『写真:ジョン・F・ケネディ大統領図書館・博物館』

 国際社会を揺るがせた最大の未解決事件といえば1963年のケネディ大統領の暗殺事件であろう。真相究明のために設置された「ウォーレン委員会」では「オズワルド単独犯」との結論を下したが、それを信じる人はほとんどいない。

 真犯人をめぐっては様々な憶測や陰謀説が飛び交った。ジャクリーン夫人は「後を継いだジョンソン副大統領が仕掛けた」との疑いを終生抱いていたという。

 また、ソ連との融和策を模索したケネディを快く思わなかった「軍産複合体」や「諜報機関」が背後で動いたとするのが、オリバーストーン監督の手になる映画「JFK」であった。

 それ以外にも、ケネディ大統領暗殺に関する書籍やTV番組は世界中で数えきれないほど出回ってきた。決定的な証拠が公にされなかったために、想像や憶測が独り歩きしてきた側面も否めない。それもこれも、アメリカ政府が暗殺事件に関する膨大な調査報告を封印したからである。

 問題の核心は単独犯とされたオズワルドが事件の直前にメキシコシティを訪れ、キューバやソ連の外交官らと接触していたことである。

 元海兵隊員のオズワルドは一時ソ連に暮らしており、ロシア人と結婚していた。そのため、彼はソ連の指示を受け、ケネディ大統領の暗殺に関わったとする説がまことしやかに囁かれていたわけだ。

 しかも、そうしたオズワルドの動きはCIAやFBIの関心を引き、メキシコシティでの動きも全て監視下にあったという。要は、事前にオズワルドの怪しい動きを把握していたにもかかわらず、アメリカの諜報機関が何ら手を打たなかった。それはいったいなぜなのか。

 この7月末に新たに公開された3810件のCIAとFBIの文書には、その謎を解くカギが隠されている可能性が高い。たとえば、CIAによるカストロ(キューバ国家元首)暗殺計画が実行される前に、キューバとソ連が手を打った可能性もあり、そうした極秘計画に関するファイルも含まれている。

 とはいえ、ロシア語はじめ外国からの情報も多く、暗号化された内容の解読には時間がかかるかもしれない。ただ、オンラインで誰でもアクセスできるため、歴史家やジャーナリストにとっては「宝の山」といえるだろう。

 ソ連のスパイでアメリカに亡命したユーリー・ノセンコの取り調べ記録も含まれている。オズワルドに関するKGB文書を作成したとされる人物であり、その発言は今日のアメリカとロシアの双方にとって「不都合な真実」となりそうだ。

 秘匿されている文書はまだ3100件ほど残されており、すべてが公開されるのは本年10月である。ただし、トランプ大統領が「ノー」と言えば、封印は解除されない。

 しかし、過去の取り決めに縛られることのない自由な大統領のこと、自分が関わっていない情報であるし、おそらくは100%開示するに違いない。

 ケネディ大統領の暗殺に何らかの形で関与した人物が明らかになる見込みだが、その大半は既にこの世にはいない。生存していたとしても95歳を超えているはずだ。どんな名前が飛び出してくるのか、歴史の真実がどこまで明かされるのか、大いに見ものである。(国際政治経済学者・浜田和幸)