浅野忠信のあのシーン、途中まで本物を使っています「私の男」熊切和嘉監督に聞く2
6月14日(土)から公開の映画『私の男』。天災でひとりぼっちになった花(二階堂ふみ)を引きとった遠縁の淳悟(浅野忠信)。だが、養父と娘の関係を超えた、ただならぬ親密さに、周囲の目が厳しくなる。ふたりは逃げるように、故郷・北海道から東京へと移り住む。やがて、彼らの生活を脅かす人物が現れ、人生が狂いだしていく。桜庭一樹の小説を映画化した熊切監督に、主演の浅野忠信、二階堂ふみの俳優としての凄みを聞いた。
前編はこちら
───二階堂さんは、オーディションで決めたそうですね。会場に来た瞬間、「花がいる」と思われたそうですが、どういうところが花だったのでしょうか。
熊切 それは別作品のオーディションだったんですけど、たまたま制服で来ていた二階堂さんが、なんとなくぼんやり頭で描いていた花にすっとピントが合ったんです。たいていの俳優さんは、オーディションには、「おはようございます!」と元気に来るんですよ。皆が、事務所で教育された快活な応対をしている中、ひとり、不機嫌な美少女が現れたので、おや? と思って。話すと、何か芯がある感じがして。かといって、前に出ようとしない感じもあって。
ーー私、女優よ、的なものがない?
熊切 まったくなくて。でも、確実になんていうか、虚業である芸能界のことをすごく醒めて見ている感じがしました。ああ、絶対、この人と僕はいつか一緒に仕事をするなと思いました。
───なかなかそういう俳優っていないものですか?
熊切 なかなかいないと思いますね。まだ19歳ですからね。この後どうなっていくかこわくもなりますね(笑)。二階堂さん、すごく映画が好きなんですよね。
昔の映画をいっぱい見ているし、目指すところが、他の同世代の女優とちょっと違うのではないでしょうか。ぼくも、例えば、ヘルツォークの作品などを見ると、ぼくはまだまだ足りないと思うんです。向こうは、自分の作りたい作品のために、ほんとに船を山にもっていくようなことをする、伝説の人ですから。でも、本当に全てを犠牲にしてでもやる気になれば、映画ってそんなこともできるんですよね。
───今時の邦画を、見ている場合じゃないですね(笑)。
熊切 そこで、ちまちま嘘泣きしている場合じゃないですよ(笑)。
───あっさりした作品が多くなっている状況で、熊切さんは闘っていらっしゃると思います。『フィツカラルド』(船を山に乗せた映画)ではないですが、圧倒的なものが見たいと?
熊切 見たいですね。
───なかなかないですよね。
熊切 ないです。
───見たいし、作りたい。
熊切 作りたいし、そもそも、そういうことがやりたかったっていうのはあります。映画を志したときは、圧倒的なものが好きでしたから。でも、仕事になると、それは無理だよってことをだいたい言われるんですね。
───そもそも、『私の男』を読んだとき、監督をつき動かしたものはなんだったのですか?
熊切 大胆に時間や場所が飛ぶことにも引かれましたし、映像的には、流氷が大きかったですね。スペクタクルをやりたかった。ぼくとしては、現代の『飢餓海峡』(65年)が撮れると思ったんです。
───ああ!
熊切 実は(笑)。そういう思いがあったんですね。すごく好きなんですよ、『飢餓海峡』が。20代の頃、東京に来て、たぶんフィルムセンターで見たのが最初ですが、いつか、こういう大きな映画を撮りたいと思っていました。
───『アナと雪の女王』にも雪や氷のシーンがありますけど、やっぱり、『私の男』の生の流氷が迫力ありますね。
熊切 『アナ〜』見てないです(笑)。
───ディズニーには興味ない?(笑)。
熊切 見ないですねえ。ジブリは見ますよ。『かぐや姫の物語』はほんとにすばらしいと思います。日本の最後の巨匠は高畑勲監督だと思います。あれは実写じゃできないですよね。あののびやかさは。
───『私の男』で実写のすごさを感じたのが、流氷のほかに、淳悟とある人物が壮絶なもみ合いになるところです。ものすごく臨場感がありました。あれはどうやって撮っているのですか?
熊切 もちろん、血糊などの仕掛けがあるので、事前に、細かな動きをを確認してから撮りました。ふつう、こういう仕掛けの絡んだアクションは一発勝負です。もちろん、ぼくもそれを目指しましたが、返り血が浅野さんにかからなくて、もう一回やったんです。芝居は良かったんですが。
───もみあってすごく散らかった空間をまた最初に戻して・・・。
熊切 俳優にもスタッフにも負担を強いることになりました。2回目に、カメラ位置を変えてやったのもよかったので、よし! と思いました。両方使えるなと(笑)。あ。思い出しました。淳悟が包丁を振り回しますよね。まず、刃を落とした本物の包丁で、本当に畳を刺してもらったところで、後ろ手にして、作り物の包丁に持ち替えているんです。途中まで本物の包丁なんですよ。
───持ち替える作業は、カメラが回ったままでやっているのですか?
熊切 回ったまま、フレームから外れたところに、助監督がいて、偽の包丁を渡しているんです。
───へえ!
熊切 だから、自然と緊張感が生まれたんじゃないでしょうか。撮っていてもこわかったし、演じている側はもっとこわいでしょう。
───間違って、入れ替えそびれたら大変なことに。
熊切 危険なトライだったので、浅野さんに怒られるかと思ったのですが、一回提案してみたら「やってみます」と言ってくださって。
───浅野さん、演技をしながら、冷静に状況を把握できるのでしょうね。
熊切 いや、すごいなと思いました。どうみても冷静じゃないですから、見た目は。
───プロフェッショナルの凄さを感じます。助監督とのやりとりは、映っていないけれど、見ているほうにも、緊迫感が伝わるのでしょうね。
熊切 それは出ると思います。無難な撮り方をしたら、凄みが出ないと思います。
───映画の最初のほうで、子供の花がペットボトルをもっています。単なる飲み物ではなく、必死で何かを抱えているように思ったのですが、深読みでしょうか?
熊切 いや、だいぶ、狙ったところです。原作を読んで、小さい子供が、大きいペットボトルを抱えているというのは、映画的にいいなって思いました。花が「わたしのものだ」と手放さないところと、淳悟が「俺は、おまえのもんだ」というところにつながって、大事なところだと思います。
───小説では、ペットボトルを抱えた、という文が何回も出てきます。それをワンカットで印象的に見せてしまうのが、映像の強みですね。
熊切 要所要所で、あ、これ、映画的な画だなって思うところが、桜庭さんの小説の中にはありました。
───今後、オリジナルを撮る予定は?
熊切 やりたいですね。でも、なかなか・・・。企画は考えつくのですが、オリジナルだと、自分の日常が影響してくるので。自分をみつめていくと、どんどん地味になって、こんな映画、誰が見るんだ?っていうことになっていくという(苦笑)。そこをなんとかうまく大胆なことをおりまぜて、大嘘をつきたいのですが。オリジナルになると、生真面目さが出てしまうというか(笑)。
───デビュー作『鬼畜大宴会』は全然地味じゃないですよね。
熊切 ああいう大ネタと結びつくといいんですけどねえ。
───あと、女性を撮るのが巧みだと感じますが、何か意識していますか?
熊切 ぼくはヒロイン然とした感じが嫌いで、もっとみっともないくらい生身の女性を描きたいという思いはあります。でも最近は女性がたつ話が続いたので、次あたりは男っぽいフィルムノワールみたいなのを撮りたいっていう思いがあります。
(木俣冬)
前編はこちら
熊切 それは別作品のオーディションだったんですけど、たまたま制服で来ていた二階堂さんが、なんとなくぼんやり頭で描いていた花にすっとピントが合ったんです。たいていの俳優さんは、オーディションには、「おはようございます!」と元気に来るんですよ。皆が、事務所で教育された快活な応対をしている中、ひとり、不機嫌な美少女が現れたので、おや? と思って。話すと、何か芯がある感じがして。かといって、前に出ようとしない感じもあって。
ーー私、女優よ、的なものがない?
熊切 まったくなくて。でも、確実になんていうか、虚業である芸能界のことをすごく醒めて見ている感じがしました。ああ、絶対、この人と僕はいつか一緒に仕事をするなと思いました。
───なかなかそういう俳優っていないものですか?
熊切 なかなかいないと思いますね。まだ19歳ですからね。この後どうなっていくかこわくもなりますね(笑)。二階堂さん、すごく映画が好きなんですよね。
昔の映画をいっぱい見ているし、目指すところが、他の同世代の女優とちょっと違うのではないでしょうか。ぼくも、例えば、ヘルツォークの作品などを見ると、ぼくはまだまだ足りないと思うんです。向こうは、自分の作りたい作品のために、ほんとに船を山にもっていくようなことをする、伝説の人ですから。でも、本当に全てを犠牲にしてでもやる気になれば、映画ってそんなこともできるんですよね。
───今時の邦画を、見ている場合じゃないですね(笑)。
熊切 そこで、ちまちま嘘泣きしている場合じゃないですよ(笑)。
───あっさりした作品が多くなっている状況で、熊切さんは闘っていらっしゃると思います。『フィツカラルド』(船を山に乗せた映画)ではないですが、圧倒的なものが見たいと?
熊切 見たいですね。
───なかなかないですよね。
熊切 ないです。
───見たいし、作りたい。
熊切 作りたいし、そもそも、そういうことがやりたかったっていうのはあります。映画を志したときは、圧倒的なものが好きでしたから。でも、仕事になると、それは無理だよってことをだいたい言われるんですね。
───そもそも、『私の男』を読んだとき、監督をつき動かしたものはなんだったのですか?
熊切 大胆に時間や場所が飛ぶことにも引かれましたし、映像的には、流氷が大きかったですね。スペクタクルをやりたかった。ぼくとしては、現代の『飢餓海峡』(65年)が撮れると思ったんです。
───ああ!
熊切 実は(笑)。そういう思いがあったんですね。すごく好きなんですよ、『飢餓海峡』が。20代の頃、東京に来て、たぶんフィルムセンターで見たのが最初ですが、いつか、こういう大きな映画を撮りたいと思っていました。
───『アナと雪の女王』にも雪や氷のシーンがありますけど、やっぱり、『私の男』の生の流氷が迫力ありますね。
熊切 『アナ〜』見てないです(笑)。
───ディズニーには興味ない?(笑)。
熊切 見ないですねえ。ジブリは見ますよ。『かぐや姫の物語』はほんとにすばらしいと思います。日本の最後の巨匠は高畑勲監督だと思います。あれは実写じゃできないですよね。あののびやかさは。
───『私の男』で実写のすごさを感じたのが、流氷のほかに、淳悟とある人物が壮絶なもみ合いになるところです。ものすごく臨場感がありました。あれはどうやって撮っているのですか?
熊切 もちろん、血糊などの仕掛けがあるので、事前に、細かな動きをを確認してから撮りました。ふつう、こういう仕掛けの絡んだアクションは一発勝負です。もちろん、ぼくもそれを目指しましたが、返り血が浅野さんにかからなくて、もう一回やったんです。芝居は良かったんですが。
───もみあってすごく散らかった空間をまた最初に戻して・・・。
熊切 俳優にもスタッフにも負担を強いることになりました。2回目に、カメラ位置を変えてやったのもよかったので、よし! と思いました。両方使えるなと(笑)。あ。思い出しました。淳悟が包丁を振り回しますよね。まず、刃を落とした本物の包丁で、本当に畳を刺してもらったところで、後ろ手にして、作り物の包丁に持ち替えているんです。途中まで本物の包丁なんですよ。
───持ち替える作業は、カメラが回ったままでやっているのですか?
熊切 回ったまま、フレームから外れたところに、助監督がいて、偽の包丁を渡しているんです。
───へえ!
熊切 だから、自然と緊張感が生まれたんじゃないでしょうか。撮っていてもこわかったし、演じている側はもっとこわいでしょう。
───間違って、入れ替えそびれたら大変なことに。
熊切 危険なトライだったので、浅野さんに怒られるかと思ったのですが、一回提案してみたら「やってみます」と言ってくださって。
───浅野さん、演技をしながら、冷静に状況を把握できるのでしょうね。
熊切 いや、すごいなと思いました。どうみても冷静じゃないですから、見た目は。
───プロフェッショナルの凄さを感じます。助監督とのやりとりは、映っていないけれど、見ているほうにも、緊迫感が伝わるのでしょうね。
熊切 それは出ると思います。無難な撮り方をしたら、凄みが出ないと思います。
───映画の最初のほうで、子供の花がペットボトルをもっています。単なる飲み物ではなく、必死で何かを抱えているように思ったのですが、深読みでしょうか?
熊切 いや、だいぶ、狙ったところです。原作を読んで、小さい子供が、大きいペットボトルを抱えているというのは、映画的にいいなって思いました。花が「わたしのものだ」と手放さないところと、淳悟が「俺は、おまえのもんだ」というところにつながって、大事なところだと思います。
───小説では、ペットボトルを抱えた、という文が何回も出てきます。それをワンカットで印象的に見せてしまうのが、映像の強みですね。
熊切 要所要所で、あ、これ、映画的な画だなって思うところが、桜庭さんの小説の中にはありました。
───今後、オリジナルを撮る予定は?
熊切 やりたいですね。でも、なかなか・・・。企画は考えつくのですが、オリジナルだと、自分の日常が影響してくるので。自分をみつめていくと、どんどん地味になって、こんな映画、誰が見るんだ?っていうことになっていくという(苦笑)。そこをなんとかうまく大胆なことをおりまぜて、大嘘をつきたいのですが。オリジナルになると、生真面目さが出てしまうというか(笑)。
───デビュー作『鬼畜大宴会』は全然地味じゃないですよね。
熊切 ああいう大ネタと結びつくといいんですけどねえ。
───あと、女性を撮るのが巧みだと感じますが、何か意識していますか?
熊切 ぼくはヒロイン然とした感じが嫌いで、もっとみっともないくらい生身の女性を描きたいという思いはあります。でも最近は女性がたつ話が続いたので、次あたりは男っぽいフィルムノワールみたいなのを撮りたいっていう思いがあります。
(木俣冬)