寿人、大久保、俊輔......。今こそ日本代表にベテランの力を!
今となっては、7月の東アジアカップで優勝していたころが懐かしい。
戦力の底上げを狙って、若手中心にメンバーを編成。最終戦では敵地で韓国を破って初優勝。いくつもの成果を残した東アジアカップは、コンフェデレーションズカップで"頭打ち感"を露呈した日本代表にとって、次なる成長へのきっかけとなることが期待された。
クラブ別で最多となる4人(GK西川周作、DF千葉和彦、MF青山敏弘、高萩洋次郎)を東アジアカップの日本代表に送り出したサンフレッチェ広島の佐藤寿人は当時、チームのキャプテンらしく、こんなことを話していた。
「ワールドカップを1年後に控え、(代表選考の)サバイバルっていう見方をされながらああいう大会に行ってきて、彼らは(代表候補として)見られるなかで戦うということを経験した。その意識は間違いなくプラスに働くと思う」
佐藤は、自身の代表選出の可能性については「去年も(J1得点王という)結果を出して、今年もこういう(得点ランク上位の)数字を残して、でも呼ばれないっていうのはそういうことなんだな、と。そういう判断が下されているなら、それはもう選手として受け入れなきゃいけない」と、どこか諦観したように言いながらも、若手の活躍については「チームメイトが代表に行っているのを見ると、すごく励みになる」と、素直に喜んでいたものだ。
ところが、その後に5試合行なわれた親善試合を見ても、新戦力の登用は進まず、主力となるメンバーはコンフェデ以前から固定されたまま。ザッケローニ監督は、10月のヨーロッパ遠征2試合に同じ先発メンバーで臨んだが、その顔ぶれは11年1月のアジアカップ当時と比較しても、実質的には1トップが前田遼一から柿谷曜一朗に代わっただけ、という状況である。
その結果、成長の頭打ち感は解消に向かうどころか、むしろ悪化。ザッケローニ監督就任以降に限れば、間違いなく最悪の状況にある。
窮地を脱するためには新たな変化が必要だが、その役割を若い選手に背負わせるのは、もはやあまりに酷。実際、期待された柿谷にしても、このままでは重責につぶされかねない。怖いもの知らずの若手の勢いに頼るには、あまりにも状況が悪化しすぎたのだ。
そう言えば東アジアカップ直後、佐藤は「それは決していいことではないけれど」と付け加えたうえで、こんなことも話していた。
「もし自分が呼ばれるとすれば、代表がうまくいかなくなったときじゃないかと思う」
まるで日本代表の行く末を予見していたかのような言葉だが、佐藤が言っていたように今の日本代表に必要なのは、むしろベテランの力ではないかと思う。進むべき道を見失い、フラフラとさまようチームに必要なのは、現状を冷静に受け止め、チームを落ち着かせることのできる「経験」なのだ。
いかに勢いのある若手を抜擢したところで、チームの状況に気が回らず、自身が生き残ることだけで頭がいっぱいになってしまっては、今の日本代表をプラスの方向には導けない。血気盛んな若手と違い、代表選考のプレッシャーに硬くなることもなく、いい意味で気楽にプレイできるのもベテランを起用することの魅力だろう。
幸いにして、現在のJ1には力が衰えるどころか、今まさに円熟のときを迎えたかのように30歳代の選手が活躍している。
例えば、すでにシーズン自己最多となる22ゴールを記録し、得点王争いでトップを走る大久保嘉人。
元々得点感覚には非凡なものがあったが、今季はとりわけ体にキレがあり、マークを振り切る瞬間的な加速は抜群。現在J1最多得点の川崎にあって、ツボを心得たプレイの数々が自らのゴールばかりでなく、多くのチャンスメイクにも貢献している。
さらには、J1首位の横浜F・マリノスを引っ張る中村俊輔。
得意の左足から放つFKやスルーパスが健在なのはもちろんのこと、巧みなゲームコントロールは名人芸の域にある。1本のパスでチーム全体にメッセージを伝え、攻撃をスピードアップさせたり逆に落ち着かせたりする冷静な判断は、まさに今の日本代表に欠けているものだ。すでに35歳ながら、疲れ知らずで、攻守に走り回る姿を見ていると、スタミナ面での不安も感じさせない。
もちろん、冒頭で紹介した佐藤にしても、ピッチ内で攻撃を引っ張る存在になるばかりでなく、彼のリーダーシップがピッチ外でも日本代表の力になるだろう。ワールドカップ本番へ向け、日本代表内における控え組のモチベーション低下も気になるだけに、佐藤が力を発揮する場面は少なくないはずだ。
これまでザッケローニ監督は比較的若手を重用してきた。Jリーグで活躍していても30代の選手にはなかなか声がかからず、中村憲剛、駒野友一など、代表の常連であった選手でさえ徐々に淘汰されている。しかし、だ。
こんなときこそベテランの力を――。
日本代表が最悪の状況にある今だからこそ、そう言いたい。
浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki