■SOSを出せず「共倒れになる親子」

2019年6月、東京・練馬区の自宅で、農林水産省の元事務次官(76)が、精神科に通院していた無職の長男(44)を殺害するという痛ましい事件が起きました。裁判では、発達障害に悩む息子を何とか支援しようと努力してきた両親が、社会や地域にSOSを出すことができずに孤立していく過程も明らかになりました。

このような問題は決してこの家族だけのものではなく、同じような境遇で孤立している家族は今も、日本全国に多く存在します。

私は精神保健福祉士として1995年から25年間にわたり、精神疾患や障害を抱えながら地域で暮らす患者と、その家族を支援してきました。ここではこの事件のように「共倒れになる親子」の事例として、統合失調症を患う中年男性と、男性を支える立場だった高齢の父親が、2人そろって精神科への入院を余儀なくされたケースを紹介します。

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生活保護費が出る月初め、老父が現役時代に通っていた高級寿司店をタクシーで訪ねるのが、親子にとってたったひとつの楽しみだった。そんなことをしていれば行き詰まって当たり前、と指弾する人もいるだろうが――。(写真はイメージです) - 写真=PIXTA

■濡れた衣服や惣菜パックが至るところに散乱

私には忘れられない親子がいます。2004年、担当していた精神科デイケアで出会った統合失調症の男性Aさん(37=当時)とその父親(69)です。

頼れる身寄りもおらず、1カ月計13万円の年金と生活保護費でほそぼそと暮らす2人。私たち専門職が数年にわたりサポートを続けましたが、親子が互いに傷つけあって次第に疲弊し、数年後には2人そろって精神科に入院するほどに追い詰められてしまいました。

支援のため自宅を訪れましたが、そこは足の踏み場もないほどのゴミ屋敷でした。濡れた衣服や惣菜パックが至るところに散乱し、大量のうじ虫やゴキブリにも遭遇しました。2人がここまでの状況に陥るまでには、長年にわたる、いくつもの不幸な出来事の積み重ねがありました。

■家事や片付けが非常に苦手だった息子

Aさんは元々「吃音(きつおん)」があり、人と接するのが苦手でした。小中学校では授業についていけず、学力も低かった様です。中学校を卒業後は、自動車部品関連の仕事に就きました。しかし同僚や上司に厳しく叱られて仕事が長続きせず、4度も転職します。

35歳頃、最後となった勤務先で周囲への被害的な発言が目立つようになり、解雇されました。当時定年退職して一人で暮らしていた父親に連絡が入り、迎えに行ったところ、早口で意味不明の発言をしていたといいます。程なく精神科で統合失調症と診断され、治療が開始されました。

こうして始まった父と子の2人暮らし。父の年金は毎月8万円で、足りない分は退職金を充てる生活でした。ここで分かったのは、Aさんは家事や片付けが非常に苦手だったということです。このため父が調理や掃除を行っていました。しかしAさんが40歳になる頃、父の退職金が底をついてしまったことで生活が困窮し、親子の言い争いが増えていきました。本来であれば、Aさんは2週間に1度の受診でしたが、お金がないため2カ月に1度の受診となることもありました。

■「カネのことをいちいち干渉するな!」

このため、外来ソーシャルワーカーの強い勧めにより、父親は生活保護の受給に踏み切りました。父親は世間体を気にして受給に消極的だったものの、月5万円の生活保護により計13万円の生活費が確保されるように。しかし、Aさんの通院状況は改善されませんでした。ソーシャルワーカーが2人から生活費の使い方を聞くと、父親は不機嫌に強い口調で「カネのことをいちいち干渉するな」と言い、話題を避けていました。

こうして何とか均衡を保っていた父子の生活が崩れたのは、Aさんが43歳の時です。父親が体調を崩し、Aさんが家事を担うようになって家が荒れていったのです。体調が悪化したためか、父親の口調も荒くなり、Aさんは父親が自分を責めていると感じ始め、徐々に落ち着かなくなっていきました。そんな息子と接する父親も、自暴自棄的な発言や疲弊した発言が目立つように。主治医が、このままでは2人の精神状態が悪化すると判断し、2人とも精神科への入院を余儀なくされました。

■温かく迎えられるのがうれしくて

父親の体調悪化の原因のひとつは、熱中症です。光熱費を滞納したことで、空調が使えなくなったのです。入院してしばらくして私は病棟でAさんから、13万円でどのような生活をしていたのか伺いました。

そうすると驚くべきことに、2人は月初めに入る生活保護を頼りに、高級すし屋にタクシーで行くことを楽しみにしていました。すし代は2人で3万円、タクシー代が往復で1万円。2人を温かく迎えてくれるお店の対応がうれしく、通い続けていたといいます。これは父親が働いていた頃からの唯一の楽しみであると共に、生活をここまで逼迫させた最大の原因だということが、後になってわかりました。

多くの人は、生活保護費で高級ずしを食べる親子を軽蔑し、2人の転落を「自業自得」と片付けるかもしれません。しかし私は、たったひとつの楽しみとして、カウンターで肩を並べておいしそうにすしを食べる2人を想像すると、Aさんを責めるどころか、ねぎらう思いにかき立てられました。精神疾患が当事者とその家族の生きがいまでも断ち切ってしまうことに、支援者としての無力さを感じました。

■当事者たちは、人との交流を求めている

Aさんは果たして何に苦しみ、父親と「共倒れ」してしまったのでしょう。精神科疾患の当事者を医療や地域で支えてきた「浦河べてるの家」の理事を務める向谷地生良氏は、「多くの当事者には『関係の障害』がある」と言います。実際に当事者のエピソードを聞いてみると、対人・親子・学校・職場・地域との関係に苦労している人が少なくありません。Aさんは、自分の父親に対して疑心暗鬼になっていました。まさに、「親子関係の障害」に苦しんでいたのだといえます。

また、若いころのAさんを苦しめたのは「職場関係の障害」です。ある当事者は「能力以上の取り組みを求められ、途方に暮れた」「職場への足が遠のき、自己喪失感に押しつぶされたが、自殺する勇気もなく、自宅にこもってしまった」と悲痛な声をあげます。

精神疾患の当事者は、身内も含めた対人交流の中で、冷やかしや批判、のけ者扱いを受けたと感じたり、他人より自分が劣っているという劣等感にさいなまれたりし、自ら交流を絶ってしまうケースが多いです。そうしないと、自尊心を保てない状態になっているのです。しかし実際に関わってみると分かるのですが、当事者たちは、実は人との交流を求めているのです。

■支える家族が「泥沼」にはまらないために

一方で、支える側である親や兄弟の立場はどうでしょうか。当事者の親の相談には、「子供のころはおとなしく、従順だった」「中学生頃から急に怒り出したり、会話を避けたりするようになった」「社会人になってからは独り言が多くなった」という内容が多く聞かれ、当事者が苦労している姿を見て、親も同じような苦しみを感じてしまっています。

先に紹介したAさんの父親も、息子が苦しむ姿を見て、ついには自分までもが病んでいきました。このように「支え方」がうまく見いだせず、支援者までもが泥沼にはまっていくケースは決して少なくありません。

この問題を解消するためには、何よりも「支え方」の技を磨くことが有効です。まず当事者が、自分で自分の支え方を身につけ、主体性を回復する。一方で親や支援者は、「自分はしょせん他人であり、本人に代わって苦労を請け負うことはできない」とわきまえる。この姿勢が大切です。周囲の人間ができるのは、当事者が「自分を助ける」ことを支援するところまでです。

親や支援者がとるべき姿勢は、当事者の性格や立ち居振る舞いを責めず、起こっている現象に着目して、その本質的な意味を考えることです。「引きこもっている長男」ではなく、「引きこもらざるを得なかった長男の背景」に着眼し、同じ目線に立って、新たな「自分の助け方」を一緒に探すのです。

■住民票の住所が病院になってしまう人も

現在、精神科病棟に入院している方は全国でおおよそ30万人と言われています。そのうち、入院が1年以上の方は約20万人という実態です。

実践知ですが、この20万人のうち精神科状態が寛解されており、地域での保健福祉サービスを活用すれば退院可能な方は3割、少なくとも6万人はいると思われます。しかし彼らは実生活に戻った途端、人づきあいや家事、お金のやりくりで挫折してしまいます。この「当たり前の苦労」でつまずき、再入院する方も多いのです。

当事者を受け入れた家族や親族も、精神疾患者の身内がいる後ろめたさから近隣と距離を置き、当事者支援サービスの受け入れを拒むケースが少なくありません。さらには、当事者と関与することすら拒否し、退院を阻止しようとする家族もいます。

いわゆる長期入院と言われている方の多くは、不穏、興奮状態がずっと続いているわけではなく、退院後の受け入れ態勢が整っていないことから、ひっそりと病棟で過ごしているのです。悲しいのは、入院されている当事者も高齢化してしまい、食事やトイレといった日常生活動作の介護が必要なため、退院できない方もいること。精神科病棟が自宅となり、住民票が病院という方もいるのです。

■あなた自身が「当事者」となる可能性もある

ここ数年は、精神障害者の方も、アパートや障害者グループホームに単身で退院することが増えました。しかし精神疾患者への偏見から、拒絶反応を示す地域住民は少なくありません。

私自身、入院中の当事者と退院先のアパートを探しにある不動産屋に行ったところ、精神疾患があると話した途端にけげんな表情をされました。「精神科にかかっている方は受け入れられない」と、きっぱり言われたこともあります。私の知る医療法人は精神疾患者のグループホームを立てる予定でしたが、地域住民が署名までして反対運動を起こしました。

こういった現状の打開に向けては、何はともあれ当事者とふれあってみてほしいのです。実はあなたの隣の家に、自分の支え方で苦労をしている当事者がいるかもしれません。あなたの知人は、過去にうつ病を患った方かもしれません。ちょっと神経質な言動をしている同僚は、実は精神科に通院しているのかもしれません。そのような人は身近にたくさんいるのです。あなたはその方々にひどい仕打ちを受けたでしょうか。彼らは普通の住民、同僚、仲間なのです。

ある当事者に「地域の方が自分にどう接してほしいか」と問いかけてみたところ、彼は「普通の住民と思ってほしい」と答えました。環境や状況によって、あなた自身も「当たり前の苦労」でつまずき、当事者となる可能性があるのです。「お互いさま」の気持ちで受け入れられる寛容さが広がってほしいと願っています。

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安藤 知行(あんどう・ともゆき)
精神保健福祉士
25年間精神医療現場に携わる。千葉県精神保健福祉士協会理事。千葉県精神保健福祉協議会常任理事。聖徳大学心理・福祉学部非常勤講師。精神保健福祉に関する理解促進と精神障害者の社会参加を目的に16年間「心のふれあいフェスティバル」を実行委員として運営。趣味草野球。
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(精神保健福祉士 安藤 知行)