専大松戸の持丸 修一監督が語った「甲子園に導いた一流の控え投手」

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 昨年、創部初の甲子園出場を果たした専大松戸。その指揮を執るのが持丸 修一監督である。竜ヶ崎一、藤代、常総学院の監督を務め、2007年冬に専大松戸の監督に就任。常にニコニコしながら、独特の茨城弁で選手たちに話しかける姿はとても親しみやすい雰囲気がある。今回はそんな持丸監督に控え選手のエピソードを話していただいた。持丸監督が話す一流の控え選手とはどんな選手なのだろうか。

学年トップで入学した角谷投手

角谷 幸輝選手(専大松戸)

「いろいろおりますが、やっぱり昨夏の千葉大会の優勝投手になった角谷 幸輝を一番手に挙げたいですね。彼こそがスーパー控え選手です!」角谷は浦安中出身で、Kボール千葉県選抜の左のエースとして活躍するなど、千葉県では有名な選手。選んだ先は上沢 直之 (北海道日本ハムファイターズ<2015年インタビュー>)など数多くの好投手を輩出する専大松戸だった。さらに角谷は勉学も優れた選手だった。「彼は勉強が凄いできる子で、学年トップで入学したんです。生活態度もしっかりしていて、勉強もできて、野球の方では入学からコントロールも良く、変化球も良く、試合が作れる投手でしたので、1年からベンチ入りしていましたね」

 能力も高く、早くも登板機会を与えられた角谷。しかし同期には原 嵩(千葉ロッテマリーンズ)がいた。1年からすでに140キロ台の直球も投げ込んでいた原。1年の時からプロへいくのでは?と才能を発揮していた選手だった。エースはもちろん原で、角谷がエースとして投げる機会はなかなか巡ってこなかった。また角谷自身も悔しい敗戦を経験していた。2年夏の決勝の東海大望洋戦。勢いに乗った東海大望洋打線を止めることができず、打者1人に投げて1安打を打たれてそのまま降板。秋も松戸国際に敗れて選抜出場を逃していた。この時の角谷を見て、持丸監督はこう感じていた。

「2年秋に松戸国際戦で負けてから自信を失っている感じがしました。それでも練習は一生懸命やっていましたし、私にどんどん話しかけて、何か習得しようと努力をしていましたよ。やっぱり自信をつけるには実戦で活躍するしかないんです。3年春では自信を付けさせること、そして夏を見据えて角谷に背番号1をつけさせました」

 角谷は持丸監督の期待に応え、県大会では2回戦で松戸国際と対戦。長打力と細かな戦略を得意とする松戸国際打線に対しても全く恐れることなく投げていった角谷は1失点完投勝利を挙げると、松戸国際に勝利したことで自信がついていったのか、その後の試合でも拓大紅陵には延長11回まで投げ切り、1失点完投勝利。準決勝の千葉敬愛戦でも1失点完投勝利を挙げ、関東大会出場に貢献したのだ。そして関東大会でも先発し大きな経験を積んだ角谷。持丸監督の期待に応えられる選手となっていった。

「結果的に彼のおかげで春季千葉県大会は優勝することができましたので、夏でも先発で任せられる目処が立ちました。夏の大会では背番号1は原が着けることになったのですが、メンバー発表前に原に背番号1を付けることを角谷と外野グラウンドを歩きながら、話したんです。角谷は背番号10、11のどっちが良いと聞いて、角谷は背番号1に近い10番が良いということで、背番号10で夏に臨みました。それだけエースを取りたい思いがあったのでしょう」

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