部員が少なくても、有名中学球児がいなくてもPLはやはりPL!

 1970年代から2000年代までの約40年間、高校球界を牽引したのがPL学園である。甲子園大会制覇は春夏通算7回を数え、桑田 真澄清原和博のKKコンビは高校野球ファンの枠を超え広く親しまれ、その2年後の春夏連覇、さらに松坂 大輔擁する横浜高校と演じた1998年春夏の激闘など、その間の輝かしい歩みは他の追随を許さない。

 その「明」の反面、部内の暴力事件は後を絶たなかったこともあり、野球部寮の閉鎖、付き人制度の廃止など学園側が野球部の活動に制限を加えるようになり、2015、16年には新入部員の募集を行わなかった。つまり今年の夏の敗戦は即、野球部の休部・廃部に直結する。そして大阪大会1回戦の対戦相手は強豪、東大阪大柏原に決まり、多くの高校野球ファンはひょっとしたらこの試合がPL学園の見納めになるかもしれないと考え、観客収容の少ない東花園球場に殺到したというのがこの原稿の長い前置きである。

 試合に先立って行われるシートノックを見て涙が出そうになった。外野に就く選手がおらず、内野の選手だけがノックを受けていたのである。試合前日の14日には練習中のアクシデントで河野友哉が大腿部の骨折、正垣静玖が亜脱臼で戦線を離脱することになり、ただでさえ11人という限られた戦力が9人で戦わなければならない。そういう厳しい状況が浮き彫りになった光景だった。

 元監督の河野有道さんに聞くと、部員11人は有名中学生とは無縁の生徒らしい。対する東大阪大柏原は履正社、大阪桐蔭に次ぐ伏兵的存在で、勝負は戦う前からわかっていたとは、私がこの試合を観戦する前の浅はかな思いである。

 しかし、内野手だけのシートノックを見て少しだけ「ひょっとしたら」と思った。有名中学球児はいなくても指導者(ノッカー)や選手の気持ちの中に「PLの選手はこうあるべき」という哲学がきちんと育ち、それがプレーに反映されていたのである。東大阪大柏原を敵役にして申し訳ないが、有名中学球児で占められた東大阪大柏原とくらべて動きに遜色がなくこれは凄いと思った。

 1回表、先頭の谷口大虎がセンター前ヒットで出ると2番原田明信が死球で無死一、二塁。一死後に4番藤原光希がセンター前ヒットで満塁にし、二死後に6番安達星太がライト前にヒットを放ち、中継プレーのまずさもあり2点が入った。

 その裏に東大阪大柏原は制球難に苦しむPL学園の先発藤村を攻め、3番住谷壮真のタイムリーや併殺打崩れであっという間に同点とし、2回裏には3四球などで満塁のチャンスを作り、またもや住谷のライト前ヒットで二者を迎え入れた。

 序盤の2対5と言う点差を見て、再び浅はかにも両校の実力差はいかんともしがたいと思ったわけだが、6回表に先頭の4番藤原光が二塁打を放ち、5番梅田翔大が四球で歩き、一死後、7番水上真斗が2点二塁打を放ち1点差、7回には3番藤村哲平がレフトスタンドに2ランホームランを放ち、ここでようやく私はPL学園の底力をきちんと認識することができたのである。部員が少なくても有名中学球児がいなくても、PLはやはりPLだった。

 敵役の東大阪大柏原はさすがに強かった。7回に1番高木郁人はセンター前に同点タイムリー、8回には7番近藤 翔暉がセンター前に勝ち越し打を放ち、粘るPL学園を突き放すのである。完投した平田啓吾はサイドスローにも関わらずヒジの立ったフォームからフォークボールらしき落ちるボールを操り、内角攻めにも躊躇しない攻撃的なピッチングでPL打線に対した。6点取られているが、殊勲者の1人と言っていい。

 あまりの好ゲームのため、試合後すぐに球場を離れることのできないファンがネット裏にたむろし、応援団の歌う校歌「♪あ〜あPL、PL、永遠の学園、永遠の学園」に唱和する観客が多かった。PL学園硬式野球部はこの試合をもって休部するが、今日出場した選手にはこれからも大学、社会人で野球を続けてもらいたいと思った。人情ではなく、それが許される実力が備わっていると思った。

(文=小関 順二)

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