まずは気功の練習から。ポーズを取り、鼻で自然な呼吸を繰り返し、体内に気をめぐらせるのだという。

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意外と知られていないが、太極拳にはいくつかの流派がある。伝統のある陳式、世界中に愛好者がいる楊式、はたまた新たに作られた簡化式などなど。今回は、日本に初めて“太極拳”が伝えられた際の流派である「正宗太極拳」に挑戦。日本ともゆかりの深い、その技を体験してみた。

■強くて健康に! 太極拳の効能とは?

格闘技入門3回目は、太極拳だ。中国や台湾の朝の公園で、おばちゃんたちがゆっくり体を動かしながらやっているアレだ。あれ? 太極拳って格闘技だっけ? と最初に思った。

「太極拳は、元王朝の時代から始まったと言われています。中国では長い間、皇族など身分の高い人しか教えてもらえませんでした。特別な拳法なので謝礼も高額。先生に"金の延べ棒"を納めて教えてもらったというエピソードもあるくらいです。健康法としての太極拳が普及したのは、毛沢東の時代。彼は国民の健康を維持するため日本のラジオ体操のようなものを探していました。そこで注目したのが太極拳。それを簡略化した“簡化24式太極拳”が1956年に制定され、それが今のいわゆる“公園の太極拳”のイメージにつながっています」

そう教えてくれたのは、国内外に支部がある全日本柔拳連盟で「正宗(せいそう)太極拳」を指導している萩澤成彦さん。正宗太極拳とは99もの型から構成され、「四方八方からの敵を想定した」れっきとした武術なのだそう。

日本に入って来たのは意外と最近の話で、1959年(昭和33年)、後に全日本柔拳連盟の祖となる中国武術界の大家、王樹金老師が日本に伝えたのが最初だという。今でこそ太極拳という言葉を知らない人はいないだろうが、それまでは「太極拳」といってもまるで通じなかったことを思うと、その普及ぶりはすごい。それだけ日本でも威力を実感している人が多いのだろうか。聞くところによると、太極拳は武術や護身術としてだけでなく、五臓六腑に効き、健康維持、美容にも効果があるという。

「正宗太極拳は力を加えられたときに、それに力で対抗するのではなく、逆に力を抜いて流し、動きに気をのせて相手の力を返す“柔拳”です。だから技術さえ習得すれば、体の大きさは関係ありません。女性でも強くなれます。また東洋医学では、気の流れが滞ると血の流れも滞るといわれているので、気を十分に流すことで、体内の循環を促し、健康になれると考えられているのです」

そう萩澤先生はゆったりとした口調で話した。先生ご自身、筋骨隆々としたいかにもな“格闘家”ではなく、声も表情もやわらかな物腰。他の格闘家とは雰囲気が違う。

■ゆったりと切れ目なく動く独特の型

さて、さっそく太極拳を体験してみることに。同連盟では、初心者クラス、健康クラス、武術クラスがある。初心者クラスでは99まである正宗太極拳のうち、基本の14番までの型を身につける。健康クラス、武術クラスでは最初から99型の習得を目指すが、武術クラスでは、さらに「推手(すいしゅ)」という対人練習が入ってくる。今回は取材ということで、特別に武術クラスを体験させてもらった。(※通常、武術クラスは見学のみ可。健康クラスと初心者クラスは体験可)

20人ほどの生徒さんが集まっていただろうか。8割ほどが女性で、外国人の姿も。道場はどこかリラックスした和やかな雰囲気が漂っていた。後から聞いたところによると、太極拳では「力を抜く」ことが何よりも重要なため、緊張しない雰囲気づくりも大切なのだという。

王樹金老師の写真に向かって、みんなで礼をすると、まずは体をゆっくり動かしていく。関節や筋を伸ばし、気を通りやすくする「抜筋骨(ばっきんこつ)」というエクササイズだ。かけ声もなく、音楽もかけず、道場には衣擦れの音だけが響く。しばらくすると、突然、先生がポーズをとったままフリーズしてしまった。あれ? あれれ? もしもし?

5秒、10秒経過、20秒経過(体感)……。どうしちゃったのだろうか。きょろきょろ周りを見渡しても、みんなピタッと静止している。しばらく経つと動き出し、また静止……。これを8回ほどやったところでようやく終了した。その間、姿勢はずっと中腰。太ももがピクピクしてきた。

実は、これが「気功」だった。そうか、みんなあのとき"気"に集中していたのか。私はすっかりあちこちに気をまき散らしていた。

さて、ここからが太極拳。萩澤先生はくるっとこちらを向くと、「最初は難しいかもしれませんが、とりあえず真似してみてください」と言い、ゆっくりと体を動かし始めた。なめらかで優雅で、うっとりするような動き。先生の一連の動作に思わず目をみはった。

私も見よう見まねで、とりあえず真似をしてみる。もちろん、無言、無音、中腰。クルクルまわりながら、足を上げたり腕を上げたり。一体自分が何をやっているのか、さっぱりわからない。ただ、先生の動きとはまったく違うことだけはわかる。でも体を動かすうちに、だんだん“舞っている”かのような気分になってきた。そうか、太極拳ってダンスみたいだ。

ただ、ダンスと違うのはリズムもカウントもないこと。どうやらこの一連の動きの一つ一つが太極拳の型ではあるようだが、どこからどこまでが型なのか、さっぱりわからない。体を動かしてはいるが、何で自分がそういう動きをしているのかわからない。宇宙の無に放り投げだされた気分だ。そのうち吹っ切れ、意味なんてもういいや、「とりあえず舞うのだ!」と思うと、だんだん頭が空っぽになり、気持ちよくなってきた。

■初体験は疲労困憊! 脱力の難しさを知る

しかし、である。長い。全然終わらない。「いつ終わるんだろう?」と思ううちに、10分経過、20分経過、30分経過(体感)……。その間もちろん無言、無音、中腰。そろそろ太ももが本格的にやばい、と思う頃にようやく終わった。結局40分近く経っていただろうか。まさか、スタートしてからそのまま静寂のうちにすべてが運ばれるとは思わなかった。しかもずっと中腰だ。ヘロヘロだ。ダンスなら普通一曲5分程度だが、これは30分以上ぶっ通し。しかも音楽もカウントもないので、かなり難しい。

これが、すなわち正宗太極拳99型だった。すべての動きに武術としての攻防の意味があるそうだが、まずは動きそのものを覚えなくてはいけない。とはいえ、今回は武術クラスの体験だったため99型を全部こなしたが、まずは初心者クラスで基本の14型を覚え、一日5分ほどやるだけでも体が確実に変わってくるそうだ。たしかに、型を身体に染み込ませ、流れに身を任せたらとても気持ちがいいだろう。

次は二人一組で行う太極拳ならではの組み手「推手」の稽古。相手を手で押すのだが、あれ? あれれ?「暖簾に腕押し」とはまさにこのこと。スカッ、スカッと押した力をかわされ、自分の重心が崩れてしまった。力を入れれば入れるほど、こちらのバランスが失われる。

最後に護身術では、腕をつかまれたときの手のはずし方を教えてもらった。言われた通りに腕を動かすと、力はまったく入れていないのに、すっと相手のつかんだ手が離れていく不思議。要は、相手の力が自然に抜ける体勢に持っていくだけでいいのだ。身体っておもしろい。力を入れないことこそが強い、という太極拳の威力を実感し、稽古は終了した。

何をするにも“脱力こそが力”。太極拳の根底に流れる、この考え方はとても興味深い。力に力で対抗するのではなく、力を受けたらスッと流す。そう、「心が折れそう」なんて言ってちゃだめ。折れるほどに力を入れちゃだめ。あら、すみませんと受け流す。太極拳から学ぶことはかなり多そうだなあ。なんて帰り道に反芻しつつ、太ももパンパン、全身ヘロヘロ。脱力までの道はまだまだ遠いみたい……。

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【教室情報】
全日本柔拳連盟
東京都渋谷区渋谷3-21-11-1F
TEL:03-3400-9371
http://www.taikyokuken.co.jp/

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宇佐美里圭(うさみ・りか)
1979年、東京都生まれ。ライター、編集者。東京外国語大学スペイン語学科卒。在学中、ペルーにて旅行会社勤務、バルセロナ・ポンペウファブラ大学写真専攻修了。中南米音楽誌、「週刊朝日」編集部、「アサヒカメラ」編集部などで働く。朝日新聞デジタルで、「島めぐり」、「おいしいゲストハウス」、「東京の外国ごはん」、「ワインとごはんの方程式」等を連載中。ウートピにてフォトエッセイ連載「Viva Photodays!」を執筆。旅とワインが好き。心はラテン、働き方はまだ日本人

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(宇佐美 里圭)