『「やりがいのある仕事」という幻想』(森博嗣/朝日新書)「働くことって、そんなに大事?」仕事に関する幻想を消す本。

写真拡大

“多くの人は深く考えもせず、仕事というのは「人の価値を決めるものだ」と信じている。どんな職業かということで人の評価の大半を決めてしまっているのだ。だが、それははっきり言って間違いだし、これからはだんだん間違いが正されていくだろう。(…)しだいに職業というものの価値は下がっていくはずだ。”
身も蓋もないが本当のこと、というのがある。
『「やりがいのある仕事」という幻想』は、森博嗣による「これからの働き方」論だ。
森博嗣は、第1回メフィスト賞受賞作『すべてがFになる』でデビュー。アニメ化もされた『スカイ・クロラ』シリーズ、剣豪小説『ヴォイド・シェイパ』など、多作な作家だ。
で、新書も、実は、本作で10冊目。
これが、見事に身も蓋もない。
たとえば、いきなり、こうだ。
“「人は働くために生きているのではない」ということだ。”
このストレートさで、「やりがいのある仕事」や「楽しいことを仕事にせよ」といった言説の幻想をはぎとっていく。
“人は働くために生まれてきたのではない。どちらかというと、働かない方が良い状態だ。働かない方が楽しいし、疲れないし、健康的だ。あらゆる面において、働かない方が人間的だといえる。ただ、一点だけ、お金が稼げないという問題があるだけである。”
仕事って、働いて金を儲けることだ、と。もちろん、それだけではない。いろいろなことが付随する。でも、基本原理はそうだ。
森博嗣の語りは、基本原理をズバリとつきつける。それ以外のあれやこれやもあるけれど、それを不要に強調し原理を見失ってはもともこもないだろう、ということに立ち戻る。
“子供には、「仕事は大事だ」「仕事は大変なのだ」というふうに大人は語りたがる。これはもう、単に「大人は凄いぞ」と思わせたいだけのことで、大人のいやらしさだと断言しても良い”
だから、無理に働くことはない。就職しなければならないというのも幻想である。
“「仕事が生きがいだ」と嬉しそうに語る人だっている。どうしてそんなことを自慢するのかよくわからない。ただ、「仕事は辛いもの」という常識があるからこそ自慢になるわけだ。もう少し詳しく分析すると、仕事の中に楽しみを見つけている、というだけのことで、仕事が全面的にすべて楽しいという意味ではないはずだ(なにしろ、休日には仕事を休んでいるのだから)。また、本人が自己暗示にかけて、「これは楽しいことなのだ」と自分を騙している場合もときどき見受けられる。”
とはいえ、森博嗣は「働くな」とか「働くのが楽しいと考えるのは間違いだ」と主張しているのではない。働くことが楽しいと思う人もいるだろうし、そうじゃない人もいる。働くことが尊いとか、偉い仕事があるとか、仕事にやりがいを求めよとか、そんなことを基本原則のように語られると、そうじゃないまともな人がつらくなる。
だから、昨今の楽しさを演出する傾向にも容赦ない。
“ここ数十年の傾向として、子供たちには勉強の「楽しさ」を知ってもらいたい、社員には仕事の「楽しさ」を見つけてもらいたい、という考えが浸透している。(…)単に「やらなければならないこと」を、「楽しんでやれ」と条件をつけているだけである。「やりなさい」と言えば済むのに、楽しさがあるように飾って見せるのだ。”
やりがいのある仕事などと言っているうちに、やりがいがあるはずだと信じてしまう。だけど、それが見つからない。見つかったと思ったら嘘だった、なんてことになる。そうなると、つらい。
では、人生のやりがいはどこにあるのだろうか?
という疑問にも、本書は身も蓋もなくストレートに答えている。気になる人は『「やりがいのある仕事」という幻想』を読んでみるといい。
あ、でも、本書に感化されて、ファッキンなオヤジにこういったことを喋ると、「世の中はそんなに甘くないっ!」「仕事をバカにするなっ」って原理原則じゃないところで説教されるだけだから、やめといたほうが身のためだよ。
(米光一成)