関西人の心を揺さぶるなつかCM「パルナス」がいまなお愛される理由
昭和のころ、おもに関西圏で流れていた「パルナス」のCM。「パルナス」とはロシアの洋菓子やピロシキを売るお店で、戦後の1947年に古角松夫社長が神戸で創業し、2002年に事業を畳むまで、関西のあちこちにチェーン店があった。「モスクワの味」がキャッチフレーズで、現地の製菓工場を視察するなどして、本場の味を提供していた。
7月22日に兵庫県の「御影公会堂」で「心ばかりのパルナス展」という催しがあった。御影公会堂はなんと、スタジオジブリの映画『火垂るの墓』の作中でも、戦争で被害を受けた姿が描かれたという歴史ある建物。昭和8年の竣工だが、神戸大空襲で全焼したのちに復活、阪神大震災では避難所となったほか、今年、元のクラシックな雰囲気を生かしつつリニューアルされた。
ガガーリンと親交があったというパルナスの社長
そもそも、なぜこういった展示を開催するにいたったのでしょうか?
「社長の古角氏が自分と同郷の兵庫県加西市出身だったと知ったことがきっかけですね。市のボランティア活動を通して、古角氏が貴重な資料を寄贈されていたことを知り、やらせてくださいということになりました。今年1月に北条鉄道の長(おさ)駅(100年ほとんど改装されていない、ノスタルジックで鉄道好きにもファンの多い駅舎)で展示を行い、そのときは800人を越える方に来場いただきました。その後、4月に第2回を同じく長駅で開催。今回で3回目になります。かつてパルナスで働いていたという方や、CMに出演していたという方などにもお越しいただきました」
展示室に入ると、まず目に飛び込んで来たのがこのパルちゃんこと、パルナス坊やの店舗ディスプレイ。ロケットのような不思議な乗り物にのっている。ガガーリンが初めての有人宇宙飛行に成功するなど、ソビエト連邦の宇宙開発が話題になっていた頃である。なお、古角社長はガガーリンとも親交が深かったらしい。後ろに乗っている女の子のキャラクターは知らなかったが、この子は「ピロちゃん」というそうな。
こちらは下にディスプレイしてあった、汽車バージョン。ちょっと困り顔?なのがかわいいですよね。
パルナスの歌はなぜ愛されている?
会場内では昭和っぽい家具調のテレビから、「ぐっとかみしめてごらん……♪」と出だしから哀愁漂う「パルナスの歌」とCM映像がエンドレスで流れていた。関西圏以外の方で初見という方は、その独特な世界観をぜひ体感してみてほしい。
歌は女優で歌手の中村メイコさんとボニージャックス。さらに、ロシアのお姫様を描いたアニメーション部分は、影絵画家として知られる藤城清治さんによる原画が元になっているという。それにしても、なぜパルナスはこんなにも伝説となっているのでしょうか?
「個人的な見解ですが、商品そのものより、企業イメージを打ち出しているところが新しかったのだと思います。いまでいうコーポレート・アイデンティティです。当時は東西冷戦の時代でソ連はまったく身近な国でなかった。ネギ坊主みたいな形状の宮殿やお姫様が出てきて “おとぎの国ロシア”と歌われたら『そうか! ロシアっておとぎの国なんや』って……そこで子どもの“脳内補完”の完成です(笑)」
確かに!! 「パルナスクレーモフ」というロシア風シュークリームのCMなのに、商品はCMの最後に少ししか出てこないですよね。海外旅行などもまだ一般的ではなかった時代、このCMでロシア=甘いお菓子がいっぱいある夢のようにロマンチックな国、というイメージを持った人も多かったのではないだろうか。あと、日曜日の午前中に流れることが多かったんですよね?
「パルナスは『ムーミン』や『リボンの騎士』などアニメ番組のスポンサーを20年くらいしていて、その時間帯が日曜日の午前中だったんです。当時はモノクロの赤ちゃんや影絵が幼心に『怖かった』とおっしゃる方も多いのですが……。アニメ番組の合間にこのCMが流れるので、両者が渾然一体となって記憶に残っているという方も多いようです。『パルピロ』というピロシキのCMもあるのですが、そちらもアニメーションの作品で、なんと作詞は作家の野坂昭如、作曲はいずみたくによるものなんですよ。あと、古角社長は自分でも作詞されたり、芸術的なセンスのある方だったので、CM制作にも密接に関わりこだわっていたのではと思われます」
なるほど。「明日は月曜日かあ……」という子ども時代の憂鬱な気持ちにもの哀しいメロディーがシンクロして、より深く記憶に刻まれたのかもしれませんね。それにしても、そんな贅沢なキャスティングでつくられたものだったとは! 「パルナスピロシキ パルナスピロシキ パルピロ パルピロ パルピロ……」という早口言葉のような歌詞は、一度聴いたら忘れられませんよね。やはり、質にこだわった本物は時代を超えるということでしょうか……。
パルナス坊やは「ネズナイカの冒険」という、ニコライ・ノーソフによるソ連の児童文学の主人公がモデルとなっているそうだ。
こちらは、ロシア語の原書である。イラストは、アレクセイ・ミハイロヴィチ・ラプテフという人が描いている。この童話は昭和30〜50年代にかけて日本でも翻訳が出ていたほか、「少年少女世界の名作文学」といった本にも収録されていた模様。
1970年大阪万博でも出店していた
1970年の大阪万博でパルナスは、当時は非常に珍しかったロシア料理のレストラン「モスクワ」を出店。右は、そのときの貴重なメニューである。万博終了後も大阪、東京、神戸で同名のレストランを展開。ボルシチや、スープの入ったカップをパイ皮生地で覆った”つぼ焼き”などを提供していた。左の「グルジアの味」と書かれたメニューもやはりパルナスが運営していたレストランである。
お客さんにプレゼントしていたノベルティTシャツ。このほかにもマグカップなど、いろいろなグッズをつくっていたようだ。いま見てもオシャレでかわいい。
パルナスの歌が収録されたEPレコード。「ドーナツ盤」なんていっても、10〜20代の人にはわからないかもしれませんね!?
現在もパルナス秘伝のピロシキを提供する店が尼崎に
と、ここまで読んでくださった皆さんは、「パルナスの味を、一度は食べて見たかったな〜」と思われたのでは? でもそれは叶わぬ夢……と思いきや、なんと! 展示の最後に、現在もパルナス秘伝のピロシキ(パルピロ)を提供し続けているという、阪神尼崎駅構内にある「モンパルナス」というお店が紹介されていた。
古角松夫社長の実弟が独立して開業したのがこちらだそう。私も展示を観た後にさっそく行ってみたのだが、やはり誰しも考えることは同じようで、この日は早々に売り切れてしまっていた(涙)。
「過去の展示では、モンパルナスさんにお願いしてピロシキを個数限定で販売するなどもしたんですよ。少し前までは、クレーモフ(ロシア風シュークリーム)もつくられていたそうです。今後は、ケーキなどの復刻も機会があればしていきたいですね。3回の展示を開催したことで、パルナスにいまなお愛情や思い入れのある方がたくさんいるとわかったことは収穫でした。今後もまた違った切り口で展示ができるようならしていきたいですし、いずれは加西市のまちおこし的に『パルナス記念館』みたいなものができたらいいなあ、と考えています」
とのことで、貴重な昭和遺産なのでぜひ実現してほしいところだ。藤中さんは「パルナス復刻委員会」として今後も活動を続けるそうで、引き続き、Facebookでパルナスにまつわるいろんな情報を発信されていくそうなので、気になる人はぜひコンタクトしてみてほしい。
(まめこ)