防具修理をする多田さん

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フランス剣道界で、防具の修繕活動を地道に行っている日本人がいる。宮崎県出身で、剣道防具の輸出業・株式会社日本武道宮崎を営む多田竜三さんだ。自身も剣道6段の腕前である多田さんは、年に5、6回は渡欧し、現地剣士のために防具修理を続ける唯一の存在である。

スポーツが世界で広がる時に、用具の扱いやすさは1つのポイントになる。例えばボールさえあれば形になるサッカーと異なり、野球はグローブやバットなどサッカーと比べて必要な用具が多く、費用がかかる点で普及はしづらい。フランスで柔道は国民的スポーツの1つになっている。
剣道についても、フランスは他国に比べて盛んであり、欧州内を引っ張る存在である。しかしサッカーと野球の例に同じく、ここでも用具の問題が生じる。柔道の場合、道着一着で稽古を始められるが、剣道には竹刀と防具がひととおりいる。ほころんだ箇所も、針と糸で比較的簡単に修繕できる柔道と異なり、剣道の防具修理は素人にはなかなか難しい。

海外における剣道は、防具という観点から見た場合にどのようなものなのか。多田さんにフランスでの防具事情を聞いてみた。

――海外で剣道防具の修繕を始めたのはいつですか?
1999年に、大学の剣道カリキュラムでハンガリーとフランスを訪れたことがきっかけでした。現地で稽古をした際に、現地の剣士が使っている防具に粗悪品がとても多いと感じたのです。もちろん修理環境が日本のように整っていませんから、防具が皆ボロボロなのは仕方ないことではあるのですが……。私は実家が防具屋だったこともあり、幼い頃から修理方法を教わっていました。そのため、壊れた防具をその時は現地で修理しました。以来、現地で防具修理を重ねていくうちに、剣道を海外で広めるには防具の充実が不可欠だと思い始めたのです。

――欧州剣道界と本格的に関わるようになったのはいつですか?
2000年からです。海外という決して恵まれていない環境で、熱心に稽古している現地剣士たちの姿に感銘を受けて、実際に現地に住んでみたいと思い渡仏しました。知人のツテを頼りに探した結果、ある道場の管理人をするなら道場内に住み込んでも良いという許可をもらえたため、守衛のような形で3カ月パリに滞在しました。ところが、私が渡仏した年の冬は、欧州は大寒波に見舞われ道場内は寒過ぎて住めず……。その時にフランス剣道連盟の方に面倒を見てもらったのを機会に、今のご縁につながっています。

――欧州での防具修理の需要は高いですか?
高いです。防具というのは、じつは壊れる直前が体にもっともなじむ、一番良い状態を迎えます。防具が良ければ剣道も上達する一方で、合わない防具を使えば、それが技術の足を引っ張ります。体と異なる規格の防具を使えば危険も生じます。そのため自分に合う防具をなじませていきながら、修理しつつ使うのが最良の付き合い方です。しかし海外では気軽に修理できる環境が整っていないので、日本のようにはいきません。

――どの地域に行くことが多いですか?
フランスがもっとも多いです。欧州他国だと、スイスやイタリア、スペインなど、現地で大会や講習会があるたびに渡欧します。シンガポールや台湾などアジア地域にも行きますよ。修繕だけでなく、剣道指導の手伝いや、地元の道場へ出かけて一緒に稽古もします。パリについては、日本武道という武道具店が30年前からあるので、そこと修理をタイアップしています。基本的には商売としてやりますが、剣道人口が少ない国や、物価が低くて修理費用が平均的な収入と比べてとても高くつく国では、剣道の裾野を広げるため子供たちの防具をボランティアで直すこともあります。

――海外の剣道家が日本に来ることも多いですか?
年に20人位はフランスから地元の宮崎を訪ねてきてくれるので、県内の道場や高校で日本人と一緒に稽古をします。以前こんなこともありました。シンガポール剣道連盟の会長に、宮崎の子供たちと交流を深めてほしいから生徒たちを連れてきてくださいと頼んだら、子供ではなくナショナルチームを連れて来てくれて(笑) さすがに子供では稽古相手にならないので、宮崎県剣道連盟にお願いし、県警機動隊や刑務所職員で対ナショナルチーム用の特別編成をしました。

――宮崎は武道が盛んだと聞いたのですが。
宮崎県は、伝統的工芸品の木刀と弓の生産量が日本一です。うちの剣道防具もそうですが、日本刀では松葉國正さんという刀匠がおられます。兵法三大源流の1つである陰流も、県内にある鵜戸神宮で開かれました。2015年に剣道の世界大会が日本で開催されるので、各国から訪れるナショナルチームの合宿地を、武道とつながりの深い宮崎に誘引していこうという話しも県では出ています。

――今後はどのようなことをしていきたいですか?
海外の剣道家と日本をもっとつなげたいです。剣道をしている人たちは、とても日本好きです。日本人より日本人らしい人がたくさんいます。しかし、海外では彼らに与えられる情報量は少なく、質も低いのが現状です。彼らは一時のブームで日本が気になっている人ではなく、20年、30年と日本を好きでいてくれる人々です。その彼らに、もう少しさまざまなことをお伝えし共有していきたいです。
加えて日本と海外の交流も増やせたらと思います。私は海外へ出る前まで外国人と関わったことがなく「外国人=話せない人、怖い」というイメージを持っていました。しかし、彼らと付き合ってみると、実際はそうじゃないですよね。海外の剣士が日本に来たり、日本の剣士が海外へ出かけたりして、例えば幼い時から子供たちが剣道を通して海外と交流できる機会を持てれば、グローバル化という言葉も自然に身に付くのではないでしょうか。
(加藤亨延)