横浜DeNAベイスターズ 三浦大輔投手150勝記念 −ハマの番長の来し方を振り返る 後編−
はじめに
三浦大輔選手(以降三浦選手)の150勝を記念して,三浦選手は登板した試合を振り返ってみようということで,前回は1990年代の記録を見ていきました。今回は2000年以降の成績を見て行きたいと思います。
引用データ
以降紹介するデータは,通算成績についてはWikipediaの三浦大輔選手の項を参照しています。各試合のデータについては,1992年から2005年まではベースボール・レコード・ブックを,2006年から2011年までは「プロ野球ヌルデータ置き場」様を参照しています。
1992年から2005年まではベースボール・レコード・ブックのデータについては,私が直接入力したものですので,慎重にはやっていますがミスが無いとは限りません。もしミスがあるようなら指摘していただけると助かります。
2000年の成績
それでは,まずは2000年の成績を以下の表1に示します。
※表中のHRは被本塁打を示します。援護は先発登板時についた打線からの援護点を示しています。この2つのデータは私がスコアを見て個人的に付け加えました。
この頃からはほとんど先発固定になります。年間成績は11勝6敗で防御率は3.22ですので,まずまずの1年ではないでしょうか。
2001年の成績
続いて2001年の成績を以下の表2に示します。
この年の年間成績も11勝6敗で防御率は2.88と昨年より向上しています。
2002年の成績
この年から親会社がマルハからひと悶着あってTBSへと変更になっています。全てをTBSの責任にすることはできませんが,現在の横浜はここから始まったといっても良いかもしれません。
それでは,2002年の成績を以下の表3に示します。
この年からベースボール・レコード・ブックの表記がより詳細なものになりました。データとしては球数(投球数)と失(失点)が追加されています。また四(四球)と死(死球)で表示されるようにもなりました。
チームの不振に同調するように,黒星が並んでいます。ただし,そこまで失点をしていないということはきちんと見ておかなければならないと思います。そして,7月18日の巨人戦後に登板間隔が開きますが,これは試合後に感じた右肘の違和感が改善しないために登録を抹消したためです。デビュー以来10年,疲労が表に表れてきたのでしょうか?
気になるのは,この違和感が7月18日の巨人戦後に表れたのか,それとも予兆のようなものがあったのかということです。なんにせよ今日まで現役を続けることが出来ているのですから,大事には至らなかったわけですが,このときは結構危ない状況だったのかもしれません。
2003年の成績
次に,2003年の成績を以下の表4に示します。
三浦大輔選手(以降三浦選手)の150勝を記念して,三浦選手は登板した試合を振り返ってみようということで,前回は1990年代の記録を見ていきました。今回は2000年以降の成績を見て行きたいと思います。
引用データ
以降紹介するデータは,通算成績についてはWikipediaの三浦大輔選手の項を参照しています。各試合のデータについては,1992年から2005年まではベースボール・レコード・ブックを,2006年から2011年までは「プロ野球ヌルデータ置き場」様を参照しています。
2000年の成績
それでは,まずは2000年の成績を以下の表1に示します。
※表中のHRは被本塁打を示します。援護は先発登板時についた打線からの援護点を示しています。この2つのデータは私がスコアを見て個人的に付け加えました。
この頃からはほとんど先発固定になります。年間成績は11勝6敗で防御率は3.22ですので,まずまずの1年ではないでしょうか。
2001年の成績
続いて2001年の成績を以下の表2に示します。
この年の年間成績も11勝6敗で防御率は2.88と昨年より向上しています。
2002年の成績
この年から親会社がマルハからひと悶着あってTBSへと変更になっています。全てをTBSの責任にすることはできませんが,現在の横浜はここから始まったといっても良いかもしれません。
それでは,2002年の成績を以下の表3に示します。
この年からベースボール・レコード・ブックの表記がより詳細なものになりました。データとしては球数(投球数)と失(失点)が追加されています。また四(四球)と死(死球)で表示されるようにもなりました。
チームの不振に同調するように,黒星が並んでいます。ただし,そこまで失点をしていないということはきちんと見ておかなければならないと思います。そして,7月18日の巨人戦後に登板間隔が開きますが,これは試合後に感じた右肘の違和感が改善しないために登録を抹消したためです。デビュー以来10年,疲労が表に表れてきたのでしょうか?
気になるのは,この違和感が7月18日の巨人戦後に表れたのか,それとも予兆のようなものがあったのかということです。なんにせよ今日まで現役を続けることが出来ているのですから,大事には至らなかったわけですが,このときは結構危ない状況だったのかもしれません。
2003年の成績
次に,2003年の成績を以下の表4に示します。
↑これをスライドさせることで表の右側が見えます
この年は5月からの登場となります。デビュー以来の登板が最も少ない年でもあります。
2004年の成績
次に,2004年の成績を以下の表5に示します。
この年は8月に空きがあります。7月に負けが込んだことでの登録抹消か,それとも体調不良が原因でしょうか?
2005年の成績
次に,2005年の成績を以下の表6に示します。
この年はシーズン通じて投げたスケジュールになっています。注目すべきは投球数でしょうか。ちょっと投げすぎな気もします。
2006年の成績
ここからは,「プロ野球ヌルデータ置き場」様のデータを掲載します。元々ヌルデータ置き場には掲載されていない古い記録を紹介したくて始めたので,2005年までのデータで終わっても良かったのですが,三浦選手の情報をまとめて掲載しておきたかったのもあるので紹介することにしました。意向はサクッと紹介していきます。
詳しくは,引用元の「プロ野球ヌルデータ置き場」様を御覧ください。
それでは,2006年の成績を以下の表7に示します。
ここからは,バッテリーを組んだ捕手の名前と相手の先発投手の名前も掲載します。
2007年の成績
次に,2007年の成績を以下の表8に示します。
2008年の成績
次に,2008年の成績を以下の表9に示します。
2009年の成績
2010年の成績
次に,2010年の成績を以下の表11に示します。
2011年の成績
最後に,2011年の成績を以下の表12に示します。
まとめ
以上で,2011年までに三浦選手が1軍で登板した全試合の記録を紹介したことになります。いかがだったでしょうか。この記録を見ながら,思い思いの感慨にふけってもらえればと思います。
おわりに
150勝の記念にこれまでの記録を振り返ってみました。たまにはこういうのも良いですね。
折角データを集めたので,次回は少し時間をもらって,自責点と援護の関係やクオリティ・スタートの観点からデータをまとめてみようと考えています。
どうでも良い話ですが,当ブログも今回の記事で200本目になります。まぁ200本記事を書いても名球界に入れるわけではないので大した意味はありません。とりあえず今後もぼちぼちやっていきますので,よろしくお付き合いいただければと思います。
それでは,今回はこのあたりで失礼します。
引用文献
ベースボール・レコード・ブック2001-2006
ベースボール・マガジン社
データ引用&参照サイト
・プロ野球ヌルデータ置き場
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野球データの分析・解析がメインのブログです。コメント、ご意見、ご質問等、気軽にしていただけると嬉しいです。