「キングコング:髑髏島の巨神」こんどのコングはすっごく大きいの!

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こんどのコングはすっごく大きいの!


ついに『キングコング:髑髏島の巨神』の公開だ!


皆さんは「キングコング」ときいて、どのコングを連想するだろうか? 1933年のオリジナル『キング・コング』かもしれないし、1962年に東宝が作った『キングコング対ゴジラ』かもしれない。世代によっては、1976年のギラーミン版『キングコング』を挙げる人もいるだろう。2005年のピーター・ジャクソン版『キング・コング』の圧倒的な映像も、まだ記憶に新しい。

ぼくが「キングコング」ときいて真っ先に思い浮かべるのは、「♪ウッホ〜、ウホウホ、ウッホッホ〜」の掛け声が勇ましい、1967年のアニメ版だ。当時、小学校低学年だったぼくは、毎週の放映を夢中になって見ていた。コングは、ゴジラのように熱線を吐いたりしない、ただの大きなゴリラなんだけど、なぜか惹きつけられてしまう不思議な魅力をもった存在だ。

そんなふうに、様々な作品で愛されてきた「キングコング」の新作が、ついに公開された。『キングコング:髑髏島の巨神』である。すでに予告編を見た人ならわかるとおり、こんどのコングはものすごくデカイのだ。なんと身長31.6メートル! 身近な建造物と比較してみると……。

東京スカイツリー …… 634メートル!

いやいやいや、ちょっと無茶しすぎた。あれは世界一の高さが自慢の塔だから、ここで比較に出しちゃいけない。東京タワーなら……333メートルだから、これでもまだ高いか。タワーと比べようとするからいけないんだね。

サンシャイン60 …… 239.7メートル。
京王プラザホテル …… 179.6メートル。
国会議事堂 …… 65.5メートル。

なんだか国会の半分しかないと思うと、まるで「巨大!」って感じがしないが、そんなことはない。だって、初代のコングは約7メートルだし、ギラーミン版でも約16メートル程度だ。それに比べりゃあ、30メートル超は十分デカイといえる。

そんな巨大な生命体が、なぜ人類に発見されずに生き続けることができ、そして発見されたのだろうか? その秘密は、本作の時代設定にある。

未知の楽園で繰り広げられる食物連鎖


舞台となるのは1973年。これはランドサット計画がスタートした年だ。科学とテクノロジーの発達により、地球上のあらゆる場所に人類の目が届くようになった。その歴史的事実が、アドベンチャー映画にありがちな「あるとき未知の島が発見されました」というおとぎ話への入り口に、高い信憑性を与えてくれているのだ。

さて、観測衛星によって探知されたその島は、輪郭の形状から「髑髏島」と呼ばれていた。髑髏島は周囲を激しい嵐に覆われており、これまで誰も近づくことができなかった。政府特務機関モナークの幹部ビル・ランダ(ジョン・グッドマン)は、この島にある秘密に気づいていたが、それを表には出さず、島の資源探査という名目で調査隊を結成する。

調査隊には、地球空洞説を唱える地質学者のヒューストン(コリー・ホーキンズ)や戦場カメラマンのメイソン(ブリー・ラーソン)らが加わった。他にも、島に潜む巨大な“危険”を知っているビルは、元英陸軍特殊部隊(SAS)のジェームズ・コンラッド大尉(トム・ヒドルストン)と、ベトナム戦争からの撤退を命じられていたプレストン・パッカード大佐(サミュエル・L・ジャクソン)をチームに引き入れる。

パッカード大佐が率いる「スカイデビルス」は、調査隊のメンバーをUH-1(ヘリコプター)に分乗させ、島を覆っている嵐の突破を試みる。百戦錬磨のヘリ部隊がかろうじて嵐を抜けると、そこに現れたのは、まだ人類が足を踏み入れたことのない、驚くほど美しい楽園だった。

だが、次の瞬間、とんでもない衝撃が襲いかかる。予告編でも目を引くあの“ヤシの木”だ。巨大な何者か(って、ここで引っ張るのも意味がないので書いてしまえばコングである)が投げつけたヤシの木が、飛行するヘリに突き刺さる! そこからは人類とキングコング、そして様々な巨大生物との熾烈な戦いが展開されていく。宣伝用ポスターにあるキャッチコピー「この島で、人類は最弱」という言葉のままに──。

本作を監督したジョーダン・ボート=ロバーツは、「人類がおこなった驚異的な偉業のひとつが、生物の食物連鎖から抜け出したこと」だと言う。しかし、この映画はその前提をひっくり返す。登場人物たちは、まさしく食物連鎖の輪に放り込まれるのだ。

キングコングという物語が内包するテーマ


先にも書いたが、1973年はベトナム戦争が終わった年でもある。パッカード大佐は作戦の途中で撤退を命じられ、心に煮えきらないものを抱えてしまう。そこへ政府特務機関のビルが、髑髏島への同行というミッションを携えてきた。

パッカードはベトナム戦争に負けたのではなく、放棄しただけだと考えている。まだ彼の戦争は終わっていない。だから、パッカードはベトナムで失った目的をこの島に仮託する。そんな彼の目の前で、部下がコングに殺されたのだ。パッカードは復讐の鬼と化す。

しかし、コングは人類の敵ではなかった。この島には、コングよりも恐ろしいものが潜んでいる。そして原住民たち(当然出てきます!)にとって、コングはその恐ろしい怪物から身を守ってくれる“神”のごとき存在なのだ。コングが絶対的な力の象徴であるということは、本作に限らず、「キングコング」という物語の普遍的なテーマでもある。

また、オリジナルの『キング・コング』には、西欧による覇権主義や人種差別といったことも、重要なテーマとして内包していた。未開の地で捕獲されて、文明社会で鎖につながれ、見世物や商売の道具にされるというコングの姿は、まさに19世紀にアフリカから新大陸へ連れてこられた黒人たちの姿を思わせる。

本作では、物語はあくまでも髑髏島だけで展開し、コングが都会に連れて行かれることはない。コングが愛でるヒロインもいない。紅一点としてカメラマンのメイソンはいるが、コング映画のヒロイン、アン・ダロウとは明確に役割が違う。

そういう意味で、今回『キング・コング』が本来もっていた重要なテーマは薄められたが、かわりに巨大生物のバトルを徹底的に見せるという、娯楽映画としての側面は強化された。それに関係することはエンドロール後にも明かされるので、館内照明がつくまでは席を立たずにいること! と、ここで強調しておく。

コモドオオトカゲに打ち勝つ者


最後に、作品タイトルについても、少しだけ解説を加えます。キングコングはなぜ「コング」というのか。コングってゴリラのことでしょ? と思っている方もいるかもしれないが、これは原案者の造語だ。

オリジナル『キングコング』(1933年)をアーネスト・B・シュードザックと共同監督したメリアン・C・クーパーは、「K」で始まる単語を好んでいた。そのため、新しく創造しようとしている巨大ゴリラにも、「K」のイニシャルの名前をつけようと考えた。

そうして撮影のためにコモドオオトカゲとゴリラを戦わせるアイデアを練っているうちに、コモドオオトカゲに打ち勝つ者=King of Komodoという言葉の神秘的な響きに魅了され、そこからコングという名称を思いついたという。つまり、コングという言葉には、すでにキングのニュアンスも含まれているのだ。

ここで本作『キングコング:髑髏島の巨神』の原題を見てみると、「Kong: Skull Island」となっていることがわる。そう、今回の原題には「King」がないのだ。監督(もしくは今回の原題を決定した人物)が何を意図してそうしたのかはわからないが、コングという言葉の本来の意味に帰ったと解釈することは可能だろう。

もうひとつ。『キングコング:髑髏島の巨神』は、いくつかの映画を連想させる。

まずベトナム戦争が登場し、兵士たちがヘリで編隊を組んで飛行したり、ボートで川を航行する様子は、誰が見ても『地獄の黙示録』だ。ご丁寧にスピーカーで音楽(本作ではブラックサバスの『パラノイド』!)を爆音で鳴らすことまでやってくれる。

原住民と遭遇するシーンなんかも『地獄の黙示録』を見事になぞっているし、そういえば主役と言ってもいい人物の一人、ジェームズ・コンラッド大尉の名前にも『地獄の黙示録』の影がある。なぜなら『地獄の黙示録』は英国の作家ジョゼフ・コンラッドが1902年に発表した小説『闇の奥』を翻案して映像化したものだからだ。

個人的には、コングの宿敵となる怪物が捕食した人間の骨をゲロゲロ〜っと吐き出す場面に『グエムル ─漢江の怪物─』と同じテイストを感じて、喝采を上げてしまった。そう『キングコング:髑髏島の巨神』は、人喰い映画としても見所満載の作品なのだ。

とりあえず、劇場でやっているうちに見てほしい。今年のコングはいいコング。
(とみさわ昭仁)