シン・ゴジラ「ヤシオリ作戦」の元ネタになった「八塩折の酒」ってどんなお酒?

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映画「シン・ゴジラ」でゴジラを倒すために実行された「ヤシオリ作戦」。その元ネタは『古事記』や『日本書紀』に登場する須佐之男命(すさのをのみこと)による八俣遠呂智(やまたのをろち)退治であることは有名ですが、

ところで八塩折(やしおり)の酒って、どんなお酒なんでしょうか?

八俣遠呂智を酔わせて倒した、須佐之男命の武勇伝

まず、須佐之男命による八俣遠呂智退治のあらましを紹介します。

今は昔、須佐之男命は高天原(たかまがはら。天上の世界)に暮らしておりましたが、乱暴が過ぎてあわや世界を滅ぼしかけたため、追放されてしまいました。

そんな須佐之男命が葦原中国(あしはらのなかつくに。地上の世界)をさすらっていると、泣いている老夫婦とその娘に出会います。

泣いている理由を尋ねたところ、父親が答えるには、この土地に八俣遠呂智が来るようになってからというもの、毎年娘を一人ずつ生贄に差し出さねばならず、八人いた娘も七人まで喰われてしまい、最後に残った櫛名田比賣(くしなだひめ)も、いよいよ喰われてしまうとのこと。

奇稲田姫(櫛名田比賣)・月岡芳年「素戔嗚尊 出雲の簸川上に八頭蛇を退治し給ふ図」、『日本略史』明治廿1881年12月より

八俣遠呂智とは赤加賀智(あかがち。鬼灯の古称)のように真っ赤な目玉をギョロギョロとさせた大蛇(おろち)で、八俣(やまた)の名が示す通り八つの頭と八つの尾をもち、山のような巨体にはあちこち木や苔が生えて森のよう。

頭から尾までの長さは八つの谷と八つの山に這いわたり、重たい身体を引きずるため、腹はいつも血にただれて腥(なまぐさ)い匂いを立てている、という文句なしの「怪獣(モンスター)」です。

……話を聞いた須佐之男命は「娘さんを下さるなら、八俣遠呂智を退治して差し上げましょう」と申し出て承諾を得ると、さっそく作戦を立てます。

「お義父さんお義母さん。八俣遠呂智がやって来る場所に垣根を廻らし、八つの門を設けて下さい。それぞれの門に大きな酒船(さかぶね。酒槽)を置いたら、その中に『八塩折の酒』を作って満たして下されば、準備は完了です」

【原文】「汝等、釀八鹽折之酒、亦作廻垣、於其垣作八門、毎門結八佐受岐、毎其佐受岐置酒船而、毎船盛其八鹽折酒而待」

※『古事記』上巻 三より

櫛名田比賣の霊力を得て、八俣遠呂智を退治する須佐之男命/月岡芳年「素戔嗚尊 出雲の簸川上に八頭蛇を退治し給ふ図」、『日本略史』明治廿1881年12月

要は酒が大好きな大蛇を酔いつぶしてから退治する作戦が見事に成功、めでたく櫛名田比賣と結婚して幸せに暮らすのでした。

途中、面白いエピソードを色々飛ばしていますが、それらは又の機会に。

何度も搾った、強い酒

さて、この八塩折の酒について、あまり詳しいことは書かれていませんが、『日本書紀』によれば「衆菓(もろもろのこのみ=木の実)」をもって醸すことが書かれています。

【原文】「汝、可以衆菓釀酒八甕……」

※『日本書紀』巻第一 神代 上より

イメージ的には、お米で造った現代的な清酒よりも、例えば爛熟した柿が発酵してできたような、濁酒(どぶろく)や猿酒(さるざけ)に近いものだったのでしょう。

そして「八塩折」の意味を分解していくと、「八」とは「八百万(やおよろず)の神々」などのように「とにかくたくさん」を表わす吉数(末広がりで縁起がよい数)、「塩」とはここでは酒を造る過程で生じる醪(もろみ)の搾り汁、「折」とは折々のように繰り返すことを意味します。

イメージ

つまり八塩折の酒とは「たくさん(八回)搾った酒」という意味になりますが、そもそも「搾る」とはどういう行為なのか、酒造りをごくざっくりと見ていきましょう。

酒を造るには、素材と麹(こうじ)菌を仕込んだ水を発酵させた醪を搾って濾して寝かせるのですが、醪を搾った汁に再び素材と麹菌を仕込んで搾り、またその汁に素材と麹菌を仕込んで……というイメージです。

……とまぁ「酒で酒を仕込む」と口で言うのは簡単ですが、実際には温度調整など色々デリケートなのは言うまでもありません。

いずれにせよ、この搾りを繰り返すほどアルコールが強くなるそうで、さすがの八俣遠呂智も酔いつぶれてしまったのでした。

※余談ながら、酒豪のことを「蟒蛇(うわばみ)」と言いますが、昔から大蛇と酒には浅からぬ因縁があるようです。

終わりに

八俣遠呂智を酔いつぶした八塩折の酒に準(なぞら)えて、ゴジラに一服盛ろうとした「ヤシオリ作戦」。

日本人は神代の昔から、恩恵と脅威をもたらす自然を愛しながらも深く畏れ、その精神が「八俣遠呂智」や「ゴジラ」など数々の怪獣を生み出してきました。

須佐之男命と八俣遠呂智(島根県立古代出雲歴史博物館にて)

いかに時代が移ろい、科学が発展しようとも、この「畏れ」こそが自然に対する謙虚さを保ち、共に幸(さきわ)う日本人の生き方に適う根本精神です。

近年、八塩折の酒を再現したというお酒が頂けるそうですが、その機会に与(あずか)れた折には、天地神明に感謝を奉げたく思います。