金日成首相(当時)は朝鮮戦争の最中だった1951年、米軍の爆撃で廃墟となった平壌を再建するための「平壌市復旧建設総計画図」を作成した。それに基づき、1954年に完成したのが金日成広場だ。面積7万5000平米、100万人を集めることができる巨大な広場だが、実は天安門広場と比べると約6分の1の面積だ。人民大学習堂、内閣、外務省、対外経済省の庁舎、朝鮮中央歴史博物館、朝鮮美術博物館、朝鮮労働党中央委員会に囲まれ、広場に面