「M-1史上最高得点」で優勝を飾ったミルクボーイ(左:駒場孝、右:内海崇)。2人の漫才の魅力とは?(写真:日刊スポーツ新聞社)

12月22日に放送された漫才日本一を決める『M-1グランプリ2019』(ABC・テレビ朝日系)で優勝を果たしたのは、無名のダークホースであるミルクボーイだった。無骨な外見の彼らが披露した漫才はうねるような大爆笑を巻き起こし、ファーストステージでは『M-1』史上最高得点となる681点を記録。最終決戦でも勢いそのままに審査員7人中6人の支持を得て栄冠を手にした。

ミルクボーイの漫才はなぜ大ウケしたのか。どこが面白かったのか。以下、その理由について漫才の内容を紹介しながら分析していく。

松本も絶賛!「行ったり来たり漫才」の魅力

決勝で彼らは2本の漫才を演じた。基本的なフォーマットはいずれも同じだ。駒場孝が1つの話題を提示して、それを軸に会話が進んでいく。1本目の漫才では、駒場が「母親が好きな朝ご飯を思い出せなくて困っている」と言う。相方の内海崇は、駒場の母親が好きな朝ご飯を言い当てるため、彼女がどんな特徴を挙げていたのか教えてほしいと頼む。

何気ないところだが、この導入は秀逸だ。漫才の冒頭で駒場が謎を提示し、内海がその謎を解くという形で会話が進んでいく。「謎」は物語を駆動させる推進力になる。ドラマでも小説でも、謎解きを基調にしたミステリーという分野には根強い人気がある。謎が提示されると思わず解きたくなってしまうのが人間の本能だ。ここで彼らは、漫才という短い会話劇の世界に観客を引き込むことに成功している。

駒場は「甘くてカリカリしていて牛乳をかけて食べるやつ」という特徴を挙げる。これを聞いた内海は拍子抜けしたように「コーンフレークやないか。その特徴はもう完全にコーンフレークやないか」と断言する。だが、駒場の表情は晴れない。駒場は、母親が「死ぬ前の最後のご飯もそれでいい」と言っていたと続ける。そこで内海も「ほなコーンフレークと違うか」と答えを撤回する。

その後、駒場がコーンフレークっぽい特徴とそうではない特徴を交互に出していき、そのたびに内海の意見がコロコロ変わる。それが延々と繰り返されることで、駒場の母親が好きだったのはいったい何だったのか、その答えは見失われていく。

この時点ですでに、謎解きは漫才の主題ではなくなっている。謎解きを軸にすると見せかけて、まっすぐ進んでいたはずの車は、駒場の大胆なハンドルさばきによって大きく左右に揺さぶられる。審査員の1人である松本人志が2人の漫才を「行ったり来たり漫才」と名付けたのはここから来ている。

でも、2人の魅力はそれだけではない。駒場が相反する特徴を交互に挙げていくだけなら、そこに笑いが起こる要素はない。駒場の言葉に対する内海のリアクションこそが笑いを生む。内海は、駒場の提示する特徴を受けて、コーンフレークに対して「そこまで言わなくてもいいんじゃないか」というぐらい偏見混じりの熱い主張を展開していくのだ。

例えば、母親が「死ぬ前の最後のご飯もそれでいい」と言っていたというのを受けて、内海は「人生の最後がコーンフレークでええわけないもんね。コーンフレークはね、まだ寿命に余裕があるから食べてられんのよ」と言う。

また、母親が「晩ご飯で出てきても全然いい」と言っていたという話に対しては、「ほなコーンフレークちゃうがな。晩飯でコーンフレーク出てきたらちゃぶ台ひっくり返すもんね。コーンフレークはね、まだ朝の寝ぼけてるときやから食べてられんのよ。食べてるうちにだんだん目が覚めてくるからちょっとだけ残してまうねん」と言う。

ここで内海がコーンフレークについて言っていることは「言われてみれば確かに一理あるが、そこまで強く言うほどのことではない」と多くの人が感じるようなことだ。だからこそ、角刈りで小太りのコミカルな外見の内海がそれをここまで力強く主張することで、おかしさがこみ上げてくる。

ミルクボーイの「面白さの本質」

2本目の漫才では、駒場の母親が好きな菓子を思い出せないというところから会話が始まる。もなかっぽい特徴とそうではない特徴が交互に挙げられて、「行ったり来たり漫才」が展開される。

駒場が「関係性で言うともみじ饅頭のいとこらしい」と特徴を言うと、内海は「ほなもなかやないかい。何となく似てるやろ、あれ。もなかの親父の弟の子供がもみじ饅頭やねん」と菓子の血縁関係について自説を述べる。さらに、「もなかの親父が京都に単身赴任したときにできた子供が八ツ橋とおたべやねん」「もなかの双子がもなか」「もなかとアイスの子供がモナ王」などと、もなかを中心にした家系図をよどみなく説明してみせる。1本目の漫才よりもさらに内海が暴走している。

いわば、ミルクボーイの漫才では、冒頭で謎解きの推進力で前に進むと見せかけて、駒場が2つの方向性の特徴を次々に挙げることで左右に揺さぶる。さらに、内海の熱っぽい主張によって、左右に揺れた車はそのまま道路を外れてあらぬ方向にまで進んでいく。当初予想もしていなかった荒々しい蛇行運転の危険な暴走。それがミルクボーイの漫才の面白さの本質である。

この漫才が面白いものとして成立するには、何と言っても題材選びが鍵になる。そこそこ有名で誰でも知っているものであると同時に、王道ではない存在感の薄いものでなければならない。彼らはこの形の漫才ネタを数多く持っているが、決勝で演じた2本のネタが題材としてはベストだった。

コーンフレークともなかは、世代を問わず多くの人が知っている身近なものでありながら、食事や菓子といった各ジャンルの中ではややマイナーな地位にあり、普段それについてじっくりと考えるようなことがないものだ。だからこそ、それらを主題として深く掘り下げることで、見る人に新鮮な驚きを与えられる。コーンフレークともなかという題材こそが、この漫才の面白さを万人に伝えるのに最適だったのだ。

ネタも技術も完成された「しゃべくり漫才」

また、ネタの面白さばかりが注目されがちだが、ミルクボーイの2人は漫才の技術も高い。純粋に会話だけで進行する「しゃべくり漫才」では、しゃべりの上手さが求められる。

内海は甲高い声でハキハキと話すので言葉が聞き取りやすい。一方の駒場は、ボディビルダーとしても活動しているほどの本格的な筋肉芸人だ。なかやまきんに君や小島よしお、オードリーの春日俊彰など、筋肉を売りにしている芸人にはどこか抜けたところのあるキャラクターの持ち主が多い。駒場もその特性を生かして、何を考えているのか分からないような妙に落ち着いた話し方で漫才を演じている。母親が忘れたものが分からなくて困っているという自然な演技をずっと貫いているので、違和感がない。

2019年の『M-1』は「史上最もレベルが高かった」と言われている。実際、かまいたちや和牛の技術の粋を尽くしたようなスキのない漫才は圧巻だったし、新しいツッコミの手法を提示したぺこぱの漫才も衝撃的だった。それ以外のファイナリストもそれぞれに持ち味を出して大きな笑いを取っていた。

ただ、そんな中で、ミルクボーイの漫才は頭一つ抜けた大きな笑いを取っていた。刀でスパッと斬るような技巧的な漫才ではなく、鈍器で力任せに殴りつけるような破壊力抜群の漫才だった。ミルクボーイは道なき道を暴走する「行ったり来たり漫才」でその名を歴史に刻んだ。