永遠に生きる伝説 世界中に衝撃を与えたアイルトン・セナの事故死から26年
1981年3月、ブランズハッチでフォーミュラ・フォード初戦を果たしたセナ。優勝まであと一歩に迫った1984年モナコ、ロータスでF1初優勝を飾った1985年ポルトガル、マクラーレンで初タイトルをもぎ取った1988年日本、初の母国優勝を果たした1991年ブラジル、抜群の強さを見せて優勝した1993年のドニントンなど数々の伝説を残した。中には、人間離れしたラップでポールを獲得しながらミスで優勝を逃した1988年モナコ、第1コーナーでプロストを道連れにしてタイトルを手に入れた1990年の鈴鹿といったレースもあった。

1991年のブラジルGPではマクラーレン・ホンダMP4/6を操り、母国ブラジルでチャンピオンに輝くという念願を叶えた。この時は、ギアボックスにトラブルが起き、唯一入った6速のままで走り抜けた。酷使されたセナの身体は、自らの力だけでマシンを降りることもままならず、トロフィーを掲げることさえできなかった。しかし、母国での優勝は、セナの心へ強く刻まれたのであった。それから2年後、1993年にドニントンパークで開催されたヨーロッパGPで雨が降りしきるコンディションの中、セナは90秒近い大差をつけてゴールを果たしている。

ドライバー人生最後となったのは、1994年5月1日のイモラ・サーキットで開催されたサンマリノGPでのことだった。7週目でコースアウトし、コンクリートウォールに衝突。マシンは大破し脳への損傷が激しく、34歳という若さで人生に幕を閉じた。その13年間のキャリアで、セナは生まれ持った才能、スピードへの情熱、勝利への執念で世界中の人々を魅了してきたのだ。
1983年のイギリスF3でセナの最大のライバルだったマーティン・ブランドルは、「この男とその非凡さには、心からの尊敬の念しかない。一筋縄ではいかない人物だった。だが、偉大なチャンピオンは皆そうではないか」と記している。アイルトン・セナのカリスマ性と情熱は、永遠に人々の心の中で生き続けるだろう。
