前回イチロー・スズキがクラブハウスで取材を受けたのは、まだマリナーズにいた時だった。その晩休養を取らされて不機嫌だった彼は、次の試合で5打数4安打を放ち、メジャーリーグ12年目のシーズンで2,500安打をマークした。

シアトルでのキャリアが少しづつ終焉に向かう中で耐えなければならなかった苦難について、その時の彼は話をした。

彼らは彼を3番打者に据えが、それは上手くいなかなった。瀕死の状態のマリナーズでは何の役にも立たず、熱気も生まれなかった。

金曜日夜の試合を前に、彼は初めてヤンキー・スタジアムでホームのピンストライプを身につけた。新しいロッカーの周りで慌ただしくしていた彼は、感じはどうかと尋ねられた。

「凄く良い」彼は微笑みながら言った。

その日、レッドソックスに10-3で勝利したヤンキースの得点のうち2点を取り、4回すべての打席で強い打球を放ち、シングルヒットを記録した後のイチローは、より快活だった。

「僕は長い間、こんなに楽しく野球をしていなかった」彼は言った。

疑いようがなく、それは彼がアメリカや日本でプレーしてきた中で一番大きな再出発の機会で、新しいステージだ。ニューヨーク、ニューヨーク。その町は誰もが2回名前を呼ぶほどに、とても素晴らしい。

シアトルは西海岸、そしてアメリカンリーグ西地区の端に隠れる美しく、小さな街だ。そして日本にいた時から、彼は有名人で、かつてパシフィック・リーグのメンバーだったオリックス・ブルーウェーブでプレーしていた。そのチームは、東京から西へ新幹線で2時間の工業都市の神戸にあった。その球団は、もはや存在しない。オリックスのオーナーは、2004年に大阪近鉄バファローズとオリックスを合併させた。そしてチームは今、大阪で半分だけ残っていて、その名前はオリックス・バファローズだ。

ヒデキ・マツイとは対照的で、彼はヤンキースに飛び込んでくるまで読売ジャイアンツの主力選手だった。彼は2009年のワールドシリーズで打率.615、3本塁打、8打点で優勝に貢献した。マツイはその6試合のシリーズでMVPに選ばれた。

マツイは日本のマイケル・ジョーダンだ。二つの大陸の二つのプロフェッショナルリーグで、それぞれで一番のチームでチャンピオンシップを獲得した。そこでプレーしていた時、彼の顔はビルや飛行機の横に描かれた。

「イチローは、大きなチームでプレーしていなかった。だから彼はその当時も、大スターというわけではなかった」レッドソックスのボビー・バレンタイン監督は言った。彼は2回千葉ロッテで監督をして、日本シリーズで1回優勝している。「マツイとイチローは、当時から素晴らしい選手だった」

そして今度は、イチローの順番だ。ヤンキースは60勝39敗でプレーオフに突き進んでいる。そしてイチローはそこであと2ヶ月、彼らの手伝いをする。彼は2001年以来、ポストシーズンを経験していない。それはマリナーズに加わった1年目のことで、その年の彼はアメリカンリーグの新人賞とMVPを獲得した。その年のマリナーズは、アメリカンリーグ記録となる116勝を挙げたが、アメリカンリーグ・チャンピオンシップでヤンキースに敗退した。

その時までにアレックス・ロドリゲスは、既にフリーエージェントで去っていた。イチローは仲間を失っていき、マリナーズは、進む道を見失っていった。最終的に、イチローがあと8週間の契約が残る最終年にトレードを模索したのは、何よりもそれが理由だ。

「僕はこういった環境の中でプレーしたかった」彼は言った。

ヤンキースはトレードの際、彼に条件をつけた。彼はリードオフではなく、慣れているライトからレフトに移すというものだ。ライトにはニック・スイッシャーがいるからだ。イチローはヤンキースにこう返事をした。 

「問題ない」彼は試合後に、これらの新しいルールについて聞かれた時に言った。

今の所それは、そうするだけの価値があった。初めてヤンキース対レッドソックスの試合でプレーすることは、エネルギーになったと彼は言った。観客席からの彼の名前を呼ぶ声は、最初の回のライト守備の間中収まらず、それは彼にとって特別なものだった。

「今ま、僕がここに来たときに、僕の後ろにいるファンは厳しかったからね」彼は言った。「今夜の彼らは素晴らしかった。信じられないくらい。彼らは僕の味方だからね。まだ1試合だけど、それが続けば良いと思っている」

イチローは、故郷の名古屋に彼の人生とキャリアを綴った博物館を持っている。そして彼は、古いヤンキー・スタジアムのモニュメントパークを訪れており、N.Yのクーパースタウンにある野球の殿堂博物館にも4回訪れている。最も最近は、2009年だ。

それは彼が、どの様な人間なのかを物語っている。彼は金曜日の夜にメジャーリーグで2,537本目になるヒットを打っていて、それは月曜日にヤンキースにトレードされて以来、4本目だ。

彼はまた、ブルーウェーブでプレーした9シーズンで1,278本のヒットを打っていた。

彼がヤンキースでどんな成果を残すことができるのかは、まだ判らない。

「今夜の彼は、素晴らしくフィットしていた」ヤンキースのジョー・ジラルディ監督は言った。「ここで彼は楽しんでいると私は思う。彼は凄く楽しんでいるように見える。彼にはユーモアのセンスもあるんだ。彼が来るまで、私はその事を知らなかったよ」

彼は英語を上手く話す。そして質問が通訳される前に、彼は素早く日本語で答える。そして正確に言えば、ハッピーなイチローはいつも接しやすく、話しやすい。今の彼は、一人のご機嫌な男だ。

イチローは、問題ないと言っておく。

参考記事:Ichiro one happy camper with Yankees By Barry M. Bloom
http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20120728&content_id=35694152&vkey=news_nyy&c_id=nyy