暴言・マジギレ上等、高学歴モンスターの正体
迷惑な「一流大卒」の特徴とは(写真: polkadot / PIXTA)
昨今、一流大学を卒業しながら、問題を起こす人が後を絶ちません。秘書を罵倒した音声が流出し、選挙で落ちた豊田真由子元代議士。東北の台風被災地に長靴を忘れて現れ、職員におんぶされて視察し批判されるも、「長靴業界が儲かったのではないか」と発言した務台俊介元政務官。
どうして彼らはこのような行動を起こしてしまうのでしょうか。本稿では『高学歴モンスター: 一流大学卒の迷惑な人たち』を刊行した精神科医の片田珠美氏が、高学歴で迷惑な人たちの精神構造や彼らからの攻撃を防ぐ方法を紹介します。
「この、ハゲーッ!!」という暴言で一躍有名になった豊田真由子前衆院議員。豊田氏は、中高は女子御三家の一角を占める桜蔭(おういん)を卒業し、東大法学部を経て旧・厚生省(現・厚生労働省)の官僚になり、自民党公認で衆院選に出馬して当選と輝かしい経歴だが、政策秘書を務めていた男性への暴言と暴行が報じられ、2017年6月に自民党を離党した。
豊田氏は、高学歴なのにつまずく典型例のように見えるので、まず彼女の分析から始めたい。
強い特権意識
豊田氏が激怒したきっかけは、彼女が支持者に送るよう事務所スタッフに指示していたバースデーカードにミスがあった事実が2017年5月18日に発覚したことである。豊田氏は翌19日、政策秘書の男性に「鉄パイプでお前の頭を砕いてやろうか!」「お前の娘にも危害が及ぶ」と罵(ののし)り、暴力を振るった。もっとも、バースデーカードの件は、この政策秘書自身のミスではなかったようだ。
言い知れぬ恐怖を覚えた政策秘書は、その翌日から万が一に備えて豊田氏との車内の様子をICレコーダーで録音することにした。ICレコーダーに残されていた「この、ハゲーッ!」「違うだろーっ!」といった暴言は、インターネット上で公開されたうえ、テレビでも繰り返し流されて、すっかり有名になった。
政策秘書への暴言と暴行が『週刊新潮』(2017年6月29日号)で報じられると、豊田氏は入院した。スキャンダルが報じられたとたん入院するのは、政治家の常套(じょうとう)手段のように見えなくもない。少なくとも、説明責任を放棄したという印象を私は受けた。
一方、政策秘書には「顔面打撲(だぼく)傷」「左上腕挫傷(ざしょう)」などの診断書が出されており、豊田氏から暴行を受けたとして埼玉県警に被害届を提出した。それを受理した県警は、豊田氏から事情聴取し、その後傷害と暴行の疑いで書類送検した(結局、豊田氏は不起訴処分となった)。
この一連の騒動を振り返って感じるのは、「自分は特別な人間だから、少々のことは許される」と思い込んで暴走する面が豊田氏にあることだ。こうした傾向は、秘書への暴言と暴行だけでなく、2014年4月に園遊会に出席した際に起こしたトラブルにも如実に表れている。
園遊会に招待されるのは現職の国会議員と配偶者で、他の家族の同伴は認められていない。にもかかわらず、豊田氏は本来招待されていた配偶者ではなく、母親を入場させようとしたらしい。そのため、受付の職員が豊田氏に「招待者でない方は入場できない」と説明すると、豊田氏は大声を上げて抗議し、皇宮警察が出動する騒ぎになったという。
これは、強い特権意識ゆえに「自分は特別有利な取り計らいをしてもらって当然の人間」だから、「普通の人に適用される規則は、自分には適用されない」と思い込んでいたからではないか。
そう思い込んでも不思議ではないほど豊田氏の経歴は立派で、まさに「ピカピカの履歴書」をひっさげて衆院選に立候補し、当選したわけだが、それがかえってつまずきの石になったように見える。自分自身の経歴や肩書を過大評価し、特権意識の塊のようになって暴走した挙げ句つまずくのは、高学歴エリートにありがちな話である。
想像力と共感の欠如
豊田氏が政策秘書に暴言を吐いたり、暴力を振るったりしたのは、自分自身の言動が相手にどんな影響を与え、どんな反応を引き起こすのか、想像できないからではないか。また、相手の気持ちを認識しようとせず、痛みに共感できないことが、人を人とも思わない暴言を吐く一因のようにも見える。
豊田氏は、気性の激しさから、永田町では「第二の田中真紀子」と呼ばれていたらしい。「人間には3種類しかいない。家族、使用人、敵」(「朝日新聞」2001年6月7日付)という名言を吐いた田中氏と同様に、人間を3種類に分類していたのかもしれない。だとすれば、豊田氏にとって、秘書は使用人のカテゴリーに入っていたはずで、使用人には何を言っても、何をやっても許されるという驕(おご)りが暴言や暴行を生み出した可能性もある。
このように周囲の人間を3種類に分けて対応すると、上にへつらい、下に厳しくなる。言い換えれば、外面(そとづら)が良く、内面(うちづら)が悪いわけだが、それを示す音声データを『週刊新潮』が公開している。
「役立たず、この!」「何時から回ってるのかも知らないんですか!」などとドスのきいたガナリ声で政策秘書に対してわめいた直後、第三者との電話では乙女のような猫撫(ねこな)で声に豹変(ひょうへん)する。そして、「会長おはようございます〜。どうも〜、昨日はありがとうございました〜。うん、留守電聞きました〜。ありがとうございました〜。えっと、14時からスタートですよね? いたほうがよいですかしら?」と丁寧に話す。
ところが、「猫撫で電話」を終えると再び豹変し、政策秘書に対して「(豊田氏の訊(き)いたことに対して)イエスかノーだよ!」と絶叫する。
この豹変から浮かび上がるのは、使用人にすぎない秘書の心情など想像するには及ばないし、その痛みに共感する必要もないという傲慢(ごうまん)さである。こうした傲慢さは、豊田氏に限らず、高学歴エリートにしばしば認められる。それが、ちょっとした言動に表れて、反感を買うことも少なくない。
現実否認
豊田氏は、報じられた暴言や暴行について、否認することで切り抜けようとしたように見える。
まず、政策秘書に「お前の娘がさ、通り魔に強姦されてさ、死んだと。いや犯すつもりはなかったんです、合意の上です、殺すつもりはなかったんですと。腹立たない?」と発言したことについて、『週刊新潮』の取材に対し、「『お前の娘が通り魔に強姦されて死んだらどうする』といったような発言はしておりません」と、文書で明確に否定した(『週刊新潮』2017年6月29日号)。録音データはないと高を括(くく)っていたのかもしれないが、録音された音声がしっかり残っている。
また、『文藝春秋』(2017年10月号)に掲載された独占告白を読んで、現実否認と自己正当化に終始している印象を私は受けた。
たとえば、政策秘書への暴言と暴行は、〈私が積み重ねてきた地元の方々との信頼関係が次々と崩されていってしまう〉ことへの〈恐怖〉で、〈パニック状態に陥ってしまった〉せいだという。そして、その様子が収められた〈録音を聞くと、自分でも茫然としてしまいます〉と弁明している。
さらに、〈Aさん(政策秘書を務めていた男性)は幾度となく、『わざとではないか』と思えるほど失敗を繰り返していました〉〈追い討ちをかけるようなAさんの失敗が続いた〉などと述べている。
したがって、告白記事で豊田氏は、「政策秘書はミスを繰り返していた。そのため、堪(こら)えきれず、〈パニック状態〉になって、つい暴言を吐き、暴力を振るってしまった。だから、私は悪くない」のであり、自分のほうこそ“被害者”だと主張しようとしたように私の目には映った。もっとも、このような主張が果たして受け入れられるのか、はなはだ疑問である。
というのも、豊田氏の事務所を辞めた元秘書たちが反論しているからだ。以下『週刊新潮』2017年9月21日号から引用する。まず、豊田氏が 〈私は、今回のような形で叱責をすることはこれまで決してありませんでした〉と告白したことに対して、被害に遭った政策秘書とは別の元秘書が、
「私も『なんで、裏道を調べておかないんだっ!』と詰(なじ)られ、『あなたの人生、勘違いばっかりじゃない!』とバカにされたことがある。何人もの元秘書が、豊田による罵倒(ばとう)を経験しています」
と証言している。
また、豊田氏が告白記事で〈(『週刊新潮』に)「秘書が100人辞めた」と書かれていますが、お辞めになられたのは公設・私設あわせて15名程度です〉と述べたことについても、元秘書の1人が、「私が秘書をしていたのは2カ月ほどですが、その間にいた、私を含めた5人の秘書全員が今はいません」と証言している。別の元秘書も、「私が見た範囲では、半年で20人は事務所を辞めています」と証言している。
こうした証言が事実とすれば、豊田氏は5年近く衆院議員を務めていたのだから、「秘書が100人辞めた」というのは決して誇張ではないと思われる。それでも、豊田氏は、あくまでも週刊誌報道を否認し続けることによって、難局を乗り切ろうとしたわけである。
自分の主張に対して元秘書をはじめとする周囲の人々が反論するかもしれないとか、“嘘(うそ)つき”と非難されるかもしれないとは考えなかったのかと、首をかしげざるをえない。もっとも、自分にとって都合の悪い事実を突きつけられると、とりあえず否認するのが人間という生き物である。
というのも、否認は、アメリカの精神科医、エリザベス・キューブラー・ロスが見抜いているように、「不快で苦痛に満ちた状況に対する健康的な対処法」にほかならないからだ。否認には、「予期しないショッキングな知らせを受けたときにその衝撃をやわらげる」機能がある。したがって、困難な現実に直面すると、最初は誰でも多かれ少なかれ「否認によって自分を落ち着かせ、時間が経(た)つにつれ、別のもっと穏やかな自己防衛法を使うようになる」(『死ぬ瞬間―死とその過程について』)。
否認は一時的な自己防衛にすぎない
重要なのは、否認はあくまでも一時的な自己防衛にすぎないということだ。時間稼ぎと言ってもいいかもしれない。ところが、中には、ある程度時間が経っても、否認し続けようとする人がいる。こういうタイプは、豊田氏のような高学歴エリートに比較的多いように見受けられる。
これは、3つの理由による。まず、高学歴エリートほど失うものが大きく、喪失不安が強い。それゆえ、自己保身のために否認し続けようとする。豊田氏も、暴言や暴行の事実を認めてしまうと、議員辞職に追い込まれ、自分自身のプライドを支えていた衆院議員の肩書を失うのではないかと危惧(きぐ)した可能性が高い。
また、自己愛の傷つきを恐れるあまり、目の前の現実をどうしても受け入れられず、錯誤に陥りやすい。ときには、「〜だったらいいのに」という願望をあたかも現実のように思い込む「幻想的願望充足」の状態になることもある。そのため、否認し続けると、かえって状況が悪化しかねないのに、それを認識できず、合理的な判断ができなくなる。
さらに、なまじ頭が良く、弁も立つだけに、否認し続けていれば周囲も信じてくれるはずと思い込みやすいことも重要な要因だろう。つまり、自分自身の能力を過信しているからこそ、否認し続けるのだ。もっとも、それがかえって怒りや反感を買うことは、豊田氏を見れば一目瞭然である。
豊田氏は、約3カ月の入院を経て、9月18日に謝罪会見を開いた。その後、衆議院が解散され、10月6日に「志を断ち切りがたく、もしチャンスをいただけるなら、地域、国のために働きたい」と衆院選への出馬を正式に表明した。
地元の支援者から「もう一回頑張れと励ましの声をいただいた」ということだが、自民党を離党していたので、無所属での出馬になった。しかも、自民党が公認候補を擁立したため、厳しい選挙戦になり、落選した。
これは、予想どおりの結果である。秘書への暴言と暴行だけでなく、園遊会での騒動や数多くの秘書の退職なども報道されて、豊田氏の評判は地に落ちたと言っても過言ではない。たとえ優秀でも、こういう人物が国会議員を続けるのはいかがなものかという声も少なくなかった。したがって、解散総選挙での当選の可能性は限りなくゼロに近いというのが大方の見方だったのではないか。
それでも豊田氏が立候補したのは、良く言えば、どんなに厳しい状況でも、くじけず、へこたれず、挑戦して戦うという姿勢の表れだろう。だが、悪く言えば、状況判断が甘いということになる。
このような状況判断の甘さも、高学歴エリートにときどき認められる。「あんなに優秀で、経歴も立派なのに、なぜ状況判断が甘いのか」と驚くことも少なくない。これは、2つの理由によると考えられる。
まず、過去の成功体験があるだけに、「今度もうまくいくはず」と楽観的に考えてしまうことが大きい。また、しばしば自分自身の能力を過大評価しており、「自分は何でもできるはず」と万能感を抱いていることにもよるだろう。
いずれにせよ、自分で自分が見えなくなる。その結果、過酷な現実に直面して、自己愛の深刻な傷つきに見舞われることも少なくない。それでも、現実否認と自己正当化を続け、周囲の失笑を買うことさえある。
自覚の欠如
『文藝春秋』に掲載された豊田氏の告白を読むと、徹頭徹尾「政策秘書にとんでもないミスを連発されて、こんな結果になってしまった。私は悪くない」と自己正当化している印象を受ける。
これは、自分自身の言動が相手を激しく傷つけたという自覚がないからではないか。豊田氏は、自分のほうこそ“被害者”だと主張したいのではないかと勘繰らずにはいられない。
こうした自覚の欠如は、少なくとも2つの面で認められる。「衝動コントロールの未熟さ」と「精神的な幼児性」である。
まず、衝動コントロールの未熟さは、豊田氏が怒りと攻撃衝動をコントロールできず、暴言を吐いた相手がこの政策秘書だけではないという事実に端的に表れている。2012年12月に初当選した衆院選の期間中から暴言がひどく、何度も「ぶち切れていた」らしい。
このように衝動のコントロールができず感情的になる一因に、先述の強い特権意識がある。自分は少々感情的になっても許されると思い込んでいると、歯止めがきかず、暴走しやすいからだ。また、先述の想像力と共感の欠如のせいで、自分が感情的になって吐く言葉が相手をどれだけ傷つけるかに思いが及ばないこともあると考えられる。
衝動コントロールができない代議士は少なくない
こうした傾向は、豊田氏に限らず、特権的な立場にいるエリートにしばしば認められる。豊田氏のふるまいについて、自民党の河村建夫元官房長官は、「あれはたまたま彼女が女性だから、あんな男の代議士なんかいっぱいいる。あんなもんじゃすまない」と発言して、物議を醸したが、さもありなんという感じである。特権意識が強く、想像力と共感が欠如しているせいで、衝動コントロールができない代議士は少なくないと推測される。
ただ、豊田氏の場合、すさまじい暴言で政策秘書を罵倒し、暴力まで振るっているので、精神科医としては「間欠爆発症」の可能性も疑わざるをえない。
「間欠爆発症」は、攻撃衝動を制御できない衝動制御障害の一種であり、激しい口論や喧嘩、他人への暴力や器物の破壊などを繰り返す。しかも、攻撃性の爆発は、きっかけとなるストレスや心理社会的誘因と釣り合わないほど激しい。おまけに衝動的で計画性がない。
「これくらいのことであんなに怒るなんて信じられない」と周囲から言われる人はどこにでもいて、「かんしゃく持ち」などと陰口を叩(たた)かれる。おそらく、豊田氏もそう言われてきたのではないか。
それでも、これまで許容されてきたのは、豊田氏がきわめて優秀で、エリートコースまっしぐらだったので、周囲が大目に見た、もしくは注意するのをためらったからだろう。 あるいは、周囲から注意されても、豊田氏が「優秀なこの私に向かって…」などと反発したとか、聞く耳を持たなかった可能性も考えられる。いずれにせよ、衝動コントロールができないまま年齢を重ねたという印象を受ける。
その自覚が豊田氏にまったくなさそうに見えることが、何よりも問題だと私は思う。これだけ秘書に暴言を繰り返し、暴力まで振るったのが事実とすれば、「間欠爆発症」の可能性がかなり高いが、その自覚があるとは到底思えない。
さらに、豊田氏は、自らの精神的な幼児性についても自覚していないように私の目には映る。というのも、政策秘書への暴言と暴行が白日の下にさらされようとしていた2017年6月、豊田氏が脈絡なく突然、幼い頃に戻ったかのような幼児言葉で、嗚咽(おえつ)を交えながらわめき始めたと報じられたからである。
「怖いよおー」「ママー、ママー」「ママごめんなさい、ごめんなさいママ。ううう、ママーっ!」「まゆ(豊田氏自身)が悪いの、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、うううー」
その場に豊田氏の母親はいなかったにもかかわらず、40歳を過ぎた大人が突然「ママー」などと言い出したわけで、これを精神医学では「退行」と呼ぶ。退行とは、平たく言えば赤ちゃん返りである。自らに降りかかった事態が自分では手に負えず、対処しきれないと、子どもに戻って大目に見てもらおうという心理メカニズムが無意識のうちに働いて、こういう反応を起こす。
退行を起こしやすい人の特徴
退行を起こしやすい人は、一般に多くの人々が認める現実、すなわち「客観的現実」よりも、本人が心の中でそう思い込んでいる「心的現実」を重視する傾向が強い。つまり、自分にとって都合が悪く、耐え難い客観的現実を認めたくないので、「自分は悪くない」「自分のほうこそ被害者だ」という心的現実に逃げ込もうとする。
豊田氏も、政策秘書への暴言と暴行が報じられそうになり、政治生命の危機に直面したため、耐え難い客観的現実から心的現実に逃げ込もうとしたのではないか。
このように豊田氏には衝動コントロールの未熟さと精神的な幼児性が認められるが、いずれについても自覚していないように見える。これは、2つの理由によると考えられる。まず、自己愛が強いため、自分自身に未熟で幼児的な部分があることを受け入れられない。また、輝かしい学歴と経歴の持ち主なので、周囲がなかなか注意できず、結果的に許容してきたことにもよるだろう。
いずれにせよ、豊田氏の自覚の欠如が、暴言と暴行に歯止めをかけられなかった重要な要因であることは疑いない。