『弱いつながり 検索ワードをさがす旅』(東浩紀著/幻冬舎)。ネットの普及により却って自由を奪われてしまった現代人に、観光でもいいので積極的に旅にでるべきと説く思想家・東浩紀氏の最新刊。

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「ネットを捨てよ、旅へ出よう」

ネット依存の弊害を解きながら、どこかで聞いたことがあるようなフレーズを口にする識者は少なくない。

思想家・東浩紀も最新刊『弱いつながり 検索ワードを探す旅』(幻冬舎)の中で、旅に出ろと説く。

しかしその主張は他の人たちとは一味違う。旅先で「とにかく必要なのはネットへの接続」と言い、「観光地ではうつむいてスマホで検索すべし」と言い切る。苦難を乗り越えて秘境を訪れ自分を見つめ直すバックパッカー的なスタイルをとらなくとも「観光で十分」と言うのだ。

旅に自分探しのロマンを求めるものが肩透かしをくらっていると、自分探しには「旅に出る必要もない」「単純にあなたの親を観察すればいい」と梯子を外される。

ではなぜ旅に出ろというのだろうか?

「旅に出るのは自由を確保するためです」

質問に、頭の中の知識と情報のストレッジから最適解を引き出しながら話すかのように東は答える。スマホを手に入れた私たちは、最早それを手放すことはできなくなってしまっている。しかし常にネットを見続けていると自分の行動範囲が限定しれてしまうと東は言う。その束縛から自らを解き放ち、自由を得るために旅に出ることが大きく役立つと言うのだ。

「みんながFacebookなどに投稿して、いいね!の数を気にして、それがビジネスに結びついて、絶えずリアルタイムで一人ひとりの顔色を見て、細かくメンテナンスしないと炎上してビジネスにも支障をきたす世界になってしまっています。ネットの普及によって人々がつながりすぎて、人の顔色を見ることが必要な世界になってしまいました」

1990年代半ばからインターネットに傾倒していた東は、情報技術により厄介な人間関係に煩わされることなく、人間が孤独でも生きていけるようになると思っていた。実際に訪れたのは全く逆の世界だった。そのことに猛烈な不自由さを感じているという。
だから旅先ではネットに常時接続しながらも、ソーシャルメディアなどによってつながる人間関係は切断するようにすることによって、その不自由さから逃れるべきだというのだ。FacebookやTwitterで友だちに向けて情報発信することを封じることによって、旅先で新しい経験をする自由を得ることを得るのだ。

その自由を必要とするのは若い人だけではない。当初は若い人向けに書いていた東は、次第に1971年生まれの彼と同年代にこそ旅が必要なのではないかと思うようになっていった。

「若い頃は常に旅に出ているようなもので、パッと出会ったものやたまたま観た映画で人生が変わることもあるものです。でも齢をとると人に何かを薦められても『オレ、そういうの得意じゃないから』といって断ったりしてしまいます。そういう風に固まってしまうことは、人生が効率よくなっていることでもあるのですが、固まった状態を溶きほぐすためには旅が必要ということなんです」

同書では、東が実際の旅先でたまたま出会ったものやわかったことが描かれている。台湾の親日家だったり、タイのショッピングビルだったり、アウシュビッツ収容所の人骨だったり、未知のものから刺激を受けた東が何を考え、新しい世界がどう開かれていったかがわかる。

たまたま出会った「弱いつながり」の中から、キーワードが見つかり検索をかけることによって、新しい世界が広がっていくのだ。

「たしかにネットには情報が溢れていますが、人は普段は同じような検索ワードしか入力しないものです。結果、自分が見たいと思っているものしか見ることができません。その限界を超えるためにも旅に出て新しい検索ワードと出会うことが必要ということです」

その緩やかな検索ワードとの出会いは、店頭でジャケ買いしたCDから新たなアーティストや音楽ジャンルと出会うような体験を思い起こさせる。人生にジャケ買いによる幸福な出会いを取り戻すために、ぼくらは旅にでるべきだというのだ。

しかしかつて比較的難解でハイブローな著作で人気を博してきた東が、なぜこのようにとてもわかり易く、誰にでも気軽に読める本書のような本を書くようになったのだろうか。

その背景には思想家として現在の日本に感じる強烈な危機感があった。(後編のコネタにつづく)
(文中敬称略)
(鶴賀太郎)