新年のはじまりの元旦に初日の出を拝んで迎えるのは一般的だが、一年の終わりの大晦日の日の入りには注目が集まらないのはなぜだろう。そもそも「大晦日の日の入り」に名称はあるのだろうか。

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辞書を引いてみると...?

まず試しにGoogleで「大晦日 日の入り」と検索すると、「終(つい)の日の入り」という言葉が引っ掛かった。ところが広辞苑を引いてみてもその記載はなく、信憑性に欠ける。そこでJタウンネット編集部は国立国語研究所に問い合わせてみた。

専門家によると、大晦日の日の入りを表す言葉は「ない」とのことだった。

「言葉は文化・習慣を反映しています。言葉がないということは表現することがない、つまりそのような動機や発想がないということです」

伝統的な国語辞典にも記載がなく、和歌などに詠まれたこともないという。

考えてみよう。年の瀬は何かと忙しく、まして大晦日は新年の準備などで慌ただしい。夕暮れにぼんやりと日の入りを眺める余裕はなかったのだろう。

ネット上で見つかった「終の日の入り」という言葉はマイナーな個人レベルの発言であるが、将来、大晦日をゆっくりと過ごす文化が広まれば、そのような言葉が広まる可能性もゼロではないかもしれない。実際ツイッターや個人ブログでは、不特定多数の人たちが「終の日の入り」という言い方を用いている。

国立天文台が発表する「各地のこよみ」によると、2016年12月31日大晦日の東京都の日の入り時刻は16時38分。一年の終わりに夕日を眺めるのも風流ではないだろうか。