出世する人と落ちこぼれの「口ぐせ」は紙一重
■「俺があいつらを潰した」と決して口にしない
この言葉をどこかで聞いたことがないだろうか。
「俺があいつを育てた……」
出世する人も、落ちこぼれになる人も使う。その意味では、微妙な口ぐせだ。
拙著『会社で落ちこぼれる人の口ぐせ 抜群に出世する人の口ぐせ』(KADOKAWA)を書き上げるために取材した一例を挙げたい。都内に教材をつくる会社(社員数200人)がある。教材編集部の部長(40代男性)だった男性は、20代で頭角を現しつつある女性を差し、こう言っていた。
「俺が彼女を鍛えた」「あの女は、教えがいがあった」……。
男性はその後、役員となった。小さな会社であり、離職率は相当に高く、30年近く在籍すると、ほとんどが役員になる。企業社会では「出世した人」とは言い難いが、この会社では「抜群の出世頭」である。
役員が教えた中には、伸び悩んだり、不満を持ち、辞めた社員が少なくない。ところが、つぶやくのは、あくまで「俺が彼女を鍛えた」「あの女は、教えがいがあった」である。「俺があいつらを潰した」「苦しめた」とは、決して口にしない。
それでも、200人の会社ならば、「事実」として浸透する。役員が「俺が彼女を鍛えた」と10回、つぶやくと、それが口コミで伝わる。早いうちに、ゆるぎない「事実」となっていく。さらに繰り返して口にすると、役員の求心力はますます強くなっていく。
この役員に潰された社員のことは、社員らの間で話題にすらならない。ごくたまに話に持ち上がるのは、「あの人は素行などに問題があり、辞めざるを得なかった」というゴシップである。これもまた、役員が吹聴しているのだという。
この会社は、新卒・中途ではいる社員のレベルは大企業に比べると低く、管理職になる社員のレベルも高くはない。ましてや、小さな会社だから、社員たちが1つになろうとする空気は大企業よりは強い。
このような職場では、役員の口ぐせが社内の隅々に浸透しやすい。多くの社員が役員にひたすら従い、媚びる。その数は、200人の会社ならば180人にはなるだろう。
■落ちこぼれは口ぐせの大切さを知らない
口ぐせは、それをつぶやくタイミングや場所、状況、つまりは、職場の文脈によっては、自分をよりステップアップさせるための、大きな武器になる。
落ちこぼれの口ぐせと、出世する人のそれは紙一重といえる。出世する人は、そのことを体で感じ取っている。落ちこぼれになる人は、心得ていない。次に挙げるのは、その一例だ。
「俺があいつを育てた……」と管理職になっていないヒラ社員がつぶやくと、「生意気な奴」と見られ、周囲から足元をすくわれやすい。
職場では、たくさんの敵をつくると、不利になる。敵が多く、その中に人事権を握る者がいると、落ちこぼれにさせられる可能性が高くなる。落ちこぼれは、意図的につくられるのだ。
会社員は、個人事業主や創業経営者にはなりえない。残念なことだが、上司をはじめ、周囲から認められたものが、「優秀」となるのだ。周囲の力や支えがないと、浮上できないようになっている。
そんなしがらみが嫌だからこそ、社会人大学に通ったり、資格をとるための勉強をしたりする人は、会社を離れても生きていくことができるようにしているのだとは思う。だが会社員が認められるためには、上司や周囲から支持を得ないことには、必ず、どこかでゆきづまることは否定できない事実だ。
会社員が認められるためには、上司の口から、「あいつは優秀です」と役員や人事部に伝わり、「あの社員を昇格させよう」という空気になっていく仕掛けをつくらないといけない。前述の役員は、そのことを心得え、自らの口ぐせを武器として使った。
企業社会では、実績や業績を残したところで、認められない人は数十万人もいる。成果主義が浸透しようとも、人が人を評価する以上、変わることはありえない。この現実を見据えると、ヒラ社員が「俺があいつを育てた」と豪語すると、落ちこぼれにされやすいのだ。
「俺が、あいつを育てた」という言葉は、落ちこぼれも出世する人もつぶやく。ところが、その後の人生は大きく変わっていく。口ぐせの怖さを考えるうえで、貴重な教訓だ。
(ジャーナリスト 吉田典史=文)