5日、テレビ東京「FOOT×BRAIN」では「W杯アジア予選激闘史」と題し、元日本代表でサッカー解説者の福田正博氏、北澤豪氏、秋田豊氏らが日本が挑んできた過去のW杯アジア予選を振り返った。

いまでこそ日本代表はW杯5大会連続出場中だが、それ以前はアジア一次予選すら突破できず。1986年(メキシコ大会)には最終予選に進むも韓国代表に行く手を阻まれ、1994年(アメリカ大会)のアジア最終予選ではあまりにも有名な「ドーハの悲劇」が起きた。

当時出場枠は2つしかなかったアジアにおいて、最終予選の最終戦で首位に立った日本はイラクに勝利すれば悲願達成というところまできていた。だが、1点リードしていた日本は後半ロスタイム、試合終了まで17秒という場面で相手のショートコーナーから同点に追いつかれ夢は潰えた。

この時について「今の代表とこの時の代表の違いって(93年に)Jリーグがスタートした年。日本のサッカーを成功させたいっていう志を持っていた。そのためには日本代表がW杯に出ることが一番重要なんだと。そういう共通の志(があった)」と口火を切った福田氏に、北澤氏も「それしかなかった」と同調した。

それでも秋田氏が「なんで最後の時、ボールを動かして時間作って。17秒じゃないですか?」と質問すると、北澤氏は「まさかあそこでショートコーナーしないでしょ?」と言い、福田氏も「初めて出れるってことに焦りがあったのは事実じゃない?あとちょっとだっていうのが、そっちばかりに囚われてしまって冷静さを失ってしまったっていうのは間違いなく経験値」と説明した。

また「93年はJリーグがスタートした年。選手達はフィーバーしている中でパワーをものすごく使って疲弊してるんですよ」とも続けた福田氏は、北澤氏が「2年くらい休んでない」と話すと、「だからオフトが予選の前にスペインのリゾート地に行ってるんですけど。メディアがあまりこないようなリラックスできるところでとにかく休ませたいというような、そういう時代だった」と振り返った。