飯田氏が語る秋山監督の現役時代

 今季限りでの退任を表明していたソフトバンクの秋山幸二監督。苦しいシーズンを乗り越え、クライマックスシリーズで日本ハムを破り、そして日本シリーズでは阪神を4勝1敗で下して、3年ぶりの日本一に輝いた。有終の美という言葉がこれほど当てはまる幕引きもないだろう。

 スポーツコメンテーターの飯田哲也氏は現役時代、その秋山監督と熱気溢れる日本シリーズの戦いを2年連続で経験した。そう、1992年、1993年に行われたヤクルトスワローズと西武ライオンズの対戦だ。飯田氏に当時の印象を振り返ってもらった。

「僕らは92年、93年に西武と日本シリーズで当たっていますが、あの当時の西武は本当に凄かったです。こんなスーパースター軍団と戦えるのかって、そんな印象でしたね。

 野村監督は、楽しめ、というようなことは言っていました。相手は王者だし、胸を借りるつもりで。“4連敗だけはしないように”と、冗談めかして言っていたことを覚えています」

 飯田氏の印象とは裏腹に、ヤクルトと西武の日本シリーズは息をのむような接戦が続いた。1992年は4勝3敗で西武、93年は4勝3敗でヤクルトが日本一に。森祇晶監督率いる常勝・西武ライオンズと、野村ID野球のヤクルトスワローズとの対戦は2年間にまたがり、球史に残るシリーズだったと言えるだろう。

 秋山監督は、その当時西武のセンターを守り、主に3番を打っていた。85年に初めて40本塁打を放つと、87年には43本で本塁打王を獲得。90年には35本、51盗塁で盗塁王を獲得し、プロ野球史上初めて、30本塁打・50盗塁という偉大な記録を達成した。

「秋山監督のような選手は今後現れないんじゃないかとすら思う」

「もう、秋山監督のような選手は今後現れないんじゃないかとすら思います。あれだけ打って走って守れる、三拍子揃った選手は。ホームランは打てるし、足は速いし、守備も肩も。今で言うと、糸井のさらに上のような選手でしたからね。タイトルもたくさん獲っていますし。

 自分も同じセンターとして、当時の日本シリーズに出ていました。ただ、僕はまだセンターとして駆け出しのころでしたから、比べる次元じゃありませんでしたね。比べものにならないと思いました。後になって、守備は同じレベルまで行けたかなという実感はありましたが、バッティングはもう(笑)」

 現役時代、そんなスペシャルな選手だった秋山監督は、2009年からソフトバンク・ホークスの監督に就任。リーグ優勝3回、日本一2回と、監督としても着実な実績を残した。そして6年間の監督業を勤め上げ、今季限りで一度ユニフォームを脱ぐ。

「今回の日本シリーズでは、秋山監督は本当に静かでしたね。リーグ優勝が決まった時や、CSファイナルの時も感情を露わにしていましたが、シリーズでは本当に冷静な姿が印象に残っています。シーズンが厳しい戦いだったので、逆に強い緊張感を持たずに挑めたのか。最後だから、色んな感覚があったとは思います。

 本当に素晴らしいチームを作ったと思いますし、おめでとうございますと伝えたいですね」

 飯田氏はそう話し、その偉業を称えていた。

飯田哲也プロフィール
スポーツコメンテーター。1968年東京都出身。1987年に捕手としてヤクルトスワローズに入団、主に外野手としてヤクルトの1番バッターを長く務めた。2005年からは2年間楽天イーグルスに在籍。2006年に現役を引退すると、古巣ヤクルトで2013年まで守備・走塁コーチを務めた。
飯田哲也オフィシャルブログ