不退転の決意で川崎Fに加入したMF齋藤学

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 川崎フロンターレは21日、神奈川県川崎市のカルッツかわさきで新体制発表会見を行い、横浜FMから完全移籍で加入したMF齋藤学ら新加入選手7人が出席した。

 昨年9月に右膝前十字靱帯損傷の重傷を負い、現在もリハビリ中の齋藤は、前日20日までチームが行っていた宮崎キャンプにも帯同していなかった。「今日がフロンターレでの活動の最初の一歩」という新体制発表会見。来場した1808人のサポーターの前で真新しい川崎Fのユニフォームに袖を通しただけでなく、力士を真似た浴衣姿にちょんまげのカツラもかぶった。

 いきなりの“洗礼”に本人は「相撲の(企画)があったので表情が硬かった」と言うが、他の新加入選手と比べてもどこか笑顔は少ないように見えた。横浜FMの下部組織で育ち、09年にトップチームに昇格した齋藤は昨季、MF中村俊輔(磐田)の背番号10を継承し、キャプテンにも就任。しかし、それからわずか1年で同じ神奈川県のライバルクラブに移籍したことに批判の声もあがった。

 19日には移籍後初めて自身のインスタグラム(@manabu011)を更新。「ここまで叩かれて、戻る場所を無くすことになってまでも、挑戦すると決めました」と不退転の決意を示すと同時に、「たくさんの人を失望させ傷つけてしまって、すみません」と陳謝した。

「一つの区切り、けじめを付けたかった」。SNS更新の理由を語った齋藤は「今日が初めてフロンターレのユニフォームに袖を通して活動に参加する日。フロンターレの選手としてすべきことをしようと思ってきた。ここではもう葛藤はない」と自らに言い聞かせるように話した。

 川崎Fからは2年連続のオファーだった。「この大ケガをしている中でも評価は変わらず、しっかりしたオファーをもらってうれしかった。もともと(横浜FMを)出る気はなかったけど、揺さぶられた一つの要因ではある」。“禁断の移籍”に踏み切った理由については「言えない部分が多いけど、周りがどうこうより、自分が一番厳しい道を選ぼうと思った」と話すにとどめた。

 齋藤に対する一部ファンからの心ないバッシングには、FC東京から1年で“出戻り”となったFW大久保嘉人も「大丈夫か、心は?」と声をかけたほどだった。「『大丈夫です』と言っていたけど、サポートしていかないと。俺も慣れているし、助けていきたい」と全面的なバックアップを約束した。

 大久保自身、これまで数々の移籍を経験し、批判を浴びることも決して少なくなかった。「サッカー人生を17年やっているけど、ほぼ批判されている」。そう苦笑いを浮かべると、「批判されても、やるのは俺だから。それ(批判)を覆すためにやっているというのもあるし、その先の喜びは普通の人よりある」と持論を展開した。

 初心に帰った。背番号は37番に決定。08年、横浜FMユース時代に2種登録ながらJ1リーグ戦7試合に出場したが、当時の番号を10年ぶりに背負うことになった。「高校3年でデビューしたときにもらった大事な番号。また一から歩き始めるときに付けるにはいい番号だと思う」という思い出深い背番号とともに、サッカー人生最大の挑戦となった新天地で新たな一歩を踏み出す。

(取材・文 西山紘平)


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