左上から時計回りに、安室奈美恵、堀北真希、桜井幸子、大橋のぞみ、江角マキコ、山口百恵、宮崎駿、香田晋、五十嵐隼士、成宮寛貴、上岡龍太郎、島田紳助

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「10代からキレのあるダンスと歌でスターの地位を築いてきた彼女は、40歳を迎えてどこかで体力的な限界を感じていたんでしょう。周りからは“まだまだ踊れている”と言われても、自分の中では“もう踊れていない”と思ってしまう。彼女の美学。結婚をはじめ何から何まで自分で決めてきた美学ですよ。今後、復帰することはないだろうね」

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 芸能生活26年を迎える'18年9月に引退する安室奈美恵。芸能レポーターの石川敏男氏は、彼女の引退は「美学」と話す。これまでの芸能史を振り返ってみると、“伝説の引退”という美学を通し続けているのが─、

「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」

 '80年10月5日、日本武道館でのコンサートを最後に、人気絶頂期にあった21歳の若さで引退した山口百恵。白いマイクをステージに置いたのは、「2度と戻らない決意の表れ」でもあった。

 翌11月19日に三浦友和と結婚式、披露宴を行った百恵さん。以降は“宣言”どおり表舞台に返り咲くことはなく、主婦として2児を育て上げた。

「芸能人は引退すると、“またちょっとやってみようかな”“もう1回だけいいかな”と考える人が多いんです。それは浴びた光が強ければ強いほど、また求めてしまうもの。でも、彼女はいっさいそれをしませんでしたね」

 芸能ジャーナリストの佐々木博之氏は、彼女が育った環境も影響していると話す。

「母子家庭で育ち、家庭環境が複雑だったことから、結婚したら“当たり前に両親がいて、子どもがいる幸せな家庭を作ろう”としていたのではないでしょうか。芸能界入りも、森昌子さんのように“芸能人になりたかった”わけではなく、お金を稼いで“お母さんに楽をさせてあげたい”という思いからだとも言われています」

 百恵さんとともに“花の中3トリオ”として活躍した森昌子も、'86年8月に行われた最後のコンサートで、

「森昌子という名前は、歌い手はピリオドを打ちますけども、これから森田昌子、森内昌子として一生懸命、努力してまいります」

 森進一との結婚を機に家庭に入った。

「3人の子どもを授かり幸せな家庭を作っていたかと思われましたが、'05年に救急搬送されたことで進一との別居が発覚。同年4月に離婚しました。たびたび進一の営業で“歌手として連れ出された”ことがストレスになっていたとも報じられました」(ワイドショースタッフ)

 '92年に統一教会の合同結婚式に出席して世間を騒がせた桜田淳子は、引退ではなくあくまでも活動休止。'13年に恩師であるサンミュージックの相澤秀禎会長の通夜に参列したことが、16年ぶりの公の場だったため周囲をざわつかせた。そして、今年4月にミニコンサートを開催して、健在ぶりを見せつけた。

 2月に所属事務所を退社した、百恵さんと重ねて報じられることもあった堀北真希は「かけがえのない幸せを全力で守っていきたい」と、夫の山本耕史と子どもを支える生活を選んだ。今年春には本誌が、山本がドラマ撮影をしていたテレビ局に陣中見舞いに来ていたことを伝えたが、

「彼女はスカウトされるままに芸能人になっちゃって、勝手に売れちゃったようなもの。芸能界に未練はない人でしょう。事務所もかなり(女優継続を)説得したと思うんですが、よほど頑固なんでしょうし、彼女も百恵さん同様に戻ってくることはないんじゃないかな。ただ、もう1回出るとしたら、それは家庭が壊れたときだろうね」(石川氏)

 '92年のNHK朝ドラ『おんなは度胸』で主演、翌'93年には社会現象を起こしたTBS系ドラマ『高校教師』に出演し、一躍トップ女優となった桜井幸子。ところが結婚・離婚の後、'09年末、公式HPで突然の引退発表。

《十数回海外の仕事を頂き、また、数回の海外留学の経験をさせて頂きました。これらの経験が契機となり、数年間考えた末に今回の決断に至りました》

 とはいえ、これから具体的に何をするかは語られず、謎が多いままフェードアウト。

「当時、交際していたアメリカ人の会社経営者を追ってロサンゼルスに移住。再婚したともウワサされますが、近況が聞こえないところを見ると帰国していないのでしょう」(写真誌カメラマン)

 人生の転機は結婚や妊娠だけではない。若人たちは学業との両立に悩まされる。 

 '99年4月、後に国民的アイドルグループに成長した『モーニング娘。』初期メンバーだった福田明日香が、「学業に専念したい」と15歳で引退。ところが7年後、雑誌のインタビューで「あれは建前」と当時、メンバー内で孤立していたことを暴露した。

 また3歳から子役として活動、NHK朝ドラ『あまちゃん』にも出演した吉田里琴も'16年4月に「学業に専念」したのだったが……。

「結論を言えば、福田ともども芸能界復帰。吉田に至っては1年で大手事務所に移籍して“吉川愛”に改名。即、4月のドラマに出演しました。こちらも“学業”は建前だったようにも思えます」(芸能プロ関係者)

 ほかにも学業の道を選んだ子役といえば、ジブリ映画『崖の上のポニョ』でブレイクした大橋のぞみが'12年3月に芸能界を“卒業”。真剣に勉学に励んでいるのだろう。

 “開業”で芸能界を去った人も。NHK紅白歌合戦にも出場した演歌歌手の香田晋が、姿を消したのが'12年4月。その3年後、福岡県内の飲食店で板前として腕を振るっていた香田を本誌は直撃した。

「歌も思いどおりに歌えなくなって。トークや演出でごまかして逃げるようになった。精神的に追い詰められて芸能界から逃げ出したんです」

 現在は再婚した11歳年下妻と店を切り盛りする、充実した日々を送っていた。

『ウルトラマンメビウス』やTBS系ドラマ『ROOKIES』などに出演した、俳優の五十嵐隼士も「エンターテイメント以外の仕事にも興味が湧くようになった」と、'13年11月に引退。翌'14年に六本木でしゃぶしゃぶ店をオープンさせた転職組だ。

「今回は本気です」。'13年のジブリ映画『風立ちぬ』を最後に「加齢」も理由のひとつにあげて4度目の引退宣言をしていた宮崎駿監督。昨年10月、そして今年3月に本誌が復帰を直撃していたのだが、

「私は、ただのゴミ拾いじじいですから」

 日課のゴミ拾いで煙に巻いていた巨匠だったが2か月後、

「5月にHP上で“今度こそ、本当に最後の監督作品”と、76歳で引退を撤回。新作プロジェクトは昨年から始動していたといいます。若い世代を育てることも含めた復帰なのでしょう」(映画ライター)

 還暦を前にした'00年、「僕の芸は20世紀で終わり」と58歳ですっぱりと身を引いたタレントの上岡龍太郎。以後は芸能人仲間の冠婚葬祭やパーティーの類には顔を出すことはあっても、復帰しない美学を貫いている。

 そんな上岡を慕っていた島田紳助は'11年8月をもって引退させられた。かねてよりウワサされていた暴力団関係者との交際を報じられたのが引き金となったのだ。

「自分の中ではセーフだと思っていましたが、一昨日アウトだと知り、引退することになりました」

 引退会見では恨み節を交えながらも、最後の“司会”として場を仕切った紳助だった。

「彼ひとりで何億円も稼げるわけですから、根強く復帰待望論はありますね。ですが、今の時代では暴力団絡みはスポンサーが毛嫌いしますし、彼自身もテレビ出演が難しいことは承知しているでしょう。芸能界自体に未練はないと思いますが、関係者と連絡はとってはいるみたいなので、ど真ん中には戻らずとも何らかの形で関わる可能性はありますね」(佐々木氏)

 こちらも“不祥事”だったのか、'16年12月に、

《これ以上自分のプライバシーが人の悪意により世間に暴露され続けると思うと自分にはもう耐えられそうにありません。今すぐ芸能界から消えてなくなりたい》

 直筆のFAXで引退を伝えた成宮寛貴。発端は同月に『フライデー』で報じられた『コカイン吸引疑惑』だった。当初は本人、所属事務所も事実無根として「法的措置をとる」とするも、翌週に続報が載ると同時に姿を消した。

「現在は逃避行をしているわけですが、ほとぼりが冷めるのを待って芸能界に戻りたいんじゃないかな。事件になったわけではないけど、イメージ的に公共の電波は難しい。でも舞台などには出られますよ。酒井法子で商売をしようとした連中もいたでしょう。“成宮主演舞台”なんて文句を打てばいっぱい客は呼べますからね」(石川氏)

 そして今年1月、今度は『女性自身』に実業家男性との不倫疑惑を報じられた江角マキコ。代理人弁護士を通じて《子供達のために、今私にしかできないことを選択し専念する時期》と成宮同様に会見を開くことなく引退した。

「彼女は('14年に発覚した)長嶋一茂邸への落書き騒動の時点で、芸能界には身を置きたくないという思いがどこかにあったのだろうね。それでもフジテレビに勤める旦那が一生懸命、彼女に仕事を入れようとしていたわけでしょう。彼女の中では本意ではなく、それが別居につながったんじゃないのかな。もう戻ってくる気はないでしょう。だから会見をする必要はなかった」(石川氏)

 最後に'96年、メンバーと「お互いに日本一になって会おう」という約束をして、SMAPを脱退。オートレーサーに転身した森且行。昨年のSMAP解散で、その夢が叶うことはなくなった。

「当時、SMAPは人気が出だしたばかりで“給料が安いんですよ”と周囲にグチっていたと聞きます。そして引退の最たる理由とされていたのが付き合っていた彼女、後の奥さんですが、“結婚したい”と事務所に話していたそう。当然、許されるわけがなく、結婚するにはジャニーズを辞めるしかなかったのでしょう。後にオートレーサーの話が出てきたという流れでした」(佐々木氏)

 夢より現実をとった!?

 芸能人は引退してもなお、しぶとく強く─。