原発事故で一変した学生生活、それでも見つけ出した夢に向かって
「夏には家の裏の池で泳いだし、山ではキノコを採ってー」
と、話しながら高橋夏海さんは福島県飯舘村の自宅周辺を歩いた。懐かしい景色におしゃべりは止まらない。
「村に来れるのはうれしい」
現在、家族とともに福島市内で避難生活を送るため、村に来るのは約1年ぶりという。
転機となった演劇部
福島第一原子力発電所事故で高橋さんの生活は一変した。
同村は津波の影響はなく、地震による被害も比較的軽かったものの、放射線量の数値が高く、2011年4月に「計画的避難区域」に指定、全村避難となった。
「母や妹、村の人たちと一緒に栃木県鹿沼市に避難しました。祖母、父、姉は村に残ったので一時的に家族がバラバラになり、とても心細かった」
慣れない避難生活。転々とする住居。仲のいい友人たちとの別れなどでストレスが重なり、体調を崩した。
「熱や鼻血が出やすく、人間関係の悩みなどもあったので震災後は学校を休みがちになりました。学校で誰かと話すことはありませんでした」
転機となったのは福島市内に避難、仮校舎で授業を続ける福島県立相馬農業高校飯舘校に入学したことだった。
演劇部の菅野千那さんから「スタッフが足りない」と声をかけられ、高橋さんは裏方を引き受けた。入部をきっかけに菅野さんや部員、クラスメートらとも仲よくなり、役者にも挑戦すると自信もついた。元の明るさを取り戻し、学校も休まなくなった。
震災や村と向き合うことになったのは2〜3年生時の公演『─サテライト仮想劇─いつか、その日に』への出演だった。舞台は同校、飯舘村に帰る最後の終業式の前日、教師や生徒たちの心情や葛藤を描いた芝居だ。
演劇部の生徒で飯舘村出身は高橋さんだけ。
「みんな飯舘村の場所も知らなかった。部内のミーティングで村や村の人の気持ち、私の震災体験を伝えました。真剣に聞いてくれたのがうれしかったし、劇を通して村のことを発信できたのもよかった」
芝居は昨年夏、全国大会で優秀賞を受賞。今年2月には東京都内でも上演した。
今春、同校を卒業した高橋さんは介護士を目指し、郡山市内の専門学校に進学する。
「村の介護施設で働きたい気持ちはありますが、放射能のこともあり、帰らないほうがいいと言われることも……」
同村は昨年春、避難指示が解除されたが帰村は1割程度。
直近の目標は免許取得だ。
「春には桜、カタクリ、それに藤。とにかく花がたくさん咲くんです。次は一緒に避難生活を続けているおばあちゃんを連れて私の運転で来ます」
と、微笑む。春はもうすぐそこだ。