新しい形にグレートアップさせられるものなのです。

そのため、哺乳類の世界では、本能のみに頼って生きる生き物には見られないような、高度なプログラムが見られます。

それは、「ルール」です。例えば、カバのオスは、優劣を決めるときに、口を大きく開けて、口の大きさを競い合います。実際には、別に口の開け方が小さかったからと言って、そのまま力の強さが否定されるわけではありません。本当は、力づくで勝負を挑むことだってできますし、実際に激しい戦いになることもないわけではありません。

しかし、「口の開け方の大きい者が勝者である」ということが、カバの世界での「ルール」なのです。このルールを破って卑怯な戦いをすれば、オス同士が傷つき合い、結果としてカバの群れ全体が弱くなってしまいます。どのオスも争いに明け暮れて傷ついていたら、ほかの肉食動物に襲われやすくなってしまうかもしれないし、ほかのカバの群れになわばりを奪われてしまうかも知れません。

口が大きいことが、本当に強さの証しなのかどうかは、わかりません。また、それが自然界で重要なことなのかどうかはわかりません。しかしカバは、無用な争いを避けて群れが生き残るために、口の大きさで勝負を決めるという、高度なルールを発達させているのです。

ほかの例もあります。世界で最も大きなシカであるヘラジカは、とても立派なツノを持っています。シカのツノは戦うための武器ですが、ヘラジカのツノは大きすぎて、武器にするには使いにくいくらいです。


ヘラジカの世界ではツノの大きさが勝敗の決め手です(写真:Matt Dirksen/iStock)

もうおわかりかもしれませんが、ヘラジカの世界には、実際にツノを使って傷つけ合うことはせず、ツノの大きさで勝敗を決めるルールがあります。ツノが大きければ、もうそれで勝ちなのです。同じぐらいの大きさのツノの場合は、少しツノを突き合わせるくらいのことはありますが、それでも、本気で戦うようなことはありません。

オオカミやライオンなどのオスも、ときに激しく戦い合いますが、殺し合うまで戦うことはほとんどありません。どちらかが降参するか、逃げるかすれば勝負はおしまいです。生き抜いていくために、このような高度なルールを発達させたのです。

オスは「ルールを教える」存在

戦わずに勝敗を決める。こんな高度なルール作りは、知能が得意とするところです。しかし、こうしたルールは、体験から学ぶということはなかなかできません。「激しく戦い合えば、死んでしまう」「みんなで戦い合えば群れが滅んでしまう」ということを体験から覚えるとしたら、払う犠牲があまりにも大きすぎます。そのため、そのルールは、誰かが子どもたちに教え伝える必要があります。

哺乳動物では、そのルールを教える存在こそが、オスの役割なのです。メスは体の中で胎児を保護し、母乳で子どもを育てるという大切な役割があります。そして、オスがルールを教えていくという役割分担をしているのです。

哺乳動物の中には、オスが子育てに参加しないものもたくさんありますが、群れを作って暮らす動物のようにルールが必要な動物にとっては、オスの役割が重要なのです。