Jリーグ再開を報じたあるニュース番組は、それを受けて街頭インタビューを行った。場所は新橋だったと記憶する。答えていたのはサラリーマンで、お酒が入っていたかどうか定かではないが、酒に酔った勢いで、という感じではなかった。

 気になったのは、その中のある1人の言葉だった。再開を肯定しながらこのような一言を加えていた。

「いまスポーツ、何もやってないですからね」

 それまで、普通に存在していたものが存在していない。スポーツが行われていないという現実は、非常事態に置かれていることを実感する、分かりやすい例になる。「いまスポーツをやっていないですからね」は、現在の不安を吐露した言葉になる。そこで競技が再開されれば、日常に近づいた印象を受ける。再開は人を安堵させるフレーズであることは確かである。

 だが、やる人(選手)がいれば、見る人(観衆)もいるのがスポーツだ。観衆がいて初めて成立するものと言っても言い過ぎではない。それが今回の再開は、観衆不在の中で行われる。Jリーグより先に開幕する(6月19日)プロ野球しかり。しかし無観客試合とは、言い換えれば、観衆は安全ゾーンに身を置いていることを意味している。リスクゼロが保証されている。

 リスクを負うのは選手のみ。しかもサッカーは、接触プレーが多いスポーツだ。いま推奨されている適正な距離を保つことはできない。それとは真逆な環境で行われる。その危険な様子を、ファンはDAZN等を通じて傍観するわけだ。「いまスポーツ、何もやっていないですから」という台詞を聞くと、あまりにも自己中心的な意見に思えて仕方がない。

 ファンには「スタジアムに行け!」と迫られても拒否する権利がある。お金を払う側なので当然といえばそれまでだが、だとすれば、プレーを拒否する権利が与えられていない選手たちに、何かを求めることはできない。

 不甲斐ない敗戦を喫しても、ブーイングはできない。よくやったと讃えるしか選択肢はない。選手には、プレーしてくれるだけで感謝すべきなのだ。それが道理ではないか。

 だが、そうこうしているうちにJリーグは本日(6月9日)、7月10日から観客を入れて試合をすることに合意したと発表した。4日は無観客で開催するが、次節の第4節から上限5000人で行い、さらに8月1日からは、収容人員(定員)の50%の観客を入れて行うことになるという。

 向こう1、2ヶ月後の状況が現在とどう違っているか。楽観的な状況にあるのか否か定かではないが、この決定、大丈夫なのと首を傾げたくなる。

 定員の50%は、単純に言えば、隣の席は空いた状態にある。応援行為が自粛されれば、危険因子をある程度、避けることはできる。マナー遵守が徹底されれば、スタジアム内は大丈夫な場所かもしれない。

 問題はスタジアムへの行き帰りだ。たとえば埼玉スタジアム。定員は約6万4千人なので、8月からは、3万2千人まで観戦可能となる。しかし公共交通機関は埼玉高速鉄道のみと言っていい。利用可能な駅は浦和美園駅、ただひとつだ。観衆の8割が利用すれば車内は満員、すし詰めだ。まさに三密の状態が出来上がる。ファンにとってこれは試練になる。

 公共交通機関なので、電車にはもちろん一般の人も乗っている。サッカーファンのみならず、サッカーに関心のない人まで巻き添えにする可能性が生じることになる。

 サンフレッチェ広島がホームにするエディオンスタジアムも、アクセスはアストラムラインという脆弱な交通システムに限られる。定員は3万5000人なので、入場可能な人数は1万7500人。だが、これでもアストラムラインの車両は満員になる。

 一般の人の迷惑に最もなりそうなのが、味の素スタジアムだ。定員約5万人なので2万5千人まで可能になるが、京王線の飛田給駅を利用した行き帰りはこれでもラッシュアワー並の大混雑だ。一般の人も多く利用しているからだ。

 東京駅からバスでスタジアムを目指す鹿島(定員約4万)の場合はどうするのか。10〜20分間隔で運行している路線バスは、試合日となると観衆が2万人だったとしても毎度、確実に埋まっている。

 Jリーグのお偉いさんの頭には、どうやらスタジアム内のイメージしかできていないようだ。ファンがどのようにしてスタジアムに駆けつけるか。一般の乗客と車内でどう共存しているか、イメージできていないのではないか。この先、よほど事態が好転しない限り、危ないと言いたくなる。

 ファンはそれでも駆けつけるのか。繰り返すが、ファンには行かない権利、すなわち断る権利がある。健康リスクと観戦欲を天秤に掛けて判断する自由が与えられている。それが、選手にはない。「いまスポーツをやっていないですからね」という言葉を耳にすれば、不安を口にすることもできなくなる。Jリーグの再開について、不安を覚えずにはいられないのだ。