今年8月、奈良県大淀町の町立病院に入院していた女性(32)が、夜中の分娩中の異状を放置されたうえ、受け入れ先の病院が見つからずに18もの病院をたらい回しにされたとするニュース(18日報道)は、確かにショッキングなものだ。女性は後に分かったように脳内出血を起こしており、当直医の一人は担当医(当然、産科医)にCT検査を勧めた場面もあったようだが、結局は妊婦に多い「子癇(かん)」と判断。受け入れ病院が見つからず、最終的に搬送されたのは県境を越えた国立循環器病センター(大阪・吹田市)となって、子どもは助けられたが女性は8日後に亡くなった。

 この話だけ聞くと、多くの人は「何ていうこと」「そんなバカな話があるのか」と思うに違いない。しかし、医療関係者はもう少し違った反応を示すハズだ。「もしかしてそんなこともあるかもしれない」と――。

 今回の出来事は、日本の医療をよく知る人にとっては、実に鮮やかに、その問題点と特質を描き出したケースと思える“悲劇”だった。

 まず一つが、救急医療体制が未だに抱える不備。後述するように、日本の救急医療はかなり整備されてきている部分はあるが、やはり末端の中小病院(100床〜200床クラス)になると、当直医は1人しかいないなどという所はけっこうある。その実態はお寒い限りだ。

 それと、これがこの話題の核心だが、いま日本の産科医療は大変な難関に差し掛かっている。一つは決定的な産科医不足があることだし、今ひとつはある事件をきっかけに、産科を忌避する医師がますます増えつつあること。三重県尾鷲市の市立病院で、いなくなった産科医の穴埋めのため、5000万円以上の高給で開業医を招請したことはマスコミでも話題になった。しかし、この医師さえも「体が持たない」としばらくして職を辞してしまう。そのくらい、医師不足は深刻なのである。

 先に述べた「ある事件」というのは、ことし2月18日、福島県立大野病院のK医師が業務上過失致死、医師法違反(届け出義務違反)の疑いで逮捕された件だ。当該の事故(多くの医師は医療ミスとは見ていない)は2年ほど前に起きたもので、癒着胎盤に対して輸血用の血液が足りなかったことなどで、帝王切開中の患者が死亡した。しかし、これは後に産科医を中心に猛反発が起こったように、医師の常識からすれば事故としか呼び得ないもの。これを“事件”にされたことで、産科医のやる気を殺(そ)いだ影響力には大変なものがあった。

 日本の産科医不足は深刻――以前からその傾向は指摘されていたが、少子化で分娩数そのものが減っていること、そして決定的なのは医療事故訴訟の急増がその背景にある事実である。

 忘れてはいけないのは、日本の周産期医療は世界最高水準にあり、多くの先輩医師の寝食を忘れた努力によって新生児死亡率は世界最低クラス(01年で3・6)であること。しかし、お産による胎児や母体の死亡が稀になると、一たん死亡事故が起こると親族の悲嘆と相まって、医師に怒りの矛先が向けられることになる。これは、懸命な努力の中で子どもを取り上げている産科医には酷なことであり、ますます産科医志望者を減らす結果を招いた。

 冒頭の事故(あえて事故と呼ぶ)に立ち戻ってみると、これは(1)異状が妊婦の分娩中に起こったこと(2)担当医が自分の判断に固執した(3)ナショナルセンターであるはずの県立医大病院に入院を断られた(4)推測だが、最終的に県境を越えるまでの事態になったことで、対応にかなりの時間をロスした(救急隊は基本的に県をまたぎたがらない)。こうした不幸が積み重なったことが、原因のような気がしてならない。

 さらに付け加えると、日本の救急医療体制は1、2、3次救急ともかなり整備されてきているが、これも救命救急センターを持つ大学病院等の高次機能病院を除けば、まだまだその受け入れ態勢の不備とばらつきが指摘できる。救急専門医も決定的に足りない。従って、今回の事故ではないが、時の運・不運が運命を分けてしまうような事態が実際に起こり得るのである(あってはならないコトだ)。

 今回の事故を知り合いの内科医に話したとき、彼は「どんな病院でもいざという時に受け入れてくれる協力病院を一つや二つは持っているハズ。断り続けられたことが理解できない」と話していた。

 そう、早めに脳内出血との判断が下せていれば、このような悲劇は起こらなかったかもしれない。私的な想像だが、コトが産科の救急だっただけに、そこにある種の回避行動が連鎖的に起こった部分もあったのではないだろうか。【了】