+α/あるふぁきゅん。「私についてきてくれる人のために」――1stシングル『Our sympathy』をリリース
2013年、ニコニコ動画の「歌ってみた」カテゴリに彗星のごとく現れた“+α/あるふぁきゅん。”。規格外の歌唱力であらゆる楽曲を歌い上げるその実力から、若者を中心に高い人気を誇る彼女が、2月8日にTVアニメ『エルドライブ【ēlDLIVE】』のOP曲となる『Our sympathy』をリリースする。これまで非公開にしていたビジュアルを一部解禁したアートワークも話題に。実在する本人を前にして――「淡白な性格」と自らを分析する通りのハッキリとした物言いや、凛とした眼差し、そして時折見せるはにかんだ笑顔がとても印象的な人だった。
撮影/西村 康 取材・文/照沼健太 ヘアメイク/樋沼やよい
――きょうは、+α/あるふぁきゅん。さんのルーツに迫りたいと思っています。まずは小さい頃のお話からお伺いしたいのですが、どんな子どもでしたか?
やんちゃっ子でしたね。近所には畑が広がっていて、いちご畑に忍び込んだことがありました。家族のために持って帰ってあげようとポケットに入れたら、いちごがつぶれて返り血みたいに服が汚れちゃって。それを見たおまわりさんに「大丈夫かー!?」って心配されたな…(笑)。
――学校のクラスではどうでした? 男の子に混じって外で遊ぶような…?
今もそうなんですけど、基本的に群れるのが嫌いで。女の子同士ってなぜかトイレに一緒に行ったりするんですけど、あれは理解に苦しみましたね。
――小さい頃から歌うことは好きでしたか?
いえ、全然。絵を描くのが好きでした。ちっちゃいときから芸術系は得意で、幼稚園の頃に絵の賞をもらったりしたこともあったんです。
――それがどうして音楽の道へ?
父親が「絵では食べていけないぞ。まだ歌のほうがマシだ」と言ってきたんです。ビールを飲みながらだったし、何か根拠があって言ったわけじゃないと思うんですけど、お父さん子だった私はそれを鵜呑みにして「わかった! 歌にする!」って(笑)。
――すばやい転身ですね(笑)。
その後、音楽系の学校に進学して、本格的に勉強し始めました。最初はベースをやろうと思って、弾きながら歌ってたんですけど、先生に「絶対ボーカルのほうがいいよ」って言われて歌うようになりました。
――ちなみにお父さんは、「絵はやめとけ」発言を覚えているんですかね?
覚えてます。「歌手デビューできたのは俺のおかげだぞ」とか、わけのわからないこと言ってきます。
――当時はどういうアーティストの音楽を聴いていましたか?
音楽系の学校に入ってからは、授業で流れた『We Are The World』を観て、そこで歌っているボーカリストたちを片っ端から聴いてました。
――じゃあ最初は洋楽だったんですね。
はい。アニソンは聴いてなくて、むしろ「アニソンなんて」くらいの感じでしたね。でも、友だちに勧めてもらった漫画を読んで、そのアニメを観てから、アニソンにどっぷりハマりまして……。
――その作品とは?
驚かれると思うんですけど……『聖闘士星矢』です。
――それは意外ですね!
汗臭いのが好きなんですよ。『聖闘士星矢』をキッカケに、アニソンのカッコよさに気づきましたね。
――2013年6月、『敗北の少年』で歌い手デビューされましたが、ニコニコ動画への投稿を始めたキッカケは何だったのでしょう?
もともとニコニコ生放送をしていたんですけど、「歌ってみた」にあげないの?ってリスナーさんに言われて、そこから始めました。
――投稿動画に対して、いろんな反応が寄せられますよね。なかには批判的なコメントもあると思うんですけど、怖くなかったですか…?
怖いとか、一切思わなかったですね。むしろすごく魅力的で。「私の動画は一体なんて書かれるんだろう?」っていう好奇心のほうが強かったです。
――ちなみに、「+α/あるふぁきゅん。」という名前の由来は?
もともと「あるふぁ」っていう名前で生放送をしていたんですけど、「歌ってみた」に投稿しようとしたときに検索しづらい名前だなと。それで「あるふぁちゃん」「あるふぁくん」とか考えてたところで、「あるふぁきゅん」になったんです。最初に+αってついているのは、どんな歌にも“プラスアルファ”して、自分なりに歌えますように、という思いからです。
――そうだったんですね。
呼びにくいですよね、すみません(笑)。今となっては、ちょっと恥ずかしいんですけどね(笑)。
――いえいえ(笑)。そして投稿3作目となる『紅蓮の弓矢』のカバー動画が、ニコニコ動画ランキングで総合チャート1位を獲得、100万回再生を突破(現在270万再生)。このときのことは覚えていますか?
覚えてますよ。大炎上でしたね。
――ご本人としては「大炎上」という認識だったんですか?
あそこまで再生回数が伸びたのは、アンチの方がたくさんいたからでもあるんですよ。とくに最初の頃はめちゃくちゃに叩かれていて。でも、それもちょっとおもしろいなぁと思いながら、みんなの反応を見ていたんですけど(笑)。
――おもしろい?
はい(笑)。でも私がそうやって「クスクス」って感じで見ちゃって何も返事をしなかったから、アンチの方がすぐ飽きちゃったみたいで、それはちょっと残念でしたね。彼らを飽きさせなければ、再生回数はもっと伸びていたのかもしれないし。
――達観しているというか……心が強いんですね。
淡白な性格なんだと思います。物事にあまり興味がないだけです。
――ただ、+α/あるふぁきゅん。さんはそうでも、ファンの方がそうとは限らないですよね。
そうですね。アンチの方たちのコメントに、ファンの方たちがムキになって言い合いになってるときがあると、「あぁ…気にしないでいいのに」って思っちゃいます。コメント欄でケンカしてると、新しい人が入ってこられなくなるので。だから「気にしないでいいんだよ」って呼びかけるようにはしてますね。
――+α/あるふぁきゅん。さんの強みのひとつに、何種類もの歌声を楽曲ごとに使いわけるところがあると思いますが、どうやって習得されたんでしょう?
声色を変えようと思って変えているのは確かなんですけど、無理したりとか「こうしたい!」と強く願って出してるわけじゃないんです。自然と変えられるんですよね。
――自然と…?
たぶん、コツさえ掴めばみんなできるんじゃないかと思います。遠くにいる人を呼ぶときって自然と野太い声になったりするじゃないですか。「こういう声を出せ」じゃなくて、「こういう言い方をしろ」って言われたほうが声は変えやすいと思います。
――なるほど。
それに、いろんな声と言っても何十種類もあるわけじゃなくて、大きくわけたら3種類くらいじゃないかと。そこにちょっと小細工をするから、違って聴こえるだけだと思いますよ。
――実力派シンガーでありながら、プロフィールのほとんどを非公開にされていましたよね。アイコンをイラストにすることで顔出しされず、年齢は10歳という設定で……。
あ、もう「年齢10歳」は公式プロフィールから消してるんですよ。ゴリラがアイコンだったときがあって、そのときは「ゴリラ10歳」みたいなネタで通るけど、今は顔出しもしてるのに10歳って痛いじゃないですか。私自身がつらくなってきて、「年齢非公開」というスタイリッシュな方向に変えようとしてるんです(笑)。
――心境の変化が(笑)。
もともと、なぜ年齢非公開とかアイコンをイラストにしていたかというと、聴いてくださるみなさんに妄想する楽しさを持ってほしかったからなんです。アニメのキャラクターって現実にいるわけじゃないけど、キャラクターを知って、映像を観て、妄想する楽しさがありますよね?
――多くの創作物で重要なポイントですよね。
それと一緒で、歌い手というのも声で勝負してるから、すっごく可愛い声だと美少女だと思われるだろうし、すっごくイケボならイケメンを想像するだろうし、そういうのって楽しいと思うんです。だから私はあえて非公開にした。リスナーの方々に“いろんな私”が作られていけばいいなと。
――そうした妄想や想像する楽しさを知ったのはいつ頃ですか?
超かわいい話なんですけど、小学生のときに『犬夜叉』が大好きで、漫画もアニメのDVDも、四魂の玉も持っているくらいのオタクだったんです。そんなある日、夢の中で犬夜叉の背中に乗ることができたんですよ。あちこちを飛び跳ねながら移動している夢で、「自転車や車で移動するより気持ちいいぞ!」って。
――かわいい話ですね(笑)。めちゃくちゃテンションがあがるのもわかります。
目が覚めても忘れられなくて、翌朝、「犬夜叉の背中に乗ったんだよー」って学校でも自慢してました(笑)。そこからですね、妄想力が鍛えられて変な夢をたくさん見るようになったのは。
――ニコニコ動画で着実に人気を獲得していくなか、2014年に1stアルバムを、2016年には2ndアルバムをリリースし、活躍の幅を広げてきましたよね。メジャーデビューされたことで、ご自身の音楽活動への思いなどは変わりましたか?
変わりました。今までは妄想する楽しさを提供しようと思って、アイコンも声も、ころころ変えていたんです。時にはすごく気持ち悪い声を出したり、ひどいことも言ってきた。それでも「なぜ私の歌をいまだに聴いてくれるんだろう?」って思ったんです。「もしかしたら本当に私の歌が好きでいてくれているのかも?」って。
――それまでは、自分の歌声が好きで聴いてくれているとは思っていなかったんですか?
+α/あるふぁきゅん。というキャラクターが好きとか、妄想を楽しめるから好きとか、そういうことなのかなって思ってたんですよ。それで「+α/あるふぁきゅん。というキャラがいなくなって、歌声だけを聴いたらどう思うんだろう?」って試してみたくなり……結果、最初のCDを「買ったよ!」っていう方がいっぱいいたことに衝撃を受けました。
――CDの購入者がいることがわかって、やっと確信を持つことができた。
妄想するのが好きなだけなら、CDなんて買わないじゃないですか。それなのにCDを買ってくださる方がいっぱいいた。私の歌を好きでいてくれてる方がいるんだとわかった。そこからはキャラ作りよりも、歌とかライブを重視するようになりましたね。私についてきてくれる方がいるなら、しっかりやりたいと。
撮影/西村 康 取材・文/照沼健太 ヘアメイク/樋沼やよい
音楽の道に進んだキッカケは、父親が放った一言
――きょうは、+α/あるふぁきゅん。さんのルーツに迫りたいと思っています。まずは小さい頃のお話からお伺いしたいのですが、どんな子どもでしたか?
やんちゃっ子でしたね。近所には畑が広がっていて、いちご畑に忍び込んだことがありました。家族のために持って帰ってあげようとポケットに入れたら、いちごがつぶれて返り血みたいに服が汚れちゃって。それを見たおまわりさんに「大丈夫かー!?」って心配されたな…(笑)。
――学校のクラスではどうでした? 男の子に混じって外で遊ぶような…?
今もそうなんですけど、基本的に群れるのが嫌いで。女の子同士ってなぜかトイレに一緒に行ったりするんですけど、あれは理解に苦しみましたね。
――小さい頃から歌うことは好きでしたか?
いえ、全然。絵を描くのが好きでした。ちっちゃいときから芸術系は得意で、幼稚園の頃に絵の賞をもらったりしたこともあったんです。
――それがどうして音楽の道へ?
父親が「絵では食べていけないぞ。まだ歌のほうがマシだ」と言ってきたんです。ビールを飲みながらだったし、何か根拠があって言ったわけじゃないと思うんですけど、お父さん子だった私はそれを鵜呑みにして「わかった! 歌にする!」って(笑)。
――すばやい転身ですね(笑)。
その後、音楽系の学校に進学して、本格的に勉強し始めました。最初はベースをやろうと思って、弾きながら歌ってたんですけど、先生に「絶対ボーカルのほうがいいよ」って言われて歌うようになりました。
――ちなみにお父さんは、「絵はやめとけ」発言を覚えているんですかね?
覚えてます。「歌手デビューできたのは俺のおかげだぞ」とか、わけのわからないこと言ってきます。
――当時はどういうアーティストの音楽を聴いていましたか?
音楽系の学校に入ってからは、授業で流れた『We Are The World』を観て、そこで歌っているボーカリストたちを片っ端から聴いてました。
――じゃあ最初は洋楽だったんですね。
はい。アニソンは聴いてなくて、むしろ「アニソンなんて」くらいの感じでしたね。でも、友だちに勧めてもらった漫画を読んで、そのアニメを観てから、アニソンにどっぷりハマりまして……。
――その作品とは?
驚かれると思うんですけど……『聖闘士星矢』です。
――それは意外ですね!
汗臭いのが好きなんですよ。『聖闘士星矢』をキッカケに、アニソンのカッコよさに気づきましたね。
「歌ってみた」初投稿から1週間で大ブレイク
――2013年6月、『敗北の少年』で歌い手デビューされましたが、ニコニコ動画への投稿を始めたキッカケは何だったのでしょう?
もともとニコニコ生放送をしていたんですけど、「歌ってみた」にあげないの?ってリスナーさんに言われて、そこから始めました。
――投稿動画に対して、いろんな反応が寄せられますよね。なかには批判的なコメントもあると思うんですけど、怖くなかったですか…?
怖いとか、一切思わなかったですね。むしろすごく魅力的で。「私の動画は一体なんて書かれるんだろう?」っていう好奇心のほうが強かったです。
――ちなみに、「+α/あるふぁきゅん。」という名前の由来は?
もともと「あるふぁ」っていう名前で生放送をしていたんですけど、「歌ってみた」に投稿しようとしたときに検索しづらい名前だなと。それで「あるふぁちゃん」「あるふぁくん」とか考えてたところで、「あるふぁきゅん」になったんです。最初に+αってついているのは、どんな歌にも“プラスアルファ”して、自分なりに歌えますように、という思いからです。
――そうだったんですね。
呼びにくいですよね、すみません(笑)。今となっては、ちょっと恥ずかしいんですけどね(笑)。
――いえいえ(笑)。そして投稿3作目となる『紅蓮の弓矢』のカバー動画が、ニコニコ動画ランキングで総合チャート1位を獲得、100万回再生を突破(現在270万再生)。このときのことは覚えていますか?
覚えてますよ。大炎上でしたね。
――ご本人としては「大炎上」という認識だったんですか?
あそこまで再生回数が伸びたのは、アンチの方がたくさんいたからでもあるんですよ。とくに最初の頃はめちゃくちゃに叩かれていて。でも、それもちょっとおもしろいなぁと思いながら、みんなの反応を見ていたんですけど(笑)。
――おもしろい?
はい(笑)。でも私がそうやって「クスクス」って感じで見ちゃって何も返事をしなかったから、アンチの方がすぐ飽きちゃったみたいで、それはちょっと残念でしたね。彼らを飽きさせなければ、再生回数はもっと伸びていたのかもしれないし。
――達観しているというか……心が強いんですね。
淡白な性格なんだと思います。物事にあまり興味がないだけです。
――ただ、+α/あるふぁきゅん。さんはそうでも、ファンの方がそうとは限らないですよね。
そうですね。アンチの方たちのコメントに、ファンの方たちがムキになって言い合いになってるときがあると、「あぁ…気にしないでいいのに」って思っちゃいます。コメント欄でケンカしてると、新しい人が入ってこられなくなるので。だから「気にしないでいいんだよ」って呼びかけるようにはしてますね。
リスナーによって“いろんな私”が作られていく
――+α/あるふぁきゅん。さんの強みのひとつに、何種類もの歌声を楽曲ごとに使いわけるところがあると思いますが、どうやって習得されたんでしょう?
声色を変えようと思って変えているのは確かなんですけど、無理したりとか「こうしたい!」と強く願って出してるわけじゃないんです。自然と変えられるんですよね。
――自然と…?
たぶん、コツさえ掴めばみんなできるんじゃないかと思います。遠くにいる人を呼ぶときって自然と野太い声になったりするじゃないですか。「こういう声を出せ」じゃなくて、「こういう言い方をしろ」って言われたほうが声は変えやすいと思います。
――なるほど。
それに、いろんな声と言っても何十種類もあるわけじゃなくて、大きくわけたら3種類くらいじゃないかと。そこにちょっと小細工をするから、違って聴こえるだけだと思いますよ。
――実力派シンガーでありながら、プロフィールのほとんどを非公開にされていましたよね。アイコンをイラストにすることで顔出しされず、年齢は10歳という設定で……。
あ、もう「年齢10歳」は公式プロフィールから消してるんですよ。ゴリラがアイコンだったときがあって、そのときは「ゴリラ10歳」みたいなネタで通るけど、今は顔出しもしてるのに10歳って痛いじゃないですか。私自身がつらくなってきて、「年齢非公開」というスタイリッシュな方向に変えようとしてるんです(笑)。
――心境の変化が(笑)。
もともと、なぜ年齢非公開とかアイコンをイラストにしていたかというと、聴いてくださるみなさんに妄想する楽しさを持ってほしかったからなんです。アニメのキャラクターって現実にいるわけじゃないけど、キャラクターを知って、映像を観て、妄想する楽しさがありますよね?
――多くの創作物で重要なポイントですよね。
それと一緒で、歌い手というのも声で勝負してるから、すっごく可愛い声だと美少女だと思われるだろうし、すっごくイケボならイケメンを想像するだろうし、そういうのって楽しいと思うんです。だから私はあえて非公開にした。リスナーの方々に“いろんな私”が作られていけばいいなと。
――そうした妄想や想像する楽しさを知ったのはいつ頃ですか?
超かわいい話なんですけど、小学生のときに『犬夜叉』が大好きで、漫画もアニメのDVDも、四魂の玉も持っているくらいのオタクだったんです。そんなある日、夢の中で犬夜叉の背中に乗ることができたんですよ。あちこちを飛び跳ねながら移動している夢で、「自転車や車で移動するより気持ちいいぞ!」って。
――かわいい話ですね(笑)。めちゃくちゃテンションがあがるのもわかります。
目が覚めても忘れられなくて、翌朝、「犬夜叉の背中に乗ったんだよー」って学校でも自慢してました(笑)。そこからですね、妄想力が鍛えられて変な夢をたくさん見るようになったのは。
――ニコニコ動画で着実に人気を獲得していくなか、2014年に1stアルバムを、2016年には2ndアルバムをリリースし、活躍の幅を広げてきましたよね。メジャーデビューされたことで、ご自身の音楽活動への思いなどは変わりましたか?
変わりました。今までは妄想する楽しさを提供しようと思って、アイコンも声も、ころころ変えていたんです。時にはすごく気持ち悪い声を出したり、ひどいことも言ってきた。それでも「なぜ私の歌をいまだに聴いてくれるんだろう?」って思ったんです。「もしかしたら本当に私の歌が好きでいてくれているのかも?」って。
――それまでは、自分の歌声が好きで聴いてくれているとは思っていなかったんですか?
+α/あるふぁきゅん。というキャラクターが好きとか、妄想を楽しめるから好きとか、そういうことなのかなって思ってたんですよ。それで「+α/あるふぁきゅん。というキャラがいなくなって、歌声だけを聴いたらどう思うんだろう?」って試してみたくなり……結果、最初のCDを「買ったよ!」っていう方がいっぱいいたことに衝撃を受けました。
――CDの購入者がいることがわかって、やっと確信を持つことができた。
妄想するのが好きなだけなら、CDなんて買わないじゃないですか。それなのにCDを買ってくださる方がいっぱいいた。私の歌を好きでいてくれてる方がいるんだとわかった。そこからはキャラ作りよりも、歌とかライブを重視するようになりましたね。私についてきてくれる方がいるなら、しっかりやりたいと。