日本人のノーベル賞が「急減する」絶対的理由
ノーベル賞受賞者を数多く輩出している日本ですが、この状況が将来にわたって続いていく可能性はとても低いと言わざるをえません(写真:Wdnet Studio/PIXTA)
2019年のノーベル化学賞を吉野彰氏が受賞しました。昨年、医学・生理学賞を受賞した本庶佑氏に続く快挙で、近年は日本人の受賞ラッシュが続いています。しかし、一方で、科学立国の危機を示す数々のデータが明らかになっています。
近著『科学者が消える ノーベル賞が取れなくなる日本』を上梓した岩本宣明氏が、今後のノーベル賞について驚きの未来予測を明らかにします。
『Nature』の衝撃
これまでの日本人ノーベル賞受賞者は24人。2017年に文学賞を受賞した長崎出身の英国人作家カズオ・イシグロさんら外国籍の日本出身者を含めると27人で、世界第7位。欧米諸国以外の国々の中では首位独走です。
今世紀の自然科学部門に限ると、日本人受賞者は15人。アメリカ(68人)、イギリス(16人)に次ぐ第3位で、堂々のノーベル賞受賞大国です。
2008年に物理学賞を受賞したヨウイチロウ・ナンブ(南部陽一郎)さんと2014年に物理学賞を受賞したシュウジ・ナカムラ(中村修二)さんは米国籍のためアメリカにカウントしていますから、この2人を日本人受賞者に加えると、イギリスを抜いて2位です。授賞理由の研究はお二人とも国籍変更前の実績ですから、我田引水ではありません。
しかし、残念なことに、この状況が将来にわたって続いていく可能性はとても低いと言わざるをえません。ノーベル賞の受賞者は高齢化の傾向があり、受賞者が授賞理由となった研究を発表した年と受賞した年には、概ね25年のタイムラグがありますが、近年、さまざまなデータが日本の科学技術力の劣化を示しているからです。
つまり、今世紀に入っての日本人受賞ラッシュは過去の遺産の賜物なのです。
日本の科学技術力の劣化は数年前からさまざまな研究者によって指摘されていたことですが、研究関係者や日本社会に衝撃を与えたのは英国の科学誌『Nature』の2017年3月号でした。
日本の科学論文数の国際シェアの低下を分析し、日本の科学研究力が失速していることを指摘したのです。『Nature』誌は世界で最も権威ある学術雑誌の一つで、同誌に論文が掲載されると科学者は一流と認められます。
各国の科学技術力を比較する指標には、論文数、高被引用論文数(他の研究者の論文に引用される頻度の高い論文の数)、世界大学ランキングなどがあります。そのいずれもが、日本の科学技術力の低下を示しています。
まず、大学ランキングを見てみましょう。世界ではさまざまな機関が独自の基準で評価し、大学ランキングを公表しています。
最も有名なのは英国教育専門誌『Times Higher Education(THE)』の「世界大学ランキング」ですが、2016年に評価基準を変更し推移が理解しにくいため、上海交通大学の「世界大学学術ランキング」(上海ランキング)を例に見てみます。
上海ランキングに限らず各機関の大学ランキングでは、毎年トップ10は米英の大学がほぼ独占しています。評価の基準はさまざまですが、どのランキングも論文数や被引用論文数を重視しているため、論文数が圧倒的に多い米英の大学が有利だからです。
注目すべきは上位にランクされた日本の大学の、順位の推移です。表に上海ランキングでの日本のランキング上位大学の順位の推移を示しました。今世紀に入り、日本の大学が徐々にランキングを落としていることがわかります。
上海ランキングの評価基準は研究力のみです。具体的には、ノーベル賞やフィールズ賞を受賞した卒業生や教員(研究者)の数、被引用論文の多い研究者の数、『Nature』誌と『Science』誌に発表された論文数などが指標です。
つまり、上海ランキングで順位が下がっていることは、大学の研究力が劣化していることを示しています。
主要国で唯一、論文数が減少
次に論文数です。世界の自然科学系論文数の推移のデータを見ると、全世界の論文数は増加し続けています。1981年の約40万件から2015年には約140万件に増えました。3.5倍です。
日本を除く主要国も論文数を増やし続けています。ここでいう主要国とは研究開発費総額上位のアメリカ、中国、日本、ドイツ、韓国、フランス、イギリスの7カ国のことです。
そのような趨勢の中で、唯一日本だけが近年、論文数を減らしています。1990年代後半に横ばいの時代を迎え、2000年代に入ると論文数世界2位の座から陥落、2013年以降は論文数が減少し始めています。
かつてアメリカに次ぐ論文数を誇った日本の現在の位置は、アメリカ、中国、イギリス、ドイツに次ぐ5位です。
論文数は研究者の実績となるため、よいポストを得るためにとにかく論文の数を稼ごうとする研究者は少なくありません。が、粗製乱造ではいくら数が多くても意味はありません。反対に言うと、全体の数は少なくなっても、優れた論文の数が増えていたり維持されていたりするのであればそれほど大きな問題ではないともいえます。
ところが、「優れた論文」の数も日本は減らし続けています。「優れた論文」とは随分、主観的な表現に聞こえるかもしれませんが、ちゃんと客観的な指標があります。
自然科学の世界では、ほかの研究者の論文に引用される回数が多ければ多いほど優れた論文とみなされます。ほかの研究者の研究の役に立ったり影響を与えたりした証しだからです。引用数が上位10%に入る論文の数も、上位1%の数も日本は下げ続けています。
毎年、ノーベル賞の発表が近づくと、世界の各メディアはノーベル賞受賞者を予想します。当たるも八卦当たらぬも八卦です。が、自然科学部門では、論文数やその被引用数による予想がある程度当たっています。
2018年の本庶佑さんの生理学・医学賞受賞は多くのメディアが予想していました。つまり、研究者の論文数や被引用論文数の多寡とノーベル賞受賞には関連性があるということです。優秀な研究者の論文は多く引用される、あるいは被引用数の多い論文を発表した研究者が優秀と認められることを考えれば、当然のことです。
そこで、ある国の論文数や被引用論文数と、その国のノーベル賞受賞者数に相関が見られるのかどうか、ちょっと調べてみました。前提は、論文数や引用されることが多い論文の数は、その国の学術の活性や優位性の指標となるはずで、その象徴であるノーベル賞受賞とも相関しているのではないか、という仮説です。
ノーベル賞受賞の時期と、授賞理由となった研究の時期には大きなタイムラグがあります。受賞者すべてのタイムラグの平均はとても算出できませんでしたが、日本人受賞者の平均は25年です。
25年前の論文が重要
日本人受賞者の受賞年齢と、授賞理由となった研究を発表したときの年齢から簡単に計算できます。ほかのデータから全受賞者の平均タイムラグにも大きな違いはないと推察できます。
ある年の各国のノーベル賞受賞者数シェアと、その25年前の論文数や高被引用論文数に有意な関係が認められるかどうかを調べてみました。
といっても、ある1年だけを抽出するとノーベル賞受賞者がいない国も多いので、2001年から2010年と2011年から2018年の2つの期間を設定し、その期間の各国のノーベル賞受賞者の合計と、25年前の期間の論文数シェアと高被引用論文数シェアの平均値を比較してみました。
2001年から2010年の25年前は1976年から1985年、2011年から2018年の25年前は1986年から1993年です。残念なことに、1976年からの10年間の論文数シェアのデータのすべては古すぎて見つからなかったので、見つけられた一番古いデータの1981年から1985年の平均値で代用しました。
1976年から1985年の平均値ではありませんが、重なる時期もあり、シェアは数年では大きくは変動しないのでさほど大きな違いはないと思われます。
2001年から2010年の表を見てください。受賞者数シェアと25年前の5年間の被引用論文数シェアの平均を比較してみます。アメリカは52%と52.8%、日本は8%と6.5%、イギリスは11%と10.6%、フランスは5%と5.3%、ドイツは7%と7.6%です。
お見事と言ってよいほど近似しています。2011年から2018年の受賞者数シェアと25年前の被引用論文数シェアも、同じように近似しています。
つまり、各国のノーベル賞受賞者数と25年前の被引用論文数シェアは相関しています。もちろん、ノーベル賞の全受賞者とその授賞対象の研究時期や、1970年代以前の論文データを網羅した精密な検証ではないので、偶然の一致である可能性は否定しません。
日米は減少、中国が毎年受賞する!?
被引用数が上位1%の論文のことはTop1%補正論文、上位10%の論文はTop10%補正論文と呼びます。2013年から2015年の平均値で、Top1%補正論文数の日本のシェアは2.4%、Top10%では3.1%です。
25年前の高被引用論文数シェアとノーベル賞受賞者数のシェアが強い相関を示すという仮説が正しければ、2015年の25年後、つまり2040年ごろには、日本人ノーベル賞受賞者のシェアは3%前後となる可能性があります。自然科学系受賞者の数は毎年6人前後ですから、その3%は0.18人です。5年に1人受賞できるかどうかという数です。
日本に代わって台頭してきそうなのがTop1%補正論文数シェア14.3%の中国です。現在の受賞者シェア約50%のアメリカもうかうかできません。Top1%論文のシェアは34.3%にまで減少しています。
アメリカは受賞者を減らし、中国は毎年のように受賞者を輩出する。そして、日本は5年ぶりの受賞の知らせに拍手を送っている。25年後のノーベル賞受賞シーズンは、そんな光景になっているかもしれません。